第2章 伝説のルビー『スーパー・ノヴァ』

第12話 伝説のルビー


 豪華客船『クイーン・クリスタル号』が横浜に入港したのは、六月六日だった。雨がざあざあ降っていた。


 世紀の豪華客船に乗っているのは、世界中のお金持ちたち。お金があまってあまって仕方なく、暇で暇でしようがない超大金持ちたち一千人をのせた豪華客船。それが、激しい雨の中、横浜の港にしずしずと入港する。斜めに突き出した巨大な煙突からは、黒い煙を霧のように吐きつつ、汽笛ばかりは盛大に鳴り響かせて、横浜大桟橋に接弦した。


 豪華客船『クイーン・クリスタル』号が横浜に停泊するのは一週間。

 その一週間のあいだに、豪華客船内は日本人観光客に開放され、赤絨毯の素晴しいロビーや、そこに展示された世界の秘宝が公開されるというのだ。


 クフ王のピラミッドから出土した王冠。古代アステカの文字が刻まれた王家の棺。アラスカで発見されたという、ほぼ完全な状態で氷漬けされていたマンモスの標本。ナチス・ドイツが秘匿していたという巨大肉食恐竜の化石。

 中でも超大目玉は、世界最大という伝説のルビー『スーパー・ノヴァ』だった。


 そして、噂では、その『スーパー・ノヴァ』を、あのアルセーヌ・ルパ子が狙っているというのだ。

 豪華客船『クイーン・クリスタル』号は、入港前から日本中の注目を集めていた。



 波留のお母さんは、介護の仕事をしていて、夜、家にいないことも多い。休みは不定期だし、日曜日に仕事に行くことも多い。

 が、普通に夜、家にいて晩ごはんを作ることもある。


 その日、波留が学校から帰ると、お母さんがいて晩御飯を作っていた。

「ただいまー、きょうのごはんなぁに?」

 たぶん普通の家庭では毎日繰り返されていると思える会話。だが、これは有瀬家では珍しいこと。なんか新鮮である。

「うん、カレーにしようと思っているの。たくさん作って、冷蔵庫にしまっておけば、あたためてまた明日も食べられるでしょ」

「その作戦かー」

 波留は頭をかく。母がたまにやる、「カレー保存食作戦」である。カレーならタッパにいれておけば、自分が仕事でいなくても、波留が一人でご飯を炊いてカレーを温めればいいのだから。

 つまり、今週も仕事が忙しいということである。


(ま、いいか。その方がルパ子の活動がしやすいし)


 子供のころは寂しかった母の留守だが、さすがに中学生になると、いてくれない方が気が楽である。とくに美少女怪盗である波留としては、その方がいろいろと都合がいい。


「ああ、あと来週お父さんが帰ってくるから」

「へー、そうなんだ」


 波留のお父さんは商社につとめている。いつも飛行機で世界中を飛び回っていて、めったに家に帰ってこない。日本にいることも多いらしいが、自分の家を素通りして北海道いったり九州いったりしているらしい。


 お父さんのことも、小さいころは、「帰ってくる」と聞くと万歳して喜んだが、さすがに中学生にもなると、父に会えると聞いて「わーい」とはしゃぐこともない。帰ってこられても、どうせ大した会話はないのだ。共通の話題がまったくないし。


 しかも、むかしはスマートで格好良かった父だが、最近はなんか太ってきちゃって、お腹なんかタヌキみたいに出っ張っている。顔もまん丸で、あごの下もたるんでいるのだ。

 出来ることなら同級生たちには見られたくない容姿の父なのである。


「もう、久しぶりにお父さんが帰ってくるんだから、もうちょっと喜んであげなさいよ」

 お母さんに注意されるが、「はーい」くらいの返事しかできない。自分がもっと大人だったら、帰ってきたお父さんに、演技で大喜びしてあげられるのだろうが、どうにもそんな気になれないのだ。

 波留がごまかすように冷蔵庫をあけてジュースを出すと、母から「ごはんの前に甘い物を飲まないの」と注意された。

 しかたなく、「はーい」といって部屋に上がるが、下の階にお母さんがいるのでは、おいそれと隣の金田一の部屋にも行けない。


(やはり、両親が家にいると、怪盗の活動に支障があるなぁ)

 ぼんやりとそんなことを考えてベッドにひっくり返った。



「ごめん、遅くなったわ」

 波留が金田一の部屋に窓から入ったのは、なんやかんやで夜の十時過ぎ。ご飯食べてお風呂入って、早く寝るからねとお母さんに伝えて部屋に入り、電気を消してからやっと窓を開けたという次第である。


「いいよ、ぼくはどうせ朝方まで起きているから」

「完全夜型人間だね」

「それが学校にいけない理由のひとつでもある」

「そうじゃないでしょ。ま、あんたに普通に学校へ行かれると、わたしは困るからいいけど」


 波留は金田一のベッドに腰かけると、床に落ちていたポテトチップスの袋をあけた。こいつの部屋はよく、床に食料が落ちている。ゲームのアイテムみたいに。

「それで、つぎにわたしが狙うべき宝物は決まった?」

 波留がたずねると、金田一が「ああ、決まった」と答えてキーボードを叩く。

「これなんか、どうだろう?」


 金田一が開いた画面には、美しい真っ赤な宝石が表示されている。

 鮮血のような赤。完全な球形に磨き上げられ、深紅の内部で七色の光が屈折して輝いている。まるで見る者の心を吸い込んでしまうような、魔性の宝石だった。


 その宝石こそが、伝説のルビー『スーパー・ノヴァ』だった。



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