第22話 船が……


「おー」

 背後の観客たちが拍手喝采する。歓声があがり、ピーと指笛を鳴らす者もいる。「ナイス・ショット!」という叫びも聞こえてきた。

 紅いルビーを天高くかかげ、ルパ子はポーズを決める。

「美少女怪盗アルセーヌ・ルパ子に、盗めないものはない!」

 乗客たちの構えたスマホや一眼レフカメラが、かしゃかしゃとシャッター音を鳴らす。


 催眠ガスが吹き出すと思って、鼻と口をハンカチでおさえてしゃがみこんでいたタイガーとコンドルが、あれ?という顔で辺りを見回す。

 だが、催眠ガスは噴き出してこない。

 ルパ子がビリヤードの要領で、紅いルビーを弾き飛ばし、かわりにその場所に赤いビリヤード球が残ったため、監視システムはルビーはなくなっておらず、まだそこにあると判断したのだ。


「みなさま、早く避難してください」

 乗客に向けて大声で叫ぶと、ルパ子は壁へ向かって走り出す。そして、タイガーとコンドルへ、別れの挨拶を。

「では、素敵なおじさまがた、今夜はこれにて、さようならアデューー」


「こら、ちょっとまて、ルパ子!」

 コンドルが声を張り上げる。

「逃げたぞ、撃て、撃てー」

 タイガーが部下に命じる。


 ルパ子はそのタイミングで振り返ると、手に持っていたもう一つのビリヤード球、真っ白い手玉を鋭いサイドスローで投球した。

 ぴゅーんと宙を走った白い球は、展示台の上にある赤いビリヤード球に当たって、それを弾き飛ばす。赤い球が白い球と入れ替わった。

 ビービーと警報が鳴り響き、警報システムが作動する。つぎの瞬間、フロアのあちこちから強力な催眠ガスが噴き出した。


「うわー」

「キャー」


 フロア内が大混乱になり、乗客たちが逃げ出そうとするが、たちまちのうちに催眠ガスを吸い込んでその場に倒れ、ぐーぐーと眠りこけてしまう。

 大階段の上にいたタイガーとコンドルは、ルパ子をおいかけて階段を降りてきていたが、慌てて回れ右して上へ逃げ出す。


 壁際にいたルパ子は、ハイサイ・ブーツに仕込まれたメカニカル・アシストの補助で、ぽーんと跳躍し、二階の高さにある回廊に飛び乗った。催眠ガスをのがれて、近くの非常ドアを開ける。中に入ったルパ子は、催眠ガスが入ってこないように、鉄の扉をきっちり閉めた。


 中は殺風景な非常階段。緑色の非常灯がやる気のない光を放っている。

 とにかく上へ逃げようと手すりにふれたルパ子は、はっとして、長いまつ毛にふちどられた大きな瞳を開いた。

(船が動いている!)


 手すりからは、力強いエンジンの振動が伝わって来ていた。船が動いているのだ。

(やられた)


 ルパ子はピンクのルージュの唇を噛む。

 豪華客船『クイーン・クリスタル』号はすでに出航してしまっている。岸から離れた船から逃げ出すのは不可能だ。ルパ子は怪盗術のいっかんとして泳ぎもおじいちゃんに仕込まれていた。いっぽうで、厳しく言われたこともある。


『いいかい、波留。いくら泳ぎに自信があっても、海や川はなめちゃいけない。それと、追いかけてくる船からは、泳いで逃げるのはぜったいに無理だからね。そのことだけは覚えておくんだよ』


 船がすでに岸を離れてしまっている。

 これでは、ルパ子は袋のねずみだった。





 コンドルは、ルパ子が催眠ガスを噴射させた瞬間、回れ右して階段をあがった。

 ちょうど隣でおんなじ動作をしていたタイガーと目が合う。


 あっ、となった二人はたがいに銃を向け合おうとするが、足元から噴き上がってくる催眠ガスの白い煙にぎょっとなり、阿吽の呼吸で銃を納めると、二人肩を並べて階段を全力で駆け上がった。上の階に到達し、観音開きの大扉を二人協力して閉めたところで、ほっと一息。つぎの瞬間には、二人して西部劇のガンマンみたいに早抜きした銃を向け合う。


「動くな、インターポールの捜査官」

 タイガーはコンドルに銃を向けながら、憎々し気に声を絞り出す。

「そちらこそ、観念したまえ。悪党め」

 コンドルはタイガーに銃を向けながら、冷静に命じる。

 が、ここで銃を向け合っていても仕方ないと内心思っている二人。


 じりじり後ろに下がりながら、たがいに距離をとる。

 だいたい十メートルくらい離れたところで、そろそろ弾が当たらないかな?という頃合いを見計らい、二人はくるりと踵を返して走り出した。


「今に見てろよ、捜査官め。かならず撃ち殺してやる」


「そっちこそ、首を洗って待っていろ。かならず逮捕してやる」


 二人して、負け惜しみをいいながら、廊下を反対方向へ走り出していた。




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