第4話 ある疑念【神龍町にて】
一方その頃、神龍町中央にある神龍警察署本部に結界監視局から一本の連絡が入っていた。九月二七日朝、冠甲山周辺の結界の一部が何者かの手によって破壊されたとのことであった。先遣隊が現地の痕跡を詳しく調査した結果、その何者かは強固な結界に穴を開けた後、結界の外へと移動した可能性が高いことが判明した。警察署本部はすぐに関係各所に対して厳重な箝口令を敷き、この事件が一般人の耳に入らないようにした。その日、一か月に渡る謹慎から復帰したばかりの加藤伶は署長の大山に直々に呼び出され、緊張した面持ちで署長室の前に立っていた。
一体何の話なんだろう。今回の件と関係があるのだろうか。
呼び出された理由について伶が考えを巡らしていると、署長室の扉が開き、中から大山署長が険しい顔を覗かせた。
「何をしているんだ。さっさと入り給え」
「失礼します」
伶は緊張を悟られないよう腹の底に沈め、署長室へと入った。室内には微かに鉄の錆びた匂いが立ちこめている。左右の壁は天井に届かんばかりの書棚で覆われており、熾火のような赤の絨毯には塵一つなかった。大山は隅に置かれた年代物の安楽椅子に腰掛けると、小さく溜息をついた。
「今朝の事件について、何か聞いているか?」
「多少は。署内はその話題で持ちきりです。様々な憶測が飛び交っているようです」
「そうだろうな。結界に干渉するなど前代未聞のことだからな」そう言うと大山は針のように鋭い視線を伶に向けた。
「今朝から神龍魔法学校の生徒が一人行方不明となっている。名前は影山健次。十八歳だ」
伶は大山の言わんとすることを瞬時に理解した。
「それは……まさか今朝の事件と」
大山は僅かに頷いた。
「間違いないようだ。この影山健次という生徒は神龍魔法学校の最上級生で、歴代でも最高クラスの逸材であったそうだ。なぜ逃亡したのかは不明だが……」
部屋全体に張り詰める緊張感を肌で感じながらも、伶は胸を躍らせていた。閉鎖された狭い町での平凡な毎日。ありきたりな日常に満足しながらも、どこかで退屈さに対し嫌気が差し始めていた伶は今回の奇異な事件に甚く惹きつけられていた。だが次の大山の言葉は伶の期待を完全に裏切るものであった。
「だが混乱を避けるためにも表向きは家出ということで処理しなければならない。そこで加藤には彼の捜索班を率いてもらう」
「……どういうことですか?」
「何、心配する必要は無い。形だけの捜索班だ。彼はもう神龍町はおろか、この結界内にもいないだろうから探したところで見つかることは無い。ただ、捜索を行っていることは念のため内外に示しておく必要がある。加藤にはそのチームの責任者になってもらう」
伶は体から力が急速に抜けていくのを感じた。落胆が全身を覆い尽くし立っているのがやっとであった。
「それには一体何の意味が?俺はもっと必要とされる仕事をしたい」
「加藤」大山は立ち上がると、伶の肩を軽く叩いた。
「君の向上心と好奇心は本当に素晴らしいと思う。魔法の才能も随一だ。君があの“黒蝶”ではなく警察官という仕事を選んでくれた時は本当に嬉しかったよ。私ももっと君が活躍できるような仕事を回したいとは思っているんだ。本当だよ。ただ、これは必要なことなんだ。この世界のためにな。それに、君はこの前の
「……」
「君には奥さんとまだ幼い娘さんもいる。しっかりやらなきゃいけないはずだ」
「……分かりました」
大山は取って付けたような笑顔で伶の背中を押した。
「何、簡単なことさ。周辺の聞き込み調査や報道陣の対応を形だけやっておけば良いんだよ。それで丸く収まる」
最後の方の言葉は伶の耳にはもう届いていなかった。呆然としたまま一礼し署長室を後にしようとした伶を、大山は小さい声で呼び止めた。
「ああ、ただし余り首を突っ込むなよ。この件は慎重を期する」
署長室の前の廊下を歩きながら、伶は署長の最後の言葉を思い返した。どうやら今回の事件は厄介事が絡んでいるようだ。何か触れてはならないものに触れてしまうのではないかという、漠然とした不安が、伶の身体に纏わり付く。毎年優秀な魔法使いを輩出してきた神龍町──魔法学校の生徒の逃亡──昨年末突如発生した
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