12


 エドワード・ファナとジョン・ウィンビは存外早く見つかった。だが、状況がまずい。二人の側には警官がいた。しまった、一歩遅かったか──ギルバート・クルスは唇を噛んだ。駆け出そうとしているナスリー・カーミルを片手で必死に抑えながら、なるべく相手を刺激しないように、慎重に、にこやかに、堂々と近づいていく──カーミル君、ずいぶん力が強くないか? 本気で押し合いへし合いしている訳でもないのに、成人しているはずのクルスが力負けしそうになっていた。とにかく、早いところファナ君とウィンビ君を引き取ってこの場から離れなければ。


「おや、二人とも。こんなところにいたのですか。全く、ちょっと目を離した隙に迷子になるなんて。警官殿に保護していただけていたようで良かった。いやはや、お務めご苦労様です。お手数をお掛けしてしまって申し訳ありません。彼らは私が引き取りますので。エドワード、ジョン、ほら、帰りますよ」


 獣人を飼っているか雇っている裕福なヒト、という体でいく。どうせファナ君もウィンビ君も身分証なんか持っていない。あれを亜人が取得しようとすると手続きが面倒になるし、よしんば手に入れたとしても普段ムニャマ地区で暮らしている限り持ち歩くこともないだろう。彼らはカーミル君との喧嘩のはずみで都市に迷い込んだのだ。持っているはずがない。ならばせめて彼らはヒトの管理下にある、というフリをしなければ。目の前で、生徒が不法滞在を理由に連行されていくのをおめおめと眺めていたとなれば、一体何と後ろ指を差されるか。


 ふと右手に掛かる力が弱くなった。振り返ると、ナスリー・カーミルが何とも言えない表情でこちらを見ている。僕の耳元に口を寄せると「クルス、お前本気か? いくらなんでもそれは怪しまれるぞ」などと忠告をくれた。「余計なお世話です。僕に任せておきなさい」と小声で返しておく。あんまりこそこそしていても、それこそ不審に思われるだろう。


「あなたは……氏の関係者でしょうか?」


 冷や汗が流れた。こちらの事情を知っているのか、この警官は。獣人の子供の飼い主なんて演技は止めだ。下手にバレるような嘘を吐くわけにはいかない。いくら容姿が純血のヒトに近いとは言え、身分証明を求められればクルスだってボロが出る。なるべく話を合わせて、相手に疑いを持たれないようにしたかった。


「ええ、はい、そうです。職員として、この子たちの面倒を見ていまして。はい」


「ご氏名は?」


「あー、その、です」


 ナスリー・カーミルが服の背をくいくいと引っ張ってくる。言いたいことがあるのだろう。分かっている。自分でも情けなかった。焦っているせいか口早になってしまい、不審な印象がどうにも拭えない。言い訳もあまりにつたなかった。


 まごついていると、目の前の警官がくすりと笑った。どうも剣呑なことにはならないで済みそうだ。自分のなかの緊張が緩むのを感じる。


「心配なさらなくて大丈夫ですよ。彼らを検挙するつもりはありません。別に窃盗か何かをした様子でもなかったので。ムニャマ地区の手前までお送りしましょう」


 その言葉が本当ならありがたい。だが「いいのですか?」ファナもウィンビも今は「身元の怪しい不審な獣人」である。こんな夜中に身分証も持たずに街をうろついていたのだ。逮捕する理由に困ることはないだろう。クルスが二人の責任者であるというのも、まだ口だけで証明になるものを出したわけではない。


 流石にそこまでは言えなかったが、そんな思いを込めて尋ねると、


「ええ。獣人とはいえ、子供に罪はありませんからね。賢い子たちです。受け答えもしっかりしているし、礼儀正しい。あの野蛮な生き物と同じ種とは到底思えないくらいです。あなたたちのの賜物でしょう。しっかり育ててやってください」


 返ってきた答えに嫌な記憶を思い出しそうになった。顔が歪まないように笑顔を作り直す。「ふふ、ありがとうございます」などと言いながら、ナスリー・カーミルを背中に隠した。ファナ君もウィンビ君も表情を取り繕えているのだが、彼だけはどうも難しいらしい。一瞬ちらりと見えた目には怒りや苛立ちが溢れていた。


 警察の彼はアルバート・ロスと言うらしい。道すがらぽつぽつと話をした。「お幾つなんですか? へえ、二十三歳! 思ったより歳が近かったので驚いてしまいました」「なぜ獣人の教育なんて慈善活動を?」「なかなか渋い声をしていますね。さぞやご婦人にお持てになるでしょう?」……いや、ロスが話しかけてくると言った方が正しいか。妙に馴れ馴れしくて気疲れする。クルスが実は獣人の血を引いていることを知れば、この男はどんな態度を取るだろうか。少なくとも好意的なものではないはずだ。「騙したのか!」くらいは言ってくるかも知れない。


 街並みが次第に寂れてきて、まばらなフェンスや塀が見えるようになってきたころ「では、自分はここまでですね」とロスが告げた。


「はい。お世話になりました」


「クルスさん、またお会いする機会があれば、お茶でもしましょう。僕、良い店を知っているんです。二番街の方に、壁が白くて清潔感のあるカフェがあって。店名は『ゴロンドリーナ』と言うのですが、」


 曖昧に微笑んで「ええ、そのときは」なんて返す。早く立ち去りたかった。ロスがムニャマ地区にまで入って来る様子はない。ヒトのなかには獣人に嫌悪感だけでなく漠然とした恐怖を抱く者もいる。多分、彼もそれなのだろう。名残惜しげに手を振る彼に手を振り返しながら距離を取っていく。警官の制服が塀やトタン板の家に隠れてすっかり見えなくなると、クルスたちは示し合わせたかのように走り出した。


 遠目に聖堂が見える頃には息が切れていた。もう大丈夫だろう。土埃で汚れるのも気にせず壁に寄りかかる。ナスリーなどは地面に倒れ込んで休んでいた。聞き慣れた声がした方を見やれば大人たちが駆け寄ってくる。知らない顔の獣人が半分、知った顔の獣人が半分、と言ったくらいか。なかにはシュジャア司祭やファジュル・ワマブベシもいた。


「カーミル君」


「何だよ」


「今回は、僕もかなり頑張ったと思うんですよ。それこそ何か報酬があってもいいくらいに。あの警官の前で君たちがボロを出さないよう矢面に立って、必死に庇ったつもりです。恩人と言ってもいいくらいではないでしょうか。そこでカーミル君」


「……無茶なことを言ったら殴り飛ばすぞ」


「せめて、聖堂にいる間はもう少し聞き分けが良くなってくれませんか。今日みたいな目に遭うのは二度とごめんです」


「そうか、俺もだ。二度とごめんだね」


 ナスリー・カーミルがへらりと笑ったのに目を見開いて、クルスは相好を崩した。


「結構、それで充分です」

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