6
「……いた! くそ、またあいつと一緒だ」
エドワード・ファナは止めようとした。止めようとしたが、止められなかった。袖を掴もうとした指もすり抜けて、ナスリーがずんずん歩いていく。もう腹を括るしかない。自分よりずっと歩幅の大きい彼に置いていかれないよう、僅かに小走りで後を追った。一足ごとにサンダルの踵がぺたぺたと音を立てる。
日が傾き始めた西教室、ナスリーの目当ての人物はそこにいた。教科書にメモ書きを走らせながら楽しそうに笑っている。その対面に座っているのはミスター・クルスか。道理でナスリーの機嫌が悪いわけである。
「おい。ジョニー、帰るぞ」
いつになく乱暴な声色だった。ナスリーがむりやりにジョニーの腕を掴んで席を立たせる。ジョニーも「待って、ナスリー。先生は」と抵抗しようとしたが、簡単に引き上げられてしまった。
「おや、お迎えですか。ウィンビ君、ごきげんよう。忘れ物はないですか。そう。ない。それは結構」
ミスター・クルスは呑気に机の上のテキストを片付けている。流れるようにジョニーヘ手渡すと、そのまま自分の荷物も鞄に収め始めた。
ナスリーはその頭を睨み付けると、
「ジョニーに何かしてみろ、刺し違えてでも止めてやる」
と低い声で言った。ミスター・クルスは小さく溜め息を吐いた後、
「カーミル君、言葉遣いには気を付けなさい。聖堂の外でそんなことを言えば、誰かに殺されても文句は言えませんよ」
と。淡々とした表情で。恐ろしかった。ギルバート・クルスは何でもないように脅し文句を言ってみせる。縋るように隣を見やると、ナスリーは怯んだ様子もなく、
「ああ。ここは聖堂で、俺たちの学校だ」
と啖呵を切った。そのまま踵を返して去っていく。手を引かれたジョニーが躓いた。「待って、ナスリー。話を聞いてくれ」ナスリーはそれに返事をしない。
エドワード・ファナは少しの躊躇いのあと、二人の後ろをついて行った。喧嘩している彼らを二人きりにするのは良くないと思ったから。きっと冷静に話し合うために誰かが間に入るべきなんだ。そして、今それができるのは僕しかいない。
──勇気を、出さなくちゃ。
そこはちょうど聖堂の横にある小道だった。誰も通学や通勤に使わないから人気はない。朝早くなら司祭様が掃除をしている姿を見かけるけれど、今は本当に静かだった。夕日が陰を落とす。ジョニーの表情もナスリーの表情も暗くて分からない。でもきっと、笑顔ではないだろうことは確かだった。
「いい加減にしろよ」
獣が唸るような、いらだちに震えた声だった。ナスリーがジョニーの襟首を掴んで拳を振り上げる。ダメだ。そんなことをしたら、互いに何を言っても分かり合えなくなる。しがみついた。二人を引き剥がすように。ジョニーの盾になるように。
「エド、どけ。これは俺とジョニーの問題だ」
「嫌だ! 二人とも怒鳴ってばっかりで何も解決しないのに! 一旦落ち着こうよ、ねえ、お願いだから」
そうだ、ファジュル先生に相談したことを話そう。ファジュル先生が確かめてきてくれるって。ジョニーの言っていることが正しいのか、ナスリーの言っていることが正しいのか。そうしたら、喧嘩なんてする理由はなくなるんだ、だから──
「そんなことどうでもいい、あいつが信頼できるようなヤツかそうじゃないかなんて。ヒトと関わること自体が危ういって言ってるんだよ俺は!」
──嘘だ。最初はそんなこと言ってなかったじゃないか。君は引っ込みがつかなくなっているだけなんだろう。友達なんだから、ちゃんと本当の気持ちを伝えるべきなんだ。意地を張った言葉じゃなくて、相手を心配しているならその思いを。そうじゃなきゃきっとジョニーに届かない。
「だから、ナスリー、」
「今までずっと黙っていた卑怯者が、何様のつもりだよ」
どん、と突き飛ばされる。心臓が凍てつくような気がした。見えないのに、ナスリーが自分を睨んでいることが分かる。地鳴りのような声が自分に降りそそぐ。ジョニーはずっと、これと喧嘩をしていたんだろうか。耐えられなかった。
「これにお前がとやかく言う資格なんてない。お前が何と言おうと俺はジョニーのしていることを認めない。何があろうと、絶対にやめさせる。俺はもう二度と──」
気付いたときには逃げ出していた。路地の間を抜けて、泣いても見つからないようなところにまで行こうとする。胸がきゅうっと痛くなった。それでいい。途中でサンダルが脱げたのか、足の裏に鋭い痛みが走る。それでいいんだ。
悔しかった。悲しかった──僕はもう、彼の友達ではないのかもしれない。
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