二人と一人と危険な相棒



 当たり前に人でしかない少女ルカは、怪我をすれば血を流しもする。それでも殺し続けている限りは生きていられた。ルカが死神ゼスと交わした契約は、果たしてそういうものだったから。


 戦場の只中。振り下ろした大鎌を地面へ突き立てたルカは、はたと血を流す腕に気付いた。ルカが纏う黒衣から、鎌を扱い易いようにと露出した部分。ぼたぼたと垂れる鮮血は、刻まれた傷がそれなりに深いものであることを示している。

 どうしようかと考えた末、ルカは黒衣の袖を引き下げた。すると死神によって魔法をかけられた黒衣はルカの意のまま、するすると伸びまるで包帯のよう傷を覆い尽くしてしまう。

 流れ落ちる鮮血はやがて濁った返り血と混ざって判らなくなり、ルカは試しに腕を振ってみた。二度三度。ついでに大鎌を持ち上げくるくる回してみたりもして、大丈夫そうだと判断すると、ゼスが迎えに来るまで眠っていようといつものようにしゃがんで目を閉じた。


 それから五分もしないうちにルカの所へ戻ってきたゼスは、いつものようにルカを抱えてこの世の地獄のような戦場を離れた。人でない死神らしく非常識に都合のいい力を駆使してルカのためにと整えた「家」へと戻り、買ってきた食料をどさどさテーブルの上に広げると、大事な大鎌をその辺の床へ放って、返り血塗れのルカを浴室へと運び込む。

 一度、仕事帰りのルカをそのままベッドへ転がしてシーツを血塗れにしたことをエスターにどやされて以来、試行錯誤を重ねた末、ゼスはルカを起こすことなく返り血塗れの体を綺麗に洗い、ベッドへ寝かしつけることができるほどの、死神としては全く無用な奉仕スキルを身につけるに至っていた。

 目覚めるとすっかり身綺麗になっていることに気を良くしたルカがそれを歓迎をしてしまったため、ゼスの行動にいちいち小姑のよう口を挟まなければ気が済まないエスターでさえ、それ以上二人に人としてまっとうだと思われる倫理観について説くことは諦めてしまっている。

 なにせルカときたらゼスはおろか同世代の少女達と比べても格段に賢い上に美しいくせ、時折ゼスを便利な従僕のよう扱って憚ららないどころか、年頃の少女らしく円やかに女性味を帯びてきた体を見られようが触られようと、恥ずかしがりもしないばかりか平然としきって顔色一つ変えようとさえしないのだから。そうも堂々としていられると口煩くする自分の方が変に意識してしまっているような気にもさせられて、エスターは結局、その件については見て見ぬふりをすることにしていた。


 その日、浴室の手前にある脱衣所で、いつものようルカから黒衣を脱がせようとしたゼスは、その一部が頑なにルカの腕へ巻き付いて離れないことに気付いた。

 けれど元々、ルカが汚れ除けに羽織っていたボロ布にゼスが魔法をかけたものである黒衣は、そもそもゼスの言うことをあまり聞かなかったため、ゼスは深く考えもせずそれを放置した。

 ルカから取り除かれた黒衣は自然とルカの腕へと集まり、だからといって魔法をかけられた布が嵩張るでもない。最近はゼスと一心同体であるはずの大鎌でさえゼスが手にするといかにも嫌そうに鎖を鳴らすようになっていたので、元々ルカのものでしかない黒衣が思い通りにならないくらいのこと、ゼスは全くと言っていいほど気にしなかった。

 とりあえずのところ、ゼスはルカの体を綺麗に洗ってあげられるならそれで満足で、ルカもまたそうされることを望んでいる。そして、黒衣の行動はゼスの望みを徹底的に邪魔するようなものではなかった。

 だからゼスは、ルカの腕に巻き付いた黒衣をそのままにしておいた。


 それから数時間後。ぐっすり眠ってすっきり目覚めたルカはとても空腹だった。仕事の後はいつだってそう。だからそれを知っているゼスは、テーブルの上を食べ物でいっぱいにしてルカが目覚めるのを待っていた。


「おはよう、小さいの」


 便利な黒衣の中から引っ張り出した時計できっちり時間を確認してから、ルカはゼスに応えた。


「おはよう、大きいの」


 時刻はとうに「おはよう」が相応しい数を通り過ぎていたが、目覚めたばかりの者に対する挨拶としてならそれほど誤ってもいない――そんな風に考えながら、ルカはテーブルにつき手を合わせる。


「いただきます」


 ルカにとって「日常」のあらゆる行為が「趣味」でしかないゼスは最近「料理」に手を出して、呆れるほど器用な死神の作る統一感のない、まるで万国博覧会のような食卓がルカはそれなりに気に入ってた。

 炭水化物で炭水化物を食べるようなメニューさえ難なく許容される食卓を見る度にエスターは顔を顰めながら――栄養バランスがどうのと――文句を言うが、ルカにとってはまともに食べられるものがあるだけで重畳だったし、食事を必要としない死神が作る料理はいつだって――どういわけか――ルカの舌に丁度いい味付けがされていたから、たまに出てくる見た目のエグい創作料理も素直に食べた。

 黙々と食事を続けるルカの胃袋が満足を覚える頃には、テーブルの上もだいたい片付く。


「ごちそうさま」


 口元を拭って、手を合わせたルカが人心地ついた頃にタイミングを見計らったよう帰ってきた居候の死神エスターは、「帰宅」早々、床に放り出された大鎌を危うく踏みつけてしまいそうになって肝を冷やした。

 どうして大切な鎌をこんなにもぞんざいに扱ってしまえるのだろうと不思議がりながら、それを拾って持って行ってやろうなどとは夢にも思わない。サボりの死神になど端から期待さえかけてもいないエスターは、真っ先に大鎌の所有者でなく使用者のルカに状況の改善を求めた。


「おーい、ルカ。ぶっそうなもんが転がってんだけどー」


 これが食事中であれば、にべもなくシカトされていただろう。けれどエスターにとって幸いなことに、ルカは食事を終えていた。


「はーい」


 片付けられたテーブルに突っ伏すルカはぐるぐると包帯状に黒衣が巻き付いた左手を上げ、ちょいちょい呼び寄せるよう指先を動かす。すると床に放り出されていた大鎌は、一歩間違えれば大惨事になりかねないほどの素早さでもってその召喚に応じた。

 ルカの手に飛び込んだ大鎌は、するすると黒衣の中へ消えていく。


 まるでペットのような扱いの大鎌に「イザナミ」と名前さえ付けられていることをエスターが知るのは、もう少し後になってからのこと。

 エスターに傷の手当てをしてもらおうと、黒衣の包帯を解いたルカが自分の身に起きた異変を知るのは、それからすぐのことだった。





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