第11話 いちばんの宝物


 喫茶店『ブラック・ジャック』は、夜の六時に閉店する。あまり夜遅くまで営業はしないのだ。

 純子おばあちゃんは、店内の明かりを消し、玄関のそとに出ている看板をしまうと、中にもどった。

 薄暗い店内は、厨房からもれる光がさすだけ。その薄暗い光の中に、ひとりの女の子が立っていた。

 頭にちいさなハットをのせ、上着はノースリーブの制服風。タータン・チェックのミニスカートに、膝までのロング・ブーツ。肩を覆うのは、ベルベットのハーフ・マント。

 顔はマスクで隠しているが、彼女が可愛らしい女の子であるのはよくわかる。

「あらまあ、エレガントな怪盗さんね」

 純子おばあちゃんが声を掛けると、美少女怪盗は白い長手袋につつまれた手をさしだす。その白い指先には、赤と青の宝石がはまった美しい指輪がのっていた。

 純子おばあちゃんにとって思い出の指輪。いまはきおじいちゃんが、若いころ結婚指輪として贈ってくれた『血と涙』。当時まだ無名だったおじいちゃんの友人、ダルーレが作った名作である。

 伝説の指輪が、美少女怪盗の白いシルクの手袋の上で、きらりきらりと光を放っている。


「悪い宝石商から奪い返してきましたわ」

 美少女怪盗は、指輪をテーブルの上に置いた。堅いマホガニーの上で、銀の指輪がことりと音を立てる。


「あらまあ、ありがとう」

 純子おばあちゃんは、にっこり微笑んだ。

「でも、その指輪は受け取れないわ。だって、盗んだものなのでしょう?」

「騙されてうばわれた物を取り返しただけです」

 美少女怪盗は優雅に小首をかしげる。

「盗んだのではなく、金庫から解放してあげたのです」


 純子おばあちゃんはくすくすと笑った。

「おもしろいことをおっしゃる怪盗さんだこと。エスプリがきいているわ」

 そういって、テーブルの上の指輪『血と涙』を指でつまみ上げる。

「取り返してくれてありがとう。でも、ごめんね。わたくし、この指輪は警察にとどけることにするわ」

「でも……」

「いいえ」

 純子おばあちゃんが『血と涙』を、厨房からもれる光にかざすと、赤と青の宝石が空の星のようにきらめいた。

「改めて見ると、これは本当に美しい指輪ね。こんなおばあちゃんのしわしわの指にはもったいない。たとえ悪徳宝石商の店頭でも、たくさんの方たちに見てもらった方が、この指輪も、これを贈ってくれたうちの主人も嬉しいと思うのよ。それにね、本当に大事なものは、ここにあるから」

 純子おばあちゃんは、そっと自分の胸をおさえた。


 美少女怪盗は、マスクの中で、その大きな瞳をそっと細める。

「そうですね。われながら無粋なことをいたしました」

 怪盗はそっと一礼し、マントを翻す。

「十一億円よりも価値のある物、マダムはすでにお持ちでした」


 その言葉が終わらぬうちに、怪盗の姿はまぼろしのように消え去る。

「それではマダム、さようならアデュー。またいずれ、あなたのタルトをいただきにあがります」

 別れの言葉だけが、残った。




 その後、ダルーレの指輪は、純子おばあちゃんの手から落とし物として警察に届けられた。そして、無事宝石商『シャイン・ドリーム』のもとに戻るのだが、ときを同じくしてネットの噂が立ち始める。


 あの指輪は、ダルーレが親友に贈ったたものであり、宝石商『シャイン・ドリーム』は犯罪集団が持ち主の老婦人だまし取ったものを、買い取ったのである、と。

 そして、美少女怪盗アルセーーヌ・ルパ子はその指輪を、だまし取られ女性のために取り戻してあげたのだという噂である。

 もちろんこの噂をネットに流したのは、金田一なのであるが。


 噂はネットで炎上し、『シャイン・ドリーム』は日本中から叩かれる羽目になる。そして、警察も動き出し、犯罪集団が摘発されることになった。


 宝石店『シャイン・ドリーム』は、人気回復のために、指輪の拾い主である老婦人に、拾得物のルールに従って一割、すなわち一億円を支払うことを発表した。だが、それでも『シャイン・ドリーム』の評判は回復せず、とうとう店は閉店することになる。

 そのため、お店にあった数々の宝石は処分されることになり、『血と涙』もオークションに出された。それを落札したのは、東京の国立博物館であった。

 ダルーレの指輪『血と涙』はだから、現在上野の国立博物館で、だれもが見ることができる。



「ということは、だ」明智亮馬が、腕組みして篠宮秋菜を見下ろしている。「けっきょくルパ子が盗んだ指輪は、博物館に展示されているわけだ」

「そうよ」

 つんとした顔で、秋菜が亮馬に言い返す。

「でも、ちゃんと宝石店からは盗んだじゃない」

「結果として自分の物には、できてないよな。つまり、盗みは失敗だ」

「全然ちがうじゃない。ちゃんと盗んで、それを本来の持ち主のとこに返しているんだから。ルパ子の大勝利でしょ!」

「いや、これはルパ子の大失敗だろう。持ち主の女の人は、それを警察にとどけているじゃないか」

「それはだから……」

 理由をいいかけて秋菜は口をつぐむ。


 話題の持ち主である老婦人が、自分のおばあちゃんであることは、純子おばあちゃんから厳しく口止めされていて、言えない。そのため、なぜ純子おばあちゃんが指輪を警察に届けたのかも、秋菜は説明することができないのだ。

「ほらみろ。悔しかったら言い返してみろよ。いつでも反論は受け付けるよ」

「くー」

 勝ち誇る明智亮馬、くやしがる秋菜。

 ちなみに二人はさっきから、席に着いた波留の左右で口論している。

「まあ、ルパ子の失敗っていうのは、間違いないわね」

 力なく波留がつぶやく。


「な、有瀬もそう思うだろ?」

 嬉しそうな亮馬。

 だが、波留はうかない表情でうなずくのみ。

 そして、ため息まじりにつぶやいた。


「怪盗なのに、ほんとうの宝物がなにか分かってなかった……」


「なにそれ?」

 秋菜が首をかしげる。


 波留はハッと気づいて顔を上げ、にっこり笑って秋菜にこう告げた。


「ねえねえ、それより今日、学校の帰りに『ブラック・ジャック』に行こうよ。あたし、純子おばあちゃんのチーズ・タルトが食べたいな」

 波留は心の中でつぶやく。


(あたしにとっては、あのチーズ・タルトこそが、いちばんの宝物だね!)

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