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「クルス君、少しいいでしょうか」
受話器を耳に当てると、誰か男の柔らかな声が聞こえた。
「……司祭殿?」
「はい。オースティン・シュジャアです」
珍しい。聖堂で働く以上、雇い主に電話番号は伝えていたが、連絡のほとんどは対面で済ませていたから。何か臨時の用が──例えば明日の予定に変わりでもあったのだろうか。それとも、
「エドワード・ファナ君と、ジョン・ウィンビ君について、尋ねたいことがあるのですが」
「はあ」
いつになく性急な口ぶりだった。シュジャアは──というかクルスの知る獣人の多くは、話をするとき中々本題に入ろうとしない傾向がある。直截を恥とするような文化でもあるのだろうか、と思うほどに。今日のような様子は珍しい。
「今日、最後に彼らに会ったのはいつですか? そのときの様子も、覚えているかぎりで構いませんので、教えてください」
──どうも話が長引きそうだ。
空いている左手で椅子を引き、腰掛ける。ぎい、と擦れる音がして、顔を顰めた。身の丈に合うアパルトマンのなかでいちばん綺麗な部屋を借りたのだ。蓄えができれば引っ越すつもりだとは言え、今はなるべく傷つけたくない。金はかかるが、敷物を買うべきだろうか──思考に沈みそうになる意識を引き上げた。いけない、どうにも気が散っている。早く済ませたいが、どうなるか。
「ウィンビ君とは放課後までは一緒にいました。教科書で分からないところがあると言うので、西教室を借りて個人的に指導を。様子は、別に。普通だったと思います。ファナ君は……ああ、カーミル君と連れ立って、ウィンビ君を迎えに来ていましたよ。来てすぐに帰っていったので、様子がどうだったは分かりません」
「そう、ですか。ご協力感謝します」
シュジャアはそれきり言葉を継ぐ気配がない。ここで電話を切られるのはまずいのではないか、と漠然ながら思った。何か今、厄介事が起きているのは確実だ。どうもクルスはそれに関しての聴取を受けているらしい。故意ではなくとも、言うべき情報を言わなかったということにされれば立場が悪くなる。何の事情があってどういう報告が求められているのか、それも分からないまま辻斬りのように探られるのでは、安心できない。
「司祭殿」
「何でしょう?」
「どのような事情があるのか話していただければ、より効果的な情報提供ができると思うのですが、どうでしょう。後から隠し事をしていたと言われるのは本意ではないので、もう少し付き合っていただけませんかね」
シュジャアは僅かに躊躇ったようだった。「あー、その」と数拍迷った後に
「あなたの関与を疑う声も出ています。あまりこちらの情報を漏らすわけにはいかないのですが」
「別に、何が起こったのかくらいは教えてくださってもいいのでは?」
流石に、身に覚えのない事件の犯人扱いをされては焦る。受話器の向こうの沈黙が、やけに途方もなく感じられた。どっ、どっ、と嫌に大きく聞こえるのは己の心音か。
「……ファナ君とウィンビ君が、現在行方不明になっています」
「それは」
ナスリー・カーミルと何かあったか、と小さく舌打ちをする。誘拐事件の可能性もあるだろうが、それで真っ先に疑われる人間はクルスだ。ムニャマ地区は獣人の町で、そこに出入りする自分は異物である。ゆえにその可能性は余り考えたくない。
「それで、ミスター・クルス。何か心当たりは?」
「──ナスリー・カーミルは、このごろ随分気が立っているようでした」
「ふむ」
「ジョン・ウィンビの話を聞いているかぎりカーミル君は、僕が聖堂にやってきたことを警戒していたのではないかと考えます。彼がエドワード・ファナを連れて迎えにきたときも、かなり苛立っている様子で。僕に対して『ジョニーに何かすれば、刺し違えても止めてやる』なんて言い出して……そのときは口頭で注意するに留めたのですが、ウィンビ君とも、それで揉めている様子でした。聖堂からの帰りの途中で、一悶着あったのかもしれません。彼からも聴取することを提案します。言っておきますが、僕は何もしていませんよ。職場で問題が起これば、困るのは僕だなんてこと、雇い主のあなたが一番知っているでしょう」
「ええ、ええ。重々承知しておりますとも」
しているものか。呑気な返事にまた舌打ちが零れた──くそっ、このまま何かあれば槍玉に上げられるのは僕だ。そうなってまで暖簾と腕押しを続けるつもりはない。挨拶もそこそこに電話を切ると、大急ぎで身だしなみを整える。転げるように玄関に向かい、帽子掛けからダスターコートを外して背中に羽織った。
ドアを開け、戸締まりを済ませ、足早に夜の街を行く。
あの狭いムニャマ地区で見つからないということは、ヒト居住区にまで出てきてしまっているのかもしれない。警察より早く保護できれば──僅かな望みだが、ないよりはマシだ。こうして何か行動を取れる、それだけで多少気が紛れた。
「どうして僕がこんなことを……っ!」
唇を噛む。まただ。また僕は立場を失おうとしている。前は「獣人だから」、そして今回は「ヒトだから」などというバカげた理由で疑われるとは。居場所と言えるほど心地が良い職場ではないが、やっと手に入れた安定なのだ。易々と追い出されてたまるか。蹴り飛ばすように足を速める。ひとまずムニャマ地区に近い通りに向かおう。バスの便はまだあるだろうから、それを使って、それから。
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