第23話 わたしが囮になります


 タイガーの前から撤退したコンドルは、いったん安全な場所を求めて船内を移動した。

 トイレの中は見つかったら逃げ道がないので、やめておく。階段をあがり、上層のデッキに出て、金属アームで吊られた救命ボートの中へ、フードをずらして潜り込む。

 ここなら見つかる可能性が低いし、場合によってはこの救命艇を使って外に逃げ出すこともできる。とにかくここで、警視庁と神奈川県警に協力を要請しよう。場合によっては、海上保安庁の力も必要である。


 救命ボートのなかに潜り込んだコンドルは、だが、中に先客がいたことに気づいて、ぎょっとなった。

「何者だ」

 暗闇の中で銃を向けようとするが、狭すぎて無理。第一、人の気配はするが、暗くてどこにいるのか分からない。第一、ここで銃を使ったら敵に居場所がばれる。


「あら、おじさま。さきほどは助かりましたわ」

 女の子の、鈴を転がすような声が嬉しそうにひびく。

「おじさまのおかげで、ルビーを盗み出すこともできましたし」

「きみは……」コンドルは息をのむ。「ルパ子か?」

「あら、レディーを呼び捨てとは、おじさまは紳士ではないのかしら?」

「う、うむ」ちょっと咳ばらいしてコンドルは、言い直す。「ルパ子くんか?」

 なんでインターポールのこの俺が、窃盗犯相手に敬称をつけねばならんのだ、と心の中では思うのであるが。


「はい。美少女怪盗アルセーヌ・ルパ子です」

「自分で美少女って言うな」

「あら、いけませんか? 自分で自分をほめてあげるのは、大切なことだと思いますけど」

「きみは窃盗の常習犯だぞ」

「それはそうですよ、怪盗ですから」

 さも面白げに、ルパ子が笑い声を立てる。

「とにかく、いまわたしは、犯罪組織『シャドー』の密輸を追っている。君のことは所轄警察に任せるが……」

「まって」

 愛らしくさえぎられる。

「ということは、おじさまとわたしの共通の敵が、『シャドー』ということになりますね。ではどうでしょう? ここは一時休戦し、協力してこの船から脱出するというのは? いいアイディアではありませんか?」


「ううむ」

 コンドルはすこしだけ考えた。

「いいだろう。とにかく今は船から脱出しよう。このまま洋上に出られたら、どうにもならん」

「では」

 ぱちりと小さな光がともる。ルパ子はマスクの上に片眼鏡をつけていて、そこに小さなライトがついているのだ。そしてそのライトが照らすのは、リモコン装置。どうやら、救命ボートを海面に下ろすための、リモコンらしい。

「とりあえず、このボートを海面に下ろしますね」

 ルパ子はスイッチをいれた。

 モーターの音が響き、ふたりの隠れた救命ボートが横に動き出す。


「ルパ子くん。きみはやはり、あのアルセーヌ・ルパ夫の孫なのか?」

「あら、おじさま。祖父をご存じとは」

「ぼくらの世代では有名な人だ」

「わたしは祖父の怪盗術を継ぐ者です」

「そうか。で、きみはなぜ、怪盗を?」

「ふふふ、なぜでしょう?」マスクの下の愛らしい顔が嬉しそうな笑顔をつくる。「口では祖父の怪盗術を失わせないためと言っていますが、もしかしたらこのドキドキがたまらないのかもしれないですね」


 ワイヤーが軋む音がして、ボートが下がり始めたようだ。このまま待てばこのボートが海面につくまで、あまり時間はかからない。

 ただ、救命ボートが動き出したことは、船の防災システムに表示されているはずだから、すぐにタイガーたちが追いかけてくるかもしれない。


「では、おじさま。無事に逃れてくださいね。わたしが囮になりますから」

 いうや否や、ルパ子はリモコン装置を船の外に放り投げた。

「え?」

 おどろくコンドルの目の前から、カバーをすり抜けて姿を消すルパ子。

「ちょっとまて、どこへ……」

 あわててカバーから顔を出すと、ルパ子はブーツに仕込まれた仕掛けで数メートル跳躍し、さらに腕時計に仕込まれたワイヤーをとばして、船の手すりにぶら下がる。

「では、おじさま。さようならアデューー」

 ワイヤーを巻き取り、スカートの裾をおさえて中が見えないようにしながら、華麗に船内に戻っていく。

「ちょっと待ちたまえ!」

 叫んだが、後の祭り。

 そして、その声に反応して、船の舷側から、タイガーと彼の部下たちが顔を出す。

「あそこだ、あの救命ボートに乗っているぞ!」

 タイガーが指さし、部下たちが拳銃をこちらに向けて、つぎつぎと撃ってきた。

「うわっ」

 慌ててカバーの中に入り、船内の救命キットの影にかくれる。カバーにぷすぷすと銃弾が穴を開け、月の光が差す。


「くそっ、なにが『わたしが囮にだ』。あいつ、俺を囮にしやがった!」




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