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こちらの顔もろくに覚えていないような奴らに生家を追われた。
手元に残ったのは12000ミザーニの手切れ金だけ。思い出すだに
「
酒が入ってからずっとこの調子だ。僕のことを児童か何かと勘違いしているんじゃないか。
昔から、容姿の良さにはある程度の自覚があった。だから今回も、彼女が食事に誘ってきたのはそういう意味だと思っていたのだが。どうも違ったらしい。場末の安酒場に連れていかれた時点で別の覚悟をするべきだったのに。
「ファジュル先生、そろそろお開きにしましょう。あまり飲み過ぎると明日の授業に響きますよ。僕が奢りますから、さあ」
必要なのは介錯だ。手を差し伸べると、渋々といった様子ではあるが席を立ってくれた。
「支払いは僕がします。女性に払わせるのも気が引けますから」
ポケットから紙幣を取り出そうとしたところ、
「いーや、ボクが払うね。お姉さんからの奢りだ。ありがたく受け入れるといいよ」
と制された。そのまま、口を挟む間もなく会計は行われる。ファジュルと顔馴染みらしい店主にも「顔を立ててやってくれ」と言われてしまえば引き下がる他ない。多少癪だが、金を出さずにポーズだけで済むのならありがたい話だと思うべきなのだ。あの封筒の中身も残り半分を切ったのだから。彼には節約が必要だった。
「いやあおいしかったねえ。あの店いいだろ? 安くて美味い。酒屋のあるべき姿だね。ちょっと壁紙は汚いが、上品に飲みたいならパーティーにでも行けばいい話だ。いや、ボクらがパーティーをしようたって、マッチ箱住宅で安酒を交わすのが精々だけどさ、あと何世代かして、時代が変わったら──」
外は存外暗かった。雲が厚く掛かっていて、月や星の類は見えない。ギルバートは微かに湿った地面を歩きながら、ファジュル=ワマブベシの話を聞き流そうと努めていた。酔漢は無駄に己の内情を披歴したがる。ああもう、うるさいなあ──特に嫌なのが、言葉の端々に、彼女が普段から「誰かのために」を願って仕事に励んでいるらしいことが窺える点だ。薄情な自分とは到底相容れない在り様である。そういう献身的なことばかり聞いていると「お前はどうなんだ」と非難されているような気がした。被害妄想でしかないのは分かっているが、もっと違うことを話してくれ。好みの酒でも、音楽でも、どれだけ無駄なことでもいい。とにかく「いつか」とか「子供たち」みたいな単語の現れない話が聞きたいんだ。
「キミたち子供には表通りを顔を上げて歩く権利がある! これは人生という道のことなんだけど──ボクらと同じような苦労をさせるなんて、あんまりに可哀想じゃないか。ボクらのご先祖様だって子孫のために頑張ったんだ。それってちゃんと繋ぐべきことじゃないかな。美味しいご飯を食べて、友達と好きなところに遊びに行って、夢に向かってしゃにむに突っ走ってさ、せめてそれくらいはさせてあげたいと思うのが当たり前の──」
「ファジュル先生」
「ウィンビ君がさ、医者になって親孝行したいって。いつ警察に撤去されるか分からないあばら屋じゃなくて、ちゃんとした自分の家を持ちたいって言ってさ。そこを両親とか兄弟とか、みんなが何にも脅かされずに暮らしていけるような場所にしたいって言って、ボクは、それを叶えてあげたくて。学校の子供たちみんな一人一人に夢があるんだ。ファナ君なんか──」
「ファジュル先生!」
思わず叫んだ。怒鳴った、とした方が正しいのかもしれない。ファジュル・ワマブベシの肩が跳ねた。驚いたような顔で振り返るのを睨み付ける。どうせその酔態も三割くらいは演技なんだろう。さっさとこの不愉快な話を終わらせたい。聞くべきことはただ一つだ。他の余計なことは必要ない。
「なんで僕を誘ったんです。何か用があるんでしょう。遠回りに言われたって分かりません。時間の無駄です。話があるなら、まずその話をしてください」
沈黙は数瞬ほど続いた。ファジュル・ワマブベシは躊躇いがちに唇を開き、
「あー、その、さ。聞きたいことがあったんだ。多分すぐに済むと思う。中々切り出せなくてね。難しいことじゃないんだけど、その……」
相変わらず要領を得ないが、先ほどよりは明瞭な声で話し始めた。
「キミはさ、なんで『学校』で働こうと思ったんだい? 子供が好きってわけでも、慈善活動のつもりってわけでもないだろうし……まさか、警察のスパイだったりするのかなーって。だって、それくらいしか理由が思いつかないしさ。あ、いや、あはは、想像以上に酔いが回っているみたいだ。良くないよね、こういう」
「僕が働いているのは生活のためですよ」
「……」
「それ以上の理由はないです。就ける仕事のなかでいちばん給料が高かったから、それだけです。僕はね、大学を出たんです。でも亜人が学問を修めていたって何の役にも立たない。役所も、会社も、純血のヒト以外を雇う気はないんですよ。でも聖堂ならそれを活かせる。今僕、月1800ミザーニ貰えることになっているんですよ。凄くないですか? ここなら学位を持っていて、たまたま獣人の言葉が話せるだけで、給料が二倍になるんです。だから僕はここで働いている。どうです、納得できる理由でしょう?」
「君は」
「帰りましょう。用件は終わったんですから」
あとは、彼女も無理に声をかけては来なかった。そうだ、これでいい。でも、いらだちに任せて声を荒げるべきじゃなかった。饒舌になるべきじゃなかった。失敗だ。案外僕も酒が回っていたのかもしれない。明日どんな顔して挨拶すればいいのかとか、ファジュルが自分を授業から外すように司祭に抗議したらどうしようだとか、そういった不安を振り払うように足を速める。
今はとにかく、さっさと彼女を送って立ち去りたかった。
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