飢えた少女と転がる死体
その日も少女は戦場にいた。死神が選んだ仕事場に。
大きな鎌を携え黒衣を纏い、黙々と人を殺し続ける少女の姿は正しく「死神」のよう人々の目に焼き付いて、けれど誰の記憶に残ることもない。
一度解き放たれてしまえば最後、目に付く限りの人を殺し尽くしてしまうまで、少女はけして止まらなかった。振るう鎌を手放さなかった。思考を散らしもしなかった。ただひたすらに、生きるために殺し続けた。故に少女という「死神」の姿は誰の記憶の中にも残らなかった。噂だけがまことしやかに流れていた。争えば死神がやってくるのだと、少女が去った後に残される地獄絵図は、その存在を証明する唯一にして絶対的な根拠とされていた。
それでも少女は殺し続けた。知らないままに殺し続けた。知っていたとしても殺し続けていただろう。殺さなければ生きられないことになっていたから。
少女はまだまだ生きていたかった。
(おなかがすいた――)
無造作とも言える程の軽さで振り下ろした大鎌の刃が人の肉を断ち骨を砕き地面へ突き刺さると、生きたいばかりの少女は不意に途方もない空腹を自覚した。
自覚すると共に大きな鎌から手を離し、べったりと顔や手の平へこびりついた返り血を拭うことも忘れ、ぱちくり瞬きながら辺りを見渡す。
死体と死体と死体と死体と死体と死体と死体と死体と死体と死体と死体と死体と死体と死体と死体。――少女が立っている場所にはもう、それしかない。原型を留めていたりいなかったりする死体が数ばかりごろごろと転がって、動くものといえばそれらから垂れ流される夥しい量の血液ほどしか見当たらなかった。風さえ少女の目に留まることを恐れたかのよう、揺らめくことを憚り凪ぎきっている。
どうやら仕事が終わっているらしいことに気付いた少女は、まだ温かさの残る死体の上へ何の躊躇いもなく座り込むと膝を抱えた。
そのまま膝頭に突っ伏してから少し考えて、ずるずると突き立てた鎌の脇へ移動する。血に濡れた刃へ寄りかかって目を閉じると、それは微かにとくとくと脈を打っていた。
新鮮な肉が目の前と言わず足の踏み場もないほどそこらじゅうにあっても、食べることができなければただ切ないだけ。生肉だろうと腐肉だろうと人肉だろうと獣肉だろうと、食べられるものは食べられる時に食べられるだけ食べてきた少女は、それでも死神の言いつけ――地面に落ちているものを食べてはいけないと、生まれながらの死神が言うにはあまりにまっとうな人じみた言いつけ――を守って、空腹を満たす代わりに膝を抱えて目を閉じた。
はらぺこな少女が本格的にふて寝を決め込む二秒前。買い物帰りの死神はその日、珍しく「目覚めた少女」ではなく「眠る前の少女」へ「食べられるもの」を差し出すことに成功した。
「小さいの」
死神らしく突拍子も無い現れ方をする死神は、少女を「小さいの」と呼んでいた。小さい死神。ちゃんとした死神でない少女はけれど、誰よりもきっと死神らしい少女だったから。
「おなかがすいたよ、大きいの」
呼ばれて顔を上げる少女は、サボりな死神のことを「大きいの」と呼んでいた。自分が「小さいの」なら死神は「大きいの」だろうと、単純に。
死神は両手いっぱいに抱えていた人の食べ物を少女に与え、それを少女が食べ終わるまでずっと少女のことを見ていた。
死体の上に座り込んだ少女は死体を踏みつける死神の前で満腹になるまで食事を続けると、口元を拭って両手を合わせる。
「ごちそうさま」
それは時折、少女が思い出したようやって見せる仕草だった。
どうしてそんなことをするのだろうと不思議に思った死神は、食事を終えてすぐさまうとうととし始めた少女を抱き上げ、大きな鎌を担ぎ上げながら聞いてみた。
「小さいの。君はたまにそうやって手を合わせて見せるけど、いったいどういう意味があるんだい」
すっかり食欲を満たして次はぐっすり眠りたい少女は、閉じた瞼を上げられないままにそれでも答えた。
「様式美だよ、大きいの」
様式美。少女が告げる言葉の意味は、死神だって知っていた。それは「そうしていた方がなんとなくかっこいい」ということだ。
つまり少女は食事の前後に手を合わせる行為を「なんとなくかっこいい」と思っていて、だから本当のところそうすることに大した意味なんてないのだろうと、死神は少女の言いたいことをなんとなく――けれど何故か、ほとんど正確に――理解した。
「そういうものなの?」
「そういうものなの」
少女は少女で、いかにもそれがこの世の真理であるかのよう頷いて見せ、もう限界だとばかりにすやすや寝息を立て始める。
死神の腕の中でも平然と寝入ってしまう少女をよいしょと抱え直し、死体だらけの戦場を行く死神は、いかにも感慨深げに呟いた。
「様式美かぁ」
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