第37話 大空の真ん中で、爆弾を盗む


 山田飛行士は、タイガーの指示通りに飛行船を操縦した。

 品川、目黒、渋谷。

 JRの線路に沿って北上し、繁華街の上、高層ビルの間を低く飛行する。

 そして、気づいたことがあった。

 地上の人々がスマートフォンでこちらを熱心に撮影しているのだ。

 最初は飛行船が珍しいからかと思っていた。だが、地上にいる人はほぼ全員が、まるで飛行船の到着を待ち構えていたかのように、スマートフォンを空に向けてきている。


 そして、それに気づいたのは山田操縦士だけではなかった。

 タイガーが嬉しそうに声を上げる。

「都民どもは、恐怖におそれおののいて、この飛行船を撮影しているな」

 だが、それに答えたのはサングラスの男。

「いいえ、タイガーさま。どうやら、アルセーヌ・ルパ子のようです」

「ん? ルパ子だって?」

「はい。ルパ子がSNSで飛行船の情報を募集しています」

「ふん、あんな婦女子に何ができるというんだ」

「ルパ子が宣言しています。『超新星爆弾を盗む』と」

「バカバカしい。おい、操縦士、今度は新宿だ。新宿の高層ビル街の間をゆっくり飛行してやれ!」


 山田操縦士は、言われた通り新宿に向かい、いくつもの超高層ビルが林立するエリアをめざした。

 新宿はとくに超高層ビルが多い地域だが、その手前にもたくさんの高層ビルが、守りを固める兵士のように立っている。あるビルとビルの上を抜けようとしたとき、山田操縦士はおかしなものを見つけた。

 いっしゅん見落としてしまうようなものだが、光の加減で山田操縦士はそれを見つけることができたのだ。


 それは、ビルとビルの屋上に渡された、いっぽんのワイヤーだった。

 あっと思ったがもう遅い。飛行船はすぐには止まれないのだ。

 横に渡されたワイヤーと、船体の下につるされた爆弾のワイヤーが十文字に絡む。二本のワイヤーがこすれる振動が飛行船の客室にも伝わり、タイガーたちが「なんだ」と声を上げる。そして、山田操縦士が答えるまえに、ワイヤーが、吊るした爆弾に引っかかり、飛行船は急停車した。

「わっ」

 悲鳴を上げてシートの中でひっくり変えるタイガー。

「いったい、どうしたんだ」

「ルパ子です」

 若い男が答えるのとほぼ同時に、飛行船がふいに今度はゆっくりと後進し始める。ワイヤーが伸び切り、それに引っ張られて後進しているのだ。

「いかん。爆弾を吊ったワイヤーが緩む。ワイヤーが緩んだら、フックを外されるぞ」


 爆弾はワイヤーにフックで吊るされている。フックがぴんと張っているときは、フックを外すのは無理だ。

 が、横に渡されたワイヤーに別のフックで爆弾が吊るされたとすると、飛行船からのワイヤーが緩んだのなら、そちらのフックは簡単に外れる。それこそ、女子の手でも。

 

 つぎの瞬間、飛行船は自由になって、前へと滑り出す。


「しまった」

 若い男が客室の後ろへ走る。

「やられた。爆弾を奪われた」

「なんだって」

 タイガーも慌てて後ろに走る。興味に駆られて山田操縦士も客室のいちばん後ろへ走った。


 なんと、ふたつのビルの屋上に渡されたワイヤーに、いまはぶら下がっている超新星爆弾のコンテナ。

 ということは、現在この飛行船の下には、なにもぶら下がっていないことになる。

 こちらのワイヤーから、あっちのワイヤーへ、ルパ子がフックをつけかえたのだ。さっき引っかかったタイミングで。


 ルパ子がみんなに撮影を頼んでいたのは、おそらくフックの構造を知りたかったからなのだろう。それにしてもあの一瞬でフックを掛け変えるとは、彼女の怪盗術は凄い。


「おのれ、ルパ子。どこにいる!」

 タイガーが拳銃を手に窓から乗り出して、ビルの屋上を探すが、怪盗の姿はない。

 ワイヤーの上でフックをつけかえたのだから、その姿はワイヤー上にあってしかるべきなのだが。


 だが、ちょうどそのタイミングで、搭乗口のハッチが、コンコンと外からノックされた。


 船内の三人が振り返ると、ロックされていたはずの搭乗ハッチが外から開けられ、白い上着に赤いマント、ミニスカートに長いブーツの少女が入ってくる。

「みなさん、ごきげんよう。美少女怪盗アルセーヌ・ルパ子、ただいま参上」


 くるりとターンをして、ポーズを決める。短いスカートの裾と、赤いマントが華麗に翻る。


「ふざけるな!」かっとなったタイガーが拳銃を向けるが、その腕を山田操縦士がつかんでねじり上げる。

「うっ」とうめくタイガーを床に引き倒し、山田操縦士はみごとな逮捕術でタイガーの両腕を手錠で後ろ手に拘束した。


「きさま、何者だ」

「何者って」山田操縦士は苦笑し、地声でこたえる。「まさか忘れたわけではないだろうな。こんなに変装がうまい警察官は、インターポールの秘密捜査官コンドルしかいない」

「なんと。またお前か」

「あら、おじさま。おひさしぶり」

 ルパ子がちいさく手を振る。


 事前に山田操縦士と入れ替わり、変装して乗り込んでいたコンドルはタイガーを拘束する。そして、タイガーの部下の、サングラスの男に告げた。

「あきらめろ。おまえたちの作戦は失敗だ」

 あきらめたように肩をすくめた若い男は、ゆっくりとした動作でサングラスを取った。


「え? ……先生」

 ルパ子が驚いた声を出す。

 先生と呼ばれたサングラスの男の正体は森屋瞬介。たしか誘拐されて爆弾を作らされた大学生だ。実は彼は、『シャドー』の人間だったということか。


 不敵な笑みを浮かべた森屋は、手を上げたままコンドルとルパ子に語りかける。


「そうさ。もともとぼくは『シャドー』の人間だったのさ。今回わざと誘拐されてみせたのも、『シャドー』が超新星爆弾を所持していることを宣伝するための演出ってわけ。ま、誘拐されたぼくのことをルパ子くんが助けに来てくれたのは、計算外だったけどね。ただ、あのときすでに爆弾は完成していたし、いい宣伝にもなるから君の救出劇に参加させてもらったってわけさ。また会えて嬉しいよ、ルパ子くん。このまえは君のおかげで、いい感じに超新星爆弾を宣伝できた。あの件に関しては、ありがとうと言っておこう」


 そういうと、森屋はさっとポケットからなにかを取り出した。

 リモコン装置だった。

 彼はそれを、これみよがしに掲げて、コンドルとルパ子を順番に見る。

「動くな。これは爆弾の起爆スイッチだ。ちょっとでも動けば、爆発させるぞ」


「やめておけ」コンドルは冷静に応じる。「爆弾はすでにルパ子くんによって盗まれている。あれは今頃、警察の手によって回収され、今ごろは解体されているはずだ」

 嘘である。おそらくまだ警察は通報も受けていないタイミングだろう。


「あははははは」

 しかし、森屋はけたたましく笑った。

「あっちの爆弾は偽物さ。本物は後席のスーツケースの中にあるんだ。まんまと騙されたね、ルパ子くん。そしてインターポールの捜査官さん」


 ええっ!とコンドルは焦ったが、ちらりと見るとルパ子は平然としている。が、父親であるコンドルとしては、ルパ子の親指がびくりと動いたのを見逃さない。


 ──波留も驚いたようだ。

 なんかちょっと嬉しかった。


 だが、爆弾はここにある……。この飛行船の船内に。



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