第11話 また、この場所で
翌日、体調も大分良くなった健次はミカに連れられて“飛翔”した。二十分ほど上空を駆け抜け、都市の外れにある大きな山の頂上付近に二人はゆっくりと降り立った。健次が顔を上げ山の向かい側へ目を遣ると、そこには雄大な自然が途方も無く横たわっていた。緑を両断する巨大な断崖から絶え間なく流れ落ちる
「ここは私のお気に入りの場所なんだ。確か
と唄うように言った。ひんやりとした清水の匂いが、吹き抜ける風に乗って健次の元へやってきた。健次もミカと同じようにのびをすると、澄み切った空気で全身を満たした。
「いい場所だね」
健次はそう言うと滝の弾ける音に耳を澄ました。小鳥のさえずりと葉擦れの音が水音と融け合い、心地よい調和を保ったまま大気を埋めている。健次の裡に燻っていた焔は、水に打たれてしばし勢いを鎮めたようだった。健次は心の平静が久方ぶりに自分の手元へ返ってきていることを感じた。
「ここに連れてきてくれてありがとう」
「どういたしまして」
ミカは嬉しそうにニッコリ笑った。覗かせた綺麗な前歯は、午後の日差しに照らされてキラリと光った。健次もつられて顔をほころばせた。健次は鼓動が速まっているのを感じた。この胸の高鳴りは雄大な自然への感動に違いない。健次はそう言い聞かせ、前方の景色に目を遣った。人から完全に切り離された自然は、濃密な時間を裡に湛えていた。一瞬は果てしなく引き延ばされ、境界を失ってゆく。悠久とも感じられる時間が健次の中を静かに通り過ぎていった。
──幸太朗にも見せたいな。それから先生にも……
そう考えかけて、健次ははっと我に返った。もうあの日々は戻ってこない。それを望んだのは自分自身なんだ……。
「どうしたの?顔を顰めて」
ミカは健次の方を心配そうに眺めた。健次は自分が眉を顰めていたことに気づき、即座に微笑みで取り繕った。ミカはやや強張ったその笑みを見て、健次には知られたくない秘密があることを悟った。
「少し神龍町のことを考えていたんだ。皆にも見せたいと思って」
「……健次君は優しいね。こんなにいい景色なんだよ?私なら独り占めしちゃうな」
ミカはそう言うと、少し意地悪そうに笑った。健次はミカが自分のことを気遣ってくれているのを感じ、ありがたく思った。気を抜くとすぐに足下に溜まった過去の泥濘に引きずり込まれそうになる。健次はその吹き溜まりから目を逸らすようにして遠方の濃霧を見遣った。
「あの断崖の奥の、霧がかかった先には、何があるの?」
「あの先は〈
健次は改めて霧で覆われた奥の方を見た。立ちこめる濃霧は、健次たちから何か大事なものを奪っているように思われた。結局、ここも同じなのか……。底の見えない落胆に襲われ、健次は目眩を感じた。
「この地域も、結界によって閉ざされているんだね」
「そうだよ。あの第二結界は、私たちの暮らす啓正区全体を取り囲んでいる。外の世界からの汚染物質を食い止めるためっていう建前で」
「……そうか」
健次は地球上の全てを焼き払った〈大惨禍〉に思いを馳せた。自由社会が突如終わりを告げ、その後に到来した暗黒時代。死と狂気が蔓延し、いとも簡単に人が死んだ時代。今目の前に広がる幽美な自然は、その過去の惨劇から目を背けさせようとしているようにも見えた。
健次はミカにもう一度感謝を伝えると、眼前の光景を忘れないよう目に焼き付けた。
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