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新しい先生が来たらしい。ジョニーが言った。昨日司祭様と一緒にいるのを見たって。授業計画がどうとか担当はどこだとか話をしてたんだ。ヒトの、僕らとそう歳の変わらない子供だったけれど、きっとあれは教師だよ。だって、そうじゃなきゃあんなつるつるの顔をした子がこんなところに来るわけないじゃないか。
級友である獺獣人の少年の、昂りをはらんだ声に耳を傾けながら、エドワード・ファナは布鞄からノートを取り出した。綴じが緩くなってる。余白ももう少ないし、そろそろ新しいのを貰いにいかなくちゃ──頭でぼんやりと考えることと、ジョニーの喋っていることが絡まり合うように聞こえた。
「けどさ、仮にそいつが本当に先生だったとして、大丈夫なのか? 子供だし、人種もヒトなんだろう。ろくな授業をしてくれないかもしれないぞ」
ナスリーが眉を顰めて口を挟む。声変わり前の、仄かにかすれた声。彼は生徒たちの間で一番の年長だった。舎弟のように可愛がっている級友たちの日常に、嫌な影響をきたさないか心配しているのだ。
「大丈夫だよ、ナスリー。だって司祭様が採用したんだぜ? 警察のやつらとは違うさ。きっとあの子は自由主義者なんだよ。じゃなきゃコミュニストか。どっちにしろ、僕たちを迫害するようなやつなら、司祭様に頭を下げたりなんてしない。それに、首都の大学を出たって言ってたよ。きっとすごく賢いんだと思う。子供だからって侮るのは良くないんじゃないかな」
「ジョニー、それはお前が普通のヒトに会ったことがないからそんな風に言えるんだよ。都市に行ってみろ、俺たち獣人がこの国でどういう立場にあるのかよく分かる。ヒトが、どれだけ残酷で無関心なやつらなのかってことも。いや、実際に行ってみろって話ではないけど。とにかく、ヒトをそんな無条件に信頼するな。リベラルの中にも、獣人のためって言いながら俺たちを強制収容所送りにしようとするやつだっているんだ。何かあってからじゃ遅いんだぞ。そもそも──」
「ナスリー、無条件なんかじゃないよ。僕はちゃんとあの子が話しているのを見てきた」
「違うな。司祭様と話しているのを盗み聴きしてきた、だろう。そいつが俺たちに対して同じ態度で接してくれるって保証はあるのか。そいつがこの聖堂をめちゃくちゃにするためにここに来たわけじゃないって保証は? ないだろ。だから今は」
「ナスリー!」ほとんど叫ぶようだった。ジョニーはいいやつだ。優しいって意味でも、他人を疑うことを知らないって意味でも。ナスリーの言うことにも理由はある。けれど、司祭様が面接をして雇うと決めたのなら、大丈夫なような気もする。エドワードには、二人の考えのどちらが正しいのか分からなかった──ともかく、その「先生」が授業に来ればはっきりするだろう。どうせ、僕たち子供にはどうすることもできないんだから。
二人の言い争いが激しくなって、それからちょっと落ち着いて、最終的に明後日の方向へと脱線したところで先生が来た。もっとも、さっきまで話題に上がっていたヒトの職員ではなくて、彼らにとって見慣れた獣人の教師なのだが。
「全員揃っているかな? よろしい。ボクにとっても喜ばしいことだね。さぁ、さっさと授業を始めようか──」
「ミス・ワマブベシ、」ジョニーが手を挙げた。
「なんだい、ウィンビ君? あと毎回言っているけど上の名前では呼ばないでくれよ。あまりいい思い出がないんだ」
「ええと、ファジュル先生」彼は少し据わりが悪そうに言い直した。「新しい先生が来るって、本当ですか」まるで誰かから聞かされたみたいな口ぶりだ。声も凄くうわずっている。そんな緊張しなくていいだろ、と誰かが呟いた。
「もう噂になってるのか……。いや、別に構わないんだけど。まぁいい。先に紹介しておこうか。ミスター・クルス、入ってきてくれていいよ」
はい、と存外低い声がした。準備室から現れたのは、どこか儚げな姿のヒトの少年。高価そうな革靴、上等な生地のズボン、瞳と同じ色の薄い青のシャツを身に纏っている。映画のポスターに描かれた俳優のようだと思った。
「ギルバート・クルスです。みなさん、はじめまして。今はファジュル先生の助手としての仕事が主ですが、そのうち公用語や歴史の授業を受け持つことになると思います。一応だいたいの獣人共通語と……民族語はテウル語なら話せるので、何か質問があれば気軽に話しかけてください。業務時間内なら対応できると思います。ああ、一応言っておきますが、僕は成人しています。人並みに何かを教えられる知識はあるつもりなので、安心してください」
淡々と原稿用紙を読み上げるかのような自己紹介だった。ひとしきり終えると一歩後ろに下がってそのまま口を閉ざす。気まずく思ったのかファジュル先生が言葉を継いで、
「ミスター・クルスは南スタビア大学で言語学を専攻していたそうだ。興味のあるやつは話を聞いてみるといい。それと、彼は低学年の授業も担当する予定だから、弟や妹がいるやつは気が付いたときに手伝ってやってくれると助かる。えーと、あとは」
「ファジュル先生」ミスター・クルスが声を掛けた。「もう授業を始めた方がいいと思います。時間も少し過ぎてしまっているので」
エドワード・ファナには分からなかった。彼がジョニーの言うような人物なのか、それともナスリーの言うようなヒトなのか。僕たちの将来にも関わるんだから、できれば熱心な先生だと嬉しいんだけど、その可能性は少し薄そうだ、とだけ思った。
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