第7話 大きな音が平気になったワケ。(長文です)

 私は大きな音が苦手です。


 以前、アパートのお隣に中国籍の男性(Wさん)が暮らしていました。ふだんは静かなのですけれど、目覚まし時計の音だけ爆音でした。ジリリリリ!! 耳をつんざく大音響が、延々と鳴り響きます。ずっとガマンしていたのですが、ある日たまりかねて「あのぅ~。目覚ましの音を小さくしてください~」とお願いに行きました。

 穏やかにお願いしたとはいえ、このご時世です。後で友人たちから「知らない人に苦情を言うなんて、危ない!」と、めちゃめちゃ叱られました。でもこれがきっかけでWさんとお友達になったので、結果オーライ☆ ちなみにWさんは「大きな音じゃないと起きられない」と、最後まで爆音を響かせてくれました(笑)。


 彼はずっと「この部屋は、職場から遠い。引っ越したい」と言っていました。そして「良い部屋が見つかった。引っ越す」と言って、転居しました。お別れするのは寂しいですがWさんは便利になるし、私は静かな生活ができる。めでたし。めでたし♪


 現在その部屋には、フィリピン国籍の男性(Aさん)が住んでいます。Wさんの次の、そのまた次の住人です。Aさんは集団で日本へ働きにきたらしく、同じアパートに仲間がたくさんいます。朝も昼も晩も、誰かれとなく訪ねてきます。そしてワイワイ言いながら、ご飯を食べます。お休みになると10人くらいで、昼から夜までぶっ通しで騒いでいます。興が乗ったときには、みんなで歌を合唱します♪♪♪


 以前の私なら、確実に病む状況です。一日に一度しか鳴らない目覚まし時計でガマンできなかったのですから。でも今の私は、違います! Aさんたちがずうっと騒いでいても「仲が良いね~♪」と、優しい気持ちで過ごせます。うるさいけど、平気。


それは、なぜか?


 答えはWさんの後に引っ越してきた、NくんとGさんです。このお二人のおかげで、後の住人Aさんの大騒ぎが平気になりました。

 私はNくんとGさんに会ったことは、一度もありません。最初から最後まで、声だけのお付き合い(?)でした。でも私の人生を、大きく変えてくれました。


……先に言っておきます。この話、感動する話じゃないです。ぜんぜんイイ話じゃないです。


 Nくんは、日本人の若い男性です。声のようすから、おそらく20代。引っ越してきた日は、声が60代の男性Gさんと、二人で作業をしていました。

 最初は「お父さんが、息子の引っ越しを手伝っているのかな?」と思いました。それにしては、二人の会話がやたらと多い。なんか、ヘン。親子じゃないと確信したのは、ベランダでタバコを吸っている二人の会話でした。


Nくん 「あの木は、なに? 梅の木?」

Gさん 「ちがうよ。柳の木」


 親子ならこの程度の会話は、子どもが幼い頃にするはず。子どもが20代にもなって、する会話ではありません。この二人、どういう関係なんだ?


 Gさんは引っ越しを終えても、部屋にいました。成人男性が二人で暮らすには、狭すぎるアパートです。しかも昼夜を問わず、客人が尋ねてきます。たまに隣の部屋と間違えたお客さんが、私の部屋のブザーを鳴らします。私の部屋に来てくださるお客さまは、必ず事前に連絡をくださいます。連絡がナイ訪問なので知らん顔をしていると、全力でドアを開けようとする! ガチャガチャガチャ! めっちゃ怖い! フツーじゃない! なんか、ヘン。


 そのうち、ヘンなことが増えました。60代くらいの女性がドアの前で「Nくん! Nくん!」と、絶叫するようになったのです。NくんもGさんも部屋にいるのに、居留守を決めこんでいます。ご婦人は部屋のブザーを鳴らしながら、執拗に「Nくん! Nくん!」と呼びかけます。毎日まいにち、朝も昼も夜も。

 NくんもGさんも辟易しているようですが、私もウンザリです。うるさい。

 けれどNくんは若いせいか、元気です。ご婦人がいない時は、お風呂で水をバチャバチャさせながら、大声で「ヤアアアア!」とか言っています。若いって、いいね☆


 ある日、私がおいしく夕食を食べていると、またご婦人の声がしました。

「Nくん! Nくん! Nくん! いるのは、わかってるんや!」

最初に聞いた時はビックリして飛び上がりましたが、こうも続くと慣れます。私は気にせず食事を続けました。業を煮やしたご婦人は、ドアを蹴りはじめます。ガン! ガン! ガン! 大丈夫です。ドアを蹴る音にも、慣れましたから。このお味噌汁、おいしい♪


ガチャン! ガチャン! ガチャン! ガチャン! ガチャン!

ガチャン! ガチャン! ガチャン! ガチャン! ガチャン!


突然、聞いたことのない大きな音がしました。驚いた私は、お味噌汁を盛大に吹き出します。ブーッ!! なんだ!? なんの音なんだ?

勇敢な私(バカとも言う)は、すぐドアを開けてようすを見ました。NくんとGさんの部屋の窓が割れて、ガラスの破片が廊下に飛び散っています。遠くに、自転車を漕ぐご婦人の姿が見えました。あの方が、犯人か。OK。わかった。状況はわかったので、ご飯に戻ります。私にできることは、何もナイです。関わりたくない。


 部屋で息を潜めていたGさんが、おそるおそるドアを開けました。ご婦人はすでに、はるか遠くです。Gさんは、ご婦人に向かって叫びます。「かかってこいや、ごおるああああ!!」。聞こえないと確信してからの、挑発。どんだけビビりやねん。負け犬の遠吠え。


 Gさんは廊下で、嬉々としてスマホで110番通報を始めました。そういうのは、お部屋でしてほしい……。でも私、耳をダンボにして聞くけど。

「Nくんの叔母に、部屋のガラスを割られた! すぐに叔母を逮捕してください!」めっちゃ、嬉しそう。よほど叔母さんがジャマなのでしょう。


 警察官は、5人くらい来ました。なぜわかるかと言うと、事情聴取はすべて私の部屋の前で行われたからです。まるっと聞こえます。さらに私も、耳をダンボにしています。

 Gさんは、Nさんの叔母さんが連日部屋に来ていたこと、ドアを蹴られて迷惑だったこと、今日はガラスを割られたことを滔々と話します。「だからアイツを逮捕してください!」めっちゃ、嬉しそうです。


 警察官は、慎重です。後ろ姿しか見ていないのに、なぜ叔母さんとわかるのか? 仮に叔母さんがガラスを割ったとしたら、動機はなんなのか? そもそもアナタは、いったい誰なのか? 途端にGさんは、口ごもります。何度も警察が尋ねた結果、Gさんの言い分が判明しました。


・俺(Gさん)は、Nくんの知人である。

・Nくんは、叔母に会うのをイヤがっている。叔母は、俺が故意にNくんを会わせないと考えて、俺を恨んでいる。

・俺の家は、別にある。一時的にNくんの家にいるだけ(←ウソ)。


どうやら当事者は、Nくんのようです。Nくんの借りている部屋に、Nくんの叔母さんが来て、ガラスを割った。けれどもNくんの声は、いっさい聞こえてきません。


 警察がGさんから事情聴取をしている間に、叔母さんが見つかったと連絡が入りました。叔母さんは、自分がガラスを割ったと認めている。持参したカナヅチで、窓ガラスを割って侵入しようとしたけれど、ガラスに人が入れるほどの穴が開けられなくて、諦めたらしい。鉄線の入ったガラスって、そういう効果があるのですね。知らなかった。

 ガラスを割った犯人は、わかりました。後は法律に則った流れで終息に向かう…と、私は考えていました。ところが警察は、ありえないことを言い出したのです。


「じゃあNさんに、覚〇剤の検査をさせてもらえますか?」


えええええっっっ!? どういうことおおおおおおっっっ!?

ガラスを割った叔母さんも、うるさいGさんもすっ飛ばして、Nくんの〇醒〇いいいいいいいっっっ!?


 そうなのです。Nくんは、イケナイお薬を使っていたのです。お風呂でハシャイでいたのは若さではなく、お薬のせいだったらしい……。そして多分、たくさん来ていたお客さまたちは、お薬を買いに来ていたらしい。どうりで切羽詰まったようすでドアをガチャガチャするわけだ…。お薬が、切れてたのね……。

 どうやら警察は、すでにNくんをマークしていたようです。だからGさんから通報があったのは、超ラッキーだった。棚からボタ餅状態。すぐに来るワケだ。


 Nくんは任意同行のすえ、二度と帰ってきませんでした。これだけでもウンザリな大騒ぎなのですけれど、本番はここからでした。

Nくんがいなくなった後もGさんは部屋に住み続け、あらゆるトラブルを起こしてくれたのです。


 最初は驚いた警察の訪問も、すぐに慣れました。だって何度も来るのです。Gさんに脅された方の訴えで警察が来たかと思うと、逆に「脅された!」というGさんの訴えで、警察が呼び出されます。それが何人も、何度も続く。なぜか警察は毎回、私の部屋の前でGさんとお話をします。その合間に、Nくんがいなくなったと知らないお客様たちが、ドアをガチャガチャしに来てくれます。Gさんはお金に困っているようで、あちこちに電話をします。あちらから借りて、こちらに返す…かと思うと、返さない。返せよっ! 督促の電話が何度も掛かってきます。もちろん督促の訪問も、ありまくりです。


 Gさんは寂しがりやさんらしく、あちこちに電話を掛けます。お年を召して朝が早いので、朝の4時から電話をします。お耳が少し遠いようで、大きな声でお話されます。お話の内容は、聞きたくなくても聞こえます。最初はダンボにしていた私の耳に、耳栓を詰めて過ごすようになりました。それでも声が聞こえてくるので、窓はすべて締め切ります。暑くても窓を開けると声が聞こえるので、ずっとクーラー生活です。電気代は、べらぼうにかかります。それでもGさんの大声は窓を振るわせて、私の耳に飛び込んでくる。


 Gさんは、あちこちに電話を掛けます。グチグチ、ネチネチ、俺にはヤ〇ザの手下がいる(ウソ)、お前なんかすぐに潰せる(ウソ)、金はすぐ返す(ウソ)、誠意を見せろ(恐喝)。私は、うんざりします。グチっぽくて、しつこい。


 もしも私がGさんに会ったら、トラブルが勃発する。ありえないイチャモンをつけて金をせしめようとするGさんの手口は、すべて聞こえています。絶対に会うワケにはいかない。会わないようにするには、外出しない。私の引きこもり生活に、拍車がかかります。文字通り、息を潜めて生活しました。延々と続くグチを聞き続ける日々。でも、引っ越すお金はない。


 終わりがいつ来たか、よくわかりません。「この頃、静かだ」と気づいた時には、Gさんはすでに行方をくらましていたようです。割れたガラスはそのままに、隣の部屋は空室になりました。


 長い間ガラスは割れたままで冬を越し、春になりました。ある日、ガラスが新しくなったと思ったら、ワイワイガヤガヤとフィリピンの言葉が聞こえるようになりました。

 最初は男の子ばかりだった笑い声に、女子たちの声も混ざるようになりました。みんなでご飯を作ったり、アハハ!と笑う声がします。私はフィリピンの言葉を知りませんけれど、いつでも楽しそう。みんながフィリピンの歌を合唱している時は、私も一緒に鼻歌を歌います。真夜中に廊下で話し声がしていても、うるさいとは思いません。だって、すごく楽しそうなのですもの。


 ちょっと前の私なら、彼らに苦情を言ったと思います。でも今は、お礼を言いたいくらいです。いつでも楽しそうで、聞いている私もニコニコします。

振り返れば私の変化は、Gさんのおかげです。Gさん、ありがとうございます。どうかご無事で……。
















 

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