5 基本の打ち方前編

「あやみんちゃんとしたかったですの……」

「ふふ。明日は一緒にしようね?」

「はい! 約束ですの!」


 凜々果が足取り軽く隣のコートへとステップしていくその一方で、斜め向かいから話し掛けて欲しそうにしている視線に気付いた。私は少し考えて言ってみる。


「先生、明後日お相手お願い出来ますか?」

「ああ! もちろ——」

「リフレッシュ出来たぞぉぉぉ!」

「また練習頑張るぞぉぉぉ!」


 体育館に花林と茉鈴の雄叫びが木霊した。

 朝は海、お昼は流しそうめん。そんな夏を満喫するストレスフリーな合宿のお陰で、私たちの気力は十分なのである。


 さあ、私の左のコートには花林と茉鈴。右のコートには凜々果と片寄先生。という感じに、シングルス戦のようについている。

 それで私はというと、ネットを挟んで美鳥と視線を交わした。

 眼鏡がくい上げされる。午後の練習が始まる合図だ!


「では基礎打ちからっ。ドライブっ」


 窓を閉め切った体育館に、カコンカコンと小気味いい音が鳴り響く。

 ちなみにドライブとは、床と平行に打つショットのことである。


「先生、浮いてますの!」


 そう。ドライブは出来るだけ浮かないように、ネット上部付近を狙って打つのがいい。

 なぜなら浮いたら叩かれる。対戦相手がスマッシュなどの攻撃に移行しないよう、こうして練習の内に軌道を低くして返すことを意識するのだ。


「あああ、すまんっ。三波のショットが強すぎて……っ!」

「いやぁ? でも上手くなったよ先生。ね、茉鈴?」

「だねだね、花林。何だかんだ先生は、手加減無しの凜々果の球に食らい付けてるんだからさ」


 うんうん。花林と茉鈴の言う通りだ。

 だって相手は、パワーも最強の凜々果だもん。


 片寄先生は基本的に、見守り監督がメインだ。

 だからまだラケットの扱いが不慣れに感じるけれど、やっぱり男の人だなぁ。力では、凜々果に劣っていないんだ。


「2分経過いたしましたっ。次のドロップに入ってくださいっ」


 花林は、そのまま打ち返して奥に。私と凜々果は、返球されたドライブを手のひらで受け止めた後、流れるようにロングサーブをしてシャトルを高く上げた。


 シャトルを上げられたペアは下がって、ドロップを打ち返していく。

 私は美鳥から返されたドロップにラケットを伸ばし、触れてヘアピン。前に落して返した。


 ちなみにドロップとは、上がったシャトルをネット前に落す緩やかなショットのこと。

 ヘアピンとは、自陣のネット前から相手陣地のネット前に落とすショットのことである。


 たぶん、ヘアアクセサリーのピン留めのように、ネットを挟んで返すことからこの名前が付いたんだと思う。名前の由来なんて気にしないから曖昧だけれど、中学の先輩が仮入部の時にそんなようなことを言っていた気がする。確かね。


 私は美鳥が打ったドロップを取りに、前へツーステップ。

 ドロップはこんな感じに緩いショットなので、相手の不意をつくことが出来るんだ。

 早いスマッシュが続くラリー中に打ったりすれば緩急が生まれるし、ネット前に落ちるから奥に飛ばすクリアから攻撃を仕掛けるのに使うのもいい。

 ただ——


「ううっ」

「駄目ですわ先生っ、そんな苦し紛れに打ったらネットに引っかかっちゃいますの! ほらっ、フォルトですわっ」


 凜々果の言う通り、先生が打ったドロップはネットに阻まれた。


「後ろに下がるのが遅いですの!」

「す、すまん!」


 まぁでも今のが決まれば、相手をネット前に呼び込めるわけだし、実際に決まっちゃうことも全然なくないからね。

 って言っても、こっちが体勢を崩されていたら、そこを隙にされて叩かれて決められちゃうこともよくあるけれど。


 私が返したヘアピンは、美鳥が下から拾い上げてロブ。

 今度は私がコート奥まで下がって、打ち上がったシャトルに手をかざしてドロップをする。

 それを美鳥がヘアピンで返して、私がロブで拾い上げる。美鳥がドロップ。

 そんな感じで、ドロップの練習を繰り返していく。


 美鳥は、自分の打ったシャトルの軌道から視線をずらして、体育館の時計を確認した。


「2分経過いたしましたっ。では次、クリアっ」


 ここでのクリアは、ハイクリアのこと。

 つまり、遠くに飛ばすショットであるクリアを、高く返球するものを指しているのだ。


 パン!


 花林のロブをそのままクリアで返した茉鈴のインパクト音が、隣のコートから聞こえた。その音に、私はゾクゾクする。

 だって音が、強くてかっこいいんだもん。


 高く、そしてスピーディーに放物線を描いていく茉鈴のクリア。

 花林は颯爽と一番後ろのラインまで下がって、茉鈴のクリアを捉える。


 パン! バン!


「わ! この音は凜々果!?」


 花林の鳴らすかっこいい音。その次に聞こえた強いインパクト音に、私は思わず振り返る。


「ふにゃ~ん。あやみんちゃん、ワタクシではないですの~~っ」

「え? まさか先生?」

「いやぁ~。お褒め頂いて~」


 私の勘違いに、嬉しそうに頭を掻く先生だったけれど、


「褒めてないですの!」


 バン!!


「うわ!」


 凜々果の打った低い弾道のクリアに、片寄先生は追い付くことが出来ず。こけてしまう。


 うわ~。お尻痛そ~。

 けれどやっぱり、男の人が持つ力の強さが羨ましいなぁ。


「だらしなく鼻の下を伸ばして、ラケットを下げてるからですの! あやみんちゃんは、ワタクシのですわ!」

「あははは……」

「あはははー、ではありませんよ、あやみんさんっ。もぅ、時間がもったいないです。キョロキョロと脇目振って羨望の眼差しを送っていないで、早くサーブを上げてくださいっ」

「あっ、そうだね。ごめん美鳥、つい……」


 私はバツが悪くなって、肩をすくめた。

 そんな私に、美鳥はそれ以上怒ることなく「仕方ありませんね」と眼鏡をくい上げした後、目元を優しくしてラケットを構えたのだった。


 基礎打ちはまだまだ続く。

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