第24話 さよなら豪華客船


「撃て、撃てー!」

 ひとつ上のデッキでタイガーの叫ぶ声がする。つづいていくつもの銃声。


(おじさま、だいじょうぶかしらね?)


 ぺろりと舌をだしながら、ルパ子はデッキを駆ける。

 あのままあのおじさまと脱出しても、敵に撃たれるか、よくて警察のお世話である。なんとも無様なゴールしかない。だが、ルパ子は怪盗。華麗に逃げ出すのが信条だ。

 鉄のデッキをヒールの音も軽やかに駆け抜けるルパ子。


 巨大な客船は、港を離れ、横浜湾へ出ようとしている。だが、そのまえに絶対に通らなければならないポイントがある。


 ルパ子は舷側から身を乗り出して、行く手をみた。

 ここはまだ横浜の湾内。

 左右には湘南から東京へかけての夜景が、ちりばめられた宝石のように美しく広がっている。きらきら光る街の光と港のライト。燃え上がるような川崎工場地帯の照明。

 それはまるで隙間なく敷きつめられた輝石の砂浜。もしできるなら、これほど美しい宝物を、一度は盗んでみたいものである。


 そして、その宝石の絨毯の上にまっすぐに渡された、王冠のごとき輝き。

 ──横浜ベイブリッジ。

 

 巨大な白亜の吊り橋。架橋の巨人族。

 ライトアップされた橋げたと、優美に波打つワイヤー。ダイヤモンドのようにきらきらと光を放つLEDの輝き。


『ルパ子、この先に階段がある。三つ上のデッキまでつながっているから、そこを上がって。急がないと間に合わないぞ』


「わかってるわよ。まかせときなさいっての。わたしを誰だと思っているのよ」


 ルパ子は階段を駆け上がり、一番上のデッキへ。そこからさらに階段をのぼって、展望デッキへ。

 その上にある操舵室の脇のハシゴをのぼる。ちらりと見ると、操舵室内にいる船員と目が合う。

 ルパ子の姿をみとめて、ぎょっとしている船員に、ルパ子はアイドル・スマイルでウインクして先を急ぐ。


 操舵室の屋根を走り、目指すは煙突。ここまで上がると、まるでビルの屋上のような高さ。本当に、空の上だ。

 海上は周囲に視界をさえぎるものがない。まるで天空の庭に立ったような気分である。

 そして、いまのルパ子とほぼ同じ高さで、行く手から横浜ベイブリッジが迫ってくる。


 ベイブリッジの海面からの高さは五十五メートル。そしてこの豪華客船『クイーン・クリスタル』号の最大高が五十メートル。たった五メートルの差しかない。つまり、五メートル飛び上がれば、届く計算だ。


『いそいで、ルパ子。もうすぐ『クイーン・クリスタル』号がベイブリッジをくぐるぞ!』


 金田一がルパ子のGPS信号を受信して警告してくる。


「だいじょうぶよ」そもそもGPS信号はルパ子が放っているものだ。その当人がどの位置にいるかなんて、自分がいちばんよく知っている。


 下の方から男たちの叫び声が聞こえる。

「どっちだ! どっちに行った?」

「ルパ子をつかまえろ。絶対にだ」


 どうやらタイガーの部下たちがルパ子を追ってデッキを登ってきているらしい。これは見つかる前に退散したほうがよさそうだ。


 ルパ子は、行く手からぐいぐい迫ってくるベイブリッジを見上げる。

 ライトアップされた上側とちがい、その下面は薄暗い。海面に反射する夜景の光でほんわりと照らされているだけだが、それでもじゅうぶん橋の下にぶらさがる通路ははっきり見える。

 まるで海底から見上げるクジラのお腹のよう。


 来る!


 橋が迫る。ルパ子は煙突の手すりをのぼり、船の一番高い場所へ立つ。


「いたぞー。あそこだ!」

 下から声がする。

 デッキの階段を駆け上がって、黒ずくめの男たちが登ってくる。その何人かが、懐から抜いた銃をこちらに向けている。

「動くな。動くと撃つぞ」


 橋が来る。船がいま橋の真下に到達する。

 ルパ子の怪盗術には、拳銃の弾をよける技もある。おじいちゃんから受けた怪盗術の最終試験は、おじいちゃんが撃つ銃の弾を正確にかわすというものだった。だが、いま、このタイミング、この足場でその術は使えない。


 ルパ子はスカートのポケットからちいさいカプセルを出すと、ボタンを押して下に放り投げた。

 平賀屋特製、閃光手榴弾。

 ルパ子が投げたカプセルは、銃を構える男たちの視線のさきで、強烈な光を放つ爆発を起こした。音は出ない。が、その閃光はカメラのフラッシュの百倍。暗闇でルパ子をねらって目を凝らしていた男たちが「うぎゃー」と悲鳴をあげ、動きを止める。


 ルパ子はだが、彼らのその姿を確認せずに、空に向かって跳躍していた。

 約五メートル。ルパ子は狙い誤らず、正確に跳躍し、その頂点で手首に巻いた腕時計、平賀屋謹製『ワイヤー・ベビーG』のボタンを押し、強靭無比なピアノ線を放つ。

 電磁スプリングで発射されたピアノ線は、橋の下に吊り下がる通路の手すりに見事にまきつき、ルパ子の身体をミノムシみたいに宙にぶら下げた。


 だが、安心はできない。

 ここからワイヤーを巻き取らなければいけないのだ。

 ルパ子はボタンを押し、ベビーGのワイヤーを電磁モーターで巻き取る。


 ちいさな女性用ウォッチに仕込まれたモーターが、強烈無比な力でルパ子の身体を引き上げる。その速度は、エレベーターなんかよりもずっと速い。


「さすが平賀屋製」

 感嘆しつつ、通路までのぼったルパ子は、その手すりをのりこえて、キャットウォークに降り立つ。床に足をつけてほっと一息。


 下をのぞくと、巨大な豪華客船が、巨大な橋の下を、煙突をこするようにしてくぐってゆく。

 デッキの上では目をおさえた男たちが立ち尽くし、あとからやってきたらしいタイガーがなにやら怒鳴り散らしている。


 ルパ子は外洋に向けて出港していく豪華客船に向けて、大きく手を振った。


さよーならアデューー、悪の豪華客船『クイーン・クリスタル』号。人工クリスタル『スーパー・ノヴァ』は、いただきましたー」



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