第15話 作法その八〜6 秘策

 つい口を滑らせて竜胆りんどうのことを可愛いだなんて言ってしまった後、僕は黙り込んでいた。


 いつものように適当を言って誤魔化し、すかしてしまえばいいものを、瞬間、つい僕は下を向いてしまっていた。

 たぶん竜胆のペースにハマって、僕は調子を崩しているんだと思う。


 一方、彼女は嬉しそうに目を見開いて、ずっと僕を見つめている。

 彼女からは口を開かない。きっと僕の次の言葉を待っている。

 次に僕の口から出る好意的な台詞を心待ちにしている。


 なんて言えば彼女を傷付けず、且つ彼女の心を燃え上がらせずに済むんだろうか?


 思い悩んでいる時間はない。早く何か言わないと……。


「お兄ちゃんがデートじゃないって言ってたんだもん!」


 どこかから大声が聞こえ、僕の悩みは霧散した……。



 今のは明らかにイクコ声。僕が妹の声を聞き間違えるはずもない。

 まぁ、さんざんっぱら僕に付いていきたいと駄々をこねていた様子からするに、僕の跡を付けてきたんだろう。


 まったく……竜胆みたいなマネを……。


「ごめん、竜胆。なんかウチの妹が来てるっぽい」


 そう言って僕が席を立つと、彼女もあわせて席を立った。


妹子いもこちゃんもここに来てるの? もしかして今の大きな声?」


 人の妹を遣隋使みたいに呼ばないでよ……。


「うん。……まったく、人をストーキングするなんて、どんな教育を受けてきたんだか」

「えっ? 私たちストーキングされてたの? それは、ちょっと許せないなぁ」


 どの口が言ってるんだろ……。


「まぁ、そんなに怖い顔しないであげて。イクコに悪気はないと思うし、竜胆に怖い顔は似合わないよ」


 僕の口にもいつもの調子が戻ってきたな、なんて思いながら辺りを見回せば、観葉植物の陰にイクコらしき頭部が発見できた。


「わかったぁ。クルヤくんがそう言うなら、もう二度と怖い顔しない……」

「じゃあ、ちょっと叱ってくるよ。少し待ってて」


 そう言ってイクコの方に歩き出せば、竜胆も一緒に付いてきてしまう。

 竜胆からすれば、折角のデートなのだし、なるべく僕と離れたくないんだと思う。


「そこで何してるんだ? イクコ」


 観葉植物を陰を覗き込むと、涙目のイクコと家に何度か遊びに来たことのあるイクコの友達がそこにいた。


「あっ……。お兄ちゃんだ」


 そう、お兄ちゃんだ。取り敢えず、釈明を聞こう。


「い、イクコちゃん! バレちゃったよ! どうするのっ!? あっ、そうだ! あれ! あれやろ!」


 おさげの少女が慌てふためいている。そんなに僕が恐ろしいんだろうか……。少し傷付く。


「そ、そうだね。まずはお兄ちゃんの機嫌を取らなきゃ」


 落ち込んでいる風だったイクコが正気に戻ったように立ち上がり、そして、すぐ床に四つん這いになった。


 ……どうやら正気に戻ってはいなかったみたいだ。


「それじゃあ、いくよ。……ごろにゃ〜。にゃんにゃん」


「私もやるね! にゃー。にゃー」


 この二人はショッピングモールで何をしてるんだろう?

 疑問に思えど、ついネコ竜胆の姿を思い出して微笑んでしまう。


「ホントにお兄さんが嬉しそうにしてる! 猫マネってスゴい!」


「お兄ちゃんが喜んでいるにゃ。効果はバツグンだにゃ!」


 偽ネコ二人の発言で、意図を理解する。

 たぶん猫マネすれば、怒られないとでも思っているんだろう。

 確かに、僕だって猫マネする妹たちを可愛いとは思うけど……。


 ……と、ここで僕はある秘策を思い付いた。


「フフっ。イクコもお友達も可愛いなぁ。本当に可愛い。可愛い過ぎる」


 竜胆に言ってしまった『可愛い』を薄める。これが僕の思い付いた秘策……。


 竜胆の様子を伺ってみれば、彼女も微笑んでいて、ウチの妹の喉をカリカリと掻いてあげている。


 秘策は成就した……なんて、この時の僕は思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る