第4話 奪われた結婚指輪


 秋菜に連れていかれた喫茶店『ブラック・ジャック』は、学校から案外ちかかった。。いつも通る通学路から一本入った裏道に、ちょこんとある可愛らしい一軒家。その玄関がお店の入口になっていて、看板が出ている。

『ブラック・ジャック』

 飾りのついた取っ手をつかんでドアを開けると、カランコロンとドアベルが鳴る。中から香ばしいコーヒーの香りがただよってきた。

 波留はどきどきしながら、秋菜について店内に入る。

 ヨーロッパのアンティーク家具が並ぶ店内は、綺麗に掃除されている。一番奥にピアノ、手前にレコード・プレイヤー。大きなスタンド・ライトと、愛らしい猫の置物。

 どれもこれもがアンティークで、すっごく可愛らしく、丁寧に手入れされているのが一目でわかる。


「すごい」波留は本心から目を輝かせた。「すっごい素敵なお店。華麗だわ」

「ありがとうね」

 カウンターの向こうから、白いエプロンをつけた女性がにっこりと微笑む。

 真っ白い髪の毛のおばあちゃん。でも、肌の張りはよく、目尻の皺も少なくて、全然年寄りには見えない。身のこなしも軽やかで、これなら怪盗もできそうだと波留は感心した。

「おばあちゃん、あたしの友達の波留をつれてきたんだ。チーズ・タルトある?」

「うん、あるよ。じゃあ、タルトふたつにコーヒーふたつだね。コーヒーは、苦くないスイート・ブレンドを入れてあげるよ」

「わあ」

 波留は秋菜と並んで、カウンターの席に着く。


 純子おばあちゃんは、手際よくサイフォンを火にかけて、挽いたコーヒー豆を入れた。

「すっごい」波留はちいさく拍手する。「サイフォンのコーヒーって、あたし初めてかも」

「おばあちゃんはね、おじいちゃが死んでから一人でこのお店を開いたんだよ。で、おばあちゃんとおじいちゃんはね、若いころにフランスで出会って結婚したんだって。当時は二人とも絵描きを目指していて、で、おばあちゃんに一目ぼれしたおじいちゃんが……。あれ? おばあちゃん、そういえば、おじいちゃんがおばあちゃんに贈った結婚指輪、今日はつけてないの?」

「うん、それがね……」タルトの用意をしながら、純子おばあちゃんがふいに表情を曇らせた。「あの指輪、騙されて、取られちゃったの。まあ、おばあちゃんが悪いんだけど」

「えっ、それどういうこと? あれって、おばあちゃんの大切な、おじいちゃんとの思い出の指輪なんだよね」

「うん……」

 純子おばあちゃんは悲しそうに、微笑んだ。


 純子おばあちゃんの結婚指輪は、赤い宝石と青い宝石がはまった、すごく不思議なデザインの指輪だった。おばあちゃんは結婚するときにそれをおじいちゃんから贈られ、いつも肌身離さず大切に指にはめていた。

 その指輪は、まだおじいちゃんが若いころ、おばあちゃんに指輪を買ってあげるお金がなくて、親友のフランス人の男性にたのんで手作りしてもらったものらしい。


 おばあちゃんは知らなかったのだが、そのおじいちゃんの親友のフランス人は、のちに世界的に有名になる彫刻家のダルーレだった。

「ええっ、ダルーレ!」

 思わず波留は大声をあげてしまった。我ながらまだまだ修行が足りないとは思ったけど、なにせダルーレの名前が出てきたのだから、仕方ない。

 それほどまでにダルーレは有名な彫刻家なのだ。彼の描いたイラストが、去年フランスの美術館によって一億円で落札されたというニュースが流れたほどだ。


 そのダルーレが作った指輪を純子おばあちゃんが持っていた。

 それを知った国立美術館の職員が、ぜひその指輪を美術館で展示させてほしいをたずねて来たらしい。

 おばあちゃんは大切な思い出の指輪ではあるけれど、それがそんなに素晴しい芸術品であるのなら、自分一人で持っていないで、たくさんの人に見てもらった方がよいと思い、その話を受けたらしい。契約書を書いて、十万円で貸し出したそうだ。


 ところがその国立美術館の職員はまっかな偽物で、難しい言葉で書かれた契約書は、貸し出しではなく、売却と書かれていたのだ。

 おばあちゃんは大切な思い出の婚約指輪を詐欺師に奪われてしまった。警察や弁護士にも相談したらしいのだが、職員が偽物でも、契約書が存在するのではどうにもならないと、そう言われてしまったらしい。

「まあ、あたしが悪いのよ。それに、あの指輪は大切な思い出の品だけど、本当に大切なおじいちゃんとの思い出は、あたしの心の中にあるから」

 おばあちゃんはすこし無理に笑った。


「そうなんだ」

 秋菜はしゅんとしてうなだれる。

 だが、その隣でしずかにうつむく波留はぜんぜんちがうことを考えていた。

(おばあちゃんの大切なものを、だましてとるなんて最低! ぜったいにアルセーヌ・ルパ子が奪い返してやるんだから!)


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