ワトゥ・アーサー・ニェウシ

14


──狩りの時間だ、HHHヒューハホー


 歌が聞こえる。都内最大の獣人居住区、ニィカを赤い仮面の男たちが練り歩いていた。あえて踏み鳴らすかのような革靴の音。アルバート・ロスもまた、彼らと同じ仮面を被り、両隣の仮面とリズムを揃えるようにして歩いていた。


──開拓者アイランダーの末裔よ


 街は息を潜めていた。トタン板の集合体がフジツボのように地面に貼り付いている。獣人たちは、あそこで先史時代のような暮らしを送っているのだ。ひどいものだと、泥を塗り固めただけの到底家とは言えないようなものまでもが散見される。そしてその全てが一様に、薄っぺらな戸を閉ざして闖入者を拒んでいた。


──炎を翳せ! 追い立てろ!


 アルバートは男たちと共に声を張り上げる。俺は、いったい何をしているのだ。右の手には棍棒バットが握られている。アルバート・ロスは進歩的な考えを持った警察官だ。少なくとも本人はそう自負していた。歌が聞こえる。その中にはアルバートの声もあった。諦観と、嫌な汗が首筋を伝う。


──狩りの時間だ、HHHヒューハホー


 極めて過激な人種主義を掲げる秘密結社、Humanヒト Habitat生存圏 Holders防衛団──略称HHHヒューハホーの構成員は、多くが彼らの父や祖父の手引きによって入団している。ロス家は古くからHHHの枢軸を担っていた。アルバートもまた、先祖の例に漏れず、25歳にして一族がHHHに所属していることを打ち明けられ、役割を継ぐことを求められたのだ。


 アルバートは覚えている。あの日、幼い頃から見知ってきた世界の全てが様相を変え、彼に仮面を差し出してきた。彼はそれを拒むことができたのかもしれない。けれど、怯えてしまった。自分が元々暮らしていた世界から、完全に切り離されてしまうことを。そうして今、彼は顔を赤く隠して歩いている。


「いいか、これは躾だ」


 叔父が熱に浮かされた様子で語り掛けてきた。「恐怖を刷り込む。鞭を与えてやる。そうしておかないと、獣人は立場も忘れて暴れ出すからな。あいつらには理性がないんだ」アルバートは少しの逡巡の後、ぎこちなく頷いた。


 列の先が騒がしくなった。団員たちが何かを取り囲むようにして円を成している。「行くぞ。お前も経験しておいた方がいい」叔父がそちらに向かって足を動かした。アルバートも置いて行かれないようについていく。


 仮面、仮面、仮面の群れ。間を縫っていくように進むと、やがて円の内部が見えた。獣人だ。小さな子供が六人、女が二人、男が三人。より頑健な者がよりか弱いものを庇うようにして身を寄せ合っている。いちばん外側で腕を広げている犀獣人は、何度も棍棒で打ち据えられながらも、獣人語で何かを必死に叫んでいた。だが、やがて暴力的な一撃が側頭部にめり込むと、さっきまで耐えていたのが嘘のように、犀獣人はふらりと崩れ落ちる。


「こんな時間に外をうろつくなんて、何をしようとしていたのだか」

 ──セクサーサー。叔父がアルバートのことを示す秘匿名を口にした。

「お前もやっておけ。通過儀礼のようなものだ」


 促されるままに一歩踏み出すと、HHHの団員が数人、黙礼と共に道を開けた。右手の棍棒がやけに生温く存在感を主張する。歩み寄る。傷を負った獣の塊に。獺獣人と馬獣人の青年が怯えに震えた目でこちらを見つめている。彼らの背中の陰で、十と少しの幼い瞳が揺らいでいる。アルバートは凶器をゆっくりと振り上げた。ひどく、重く感じられた。背後では仮面の男たちが彼の様子を見つめている。


 息を吸う。息を吐く。何度繰り返したことだろう。心の底では、自分が躊躇っている内に、他のやつらが事をし済ませてくれないか、という思いもあった。逃げ出したかった。やがて腕も疲れてきて、気が弛んだその瞬間に「どうした」と横から声が掛かる。


「……」アルバートは獣人を殴打するために吸った息を吐き出した。そして、良心を取り戻すための息を吸って「すまない。僕にはまだ、難しいかもしれない」と震える声で告げた。


「そうか」仮面から覗く叔父の眼差しはいつかのように優しいままで。「初めてだものな。仕方のないことだ。失敗もまた経験になる。決して無駄にはならないから、大事に覚えておくんだ。よし──」叔父は団員たちの方に向き直って手を軽く上げる。


 直後、アルバートは瞬く間に二人の獣人の頭が砕かれるのを見た。


「新入りが踏みとどまってしまった。この獣どもはここで殺しておけ。HHHとは即ち恐怖だ。躊躇いの一つもない秩序の装置でなければならない。こいつらの頭を全部潰して、見たことを誰にも言えないようにしてやれ」

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