13


「飲んでるかーい! ギルバートちゃん!」


 ファジュル・ワマブベシは襲い掛かった。晴れた空のような薄青のシャツと色素の薄い髪を目がけて、背後から。ごとん、とクルスの持つグラスが机にぶつかる音がする。よし、こぼれてはいない。数滴飛び散った程度だ。大丈夫だな。今日のボクはいたく機嫌が良い。彼の髪の毛をわしゃわしゃとしながら絡み続ける。


「偉い、偉いぞっ! 身分証を確認されて警察にしょっぴかれるリスクも恐れずに生徒を助けるために都市を駆け回ったなんて! お姉さんは感動した!」


 前にクルスと二人きりで飲みに行ったときも同じような醜態を晒して散々後悔したのは覚えているが、どうにも心がふわふわして言うことを聞かないのだ。ミスター・ロジやらミスター・ヤチャチクが席の向かいで苦笑している。あ、司祭様がこっちに気付いたらしい。水を注文している。ボクに飲ませる気だな。酔っぱらい扱いするなんてあんまりだ。いや実際に酔っぱらいではあるのだが。


 この歓迎会は彼女が企画してシュジャア司祭に掛け合ったものだった。児童三名の失踪事件の一部始終をエドワード・ファナから聞いたのだ。いつまでもクルスによそよそしい態度を取っている訳にもいかない。多少はこちらから歩み寄るべきだと考えて、どうすれば「学校」の職員としての親睦を深めることができるのか。結果、その手段が本当に正しいのかは別として、食べて飲んで話すのが一番だ、という答えに辿り着いた。


「ファジュル先生、大の男を捕まえて『ギルバートちゃん』は止めてください。ミスター・クルスと呼ぶべきです。ほら、復唱してください。ミスター・クルス」


「クルスちゃん」


「違います。ミスター・クルス」


「ミスター・クルス」


「よくできましたね、偉いですよ」


 逆にこちらが子供扱いされてしまった。釈然としないファジュルの表情を見て楽しげに笑っている。何だか以前より雰囲気が柔らかくなったように感じられた。


「キミさ、そんな風に笑えるんだね。実はロボットなんじゃないかと疑っていたんだけど」


「心外ですね。喜怒哀楽くらいありますよ、人間なんだから。笑う機会がなかったから笑っていなかっただけです。空気がピリピリしていると、どうもね」


 それもそうか。今までずっと周りの人間のほとんど全員に警戒心を剥き出しにされていたのだ。聖堂は気が休まる場所ではなかっただろう。以前、一緒に食事をしたときの彼の言葉通り、給料以外にここにいる理由はなかったのかもしれない。だが、熱心なように見えなかっただけで、じっさい彼は真面目に働いていた。今振り返ってみればそれが嬉しい。とはいえ、疑いの目を向けていたのは自分も同じだ。


「ボクも随分冷たい態度を取ってしまった。今では申し訳なく思っている」


 するとクルスはきょとんと首を傾げて逡巡した後、急ににやついて、


「ああ。あれは僕のこと警戒していたんですね。仕事中ずっとじろじろ見られるものだから、気でもあるのかと思っていました。仕方のない子猫ちゃんだなあ、と」


 大して興味もなさそうな様子で言った。隙あらばからかおうとしてくるようになったのは、喜ぶべきか、怒るべきか。多少は心を許されたということなのだと納得したい。「なにおう、ボクはライオンの獣人だぞ!」と言ってみると「こだわるのはそこでいいんですか」と頬を弛めていた。


 ──案外付き合いやすいやつなのかもしれないぞ。


 ウィンビ君とカーミル君がずっと喧嘩をしている渦中にいながら放置していたり、時折ひどく酷薄なことを言ったりと、どうも周囲にあまり興味がなさそうな嫌いはあるが、その程度のズレは同族間でもある。そしてファジュルはそのズレを埋める努力をしてでも深く話をしてみたいと思うくらいにはクルスを気に入っていた。


 自分の受け持つ生徒たちが仲違いをしていくなか、ファジュルは何もできなかった。やったことと言えば、クルス相手に大した情報も引き出せずに酒に飲まれたことだけである。彼本人の話しぶりから察するに渋々とは言え、行動を起こして実際に子供たちを助けてみせたクルスのことが羨ましかった。あの事件が解決してからカーミル君の様子は落ち着いているように思えるし、ファナ君もまた楽しそうに笑うようになった。これでも感謝しているのだ。


「クルスくぅーん」


「いえ、ミスター・クルスと呼ん……あー。まあいいです。何ですか」


「キミの前であんなに理想論をぶったというのに、ボクは全然ダメだ。生徒の助けになれなかった。慰めてくれ」


「嫌です。自分で立ち直ってください」


「そんなぁ」


 それでも「クルスくーん、おねがいだよー」と纏わりついていると、後ろから肩をがしっ、と掴まれた。


「ファジュル先生、ミスター・クルスにちょっかいをかけるのもその辺にしておきましょうね」


「司祭殿、待ってくだ」


 言い終わらないうちに隣の卓に連行されていく。酒を取り上げられ、水を持たされた。飲む。酔って火照った体を内側からひんやりとした感触が通っていく。酔いが覚めるからあまり飲みたくないのだが、目の前で司祭殿が監視しているので飲む。


 ふとクルスの方を見やるとミスター・ロジやミスター・ヤチャチクとのんびりとした様子で談笑をしている。さきほどより表情は薄いが、機嫌は良さそうだった。別にからかったりはしないらしい。意地悪をされるのはファジュルだけのようだ。二回も連続で酒の席で醜態を晒したのが良くなかったか。舐められているのは確実だ。


 そこまで考えたところで「ファジュル先生?」と司祭殿に咎められた。明日、個人的に叱られるかもしれない。どうしたものか。

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