第10話 作法その八~1 立場の有効活用

 作法その八。ヤンデレ娘と同じ実行委員になってはならない。ここぞとばかりに距離を詰めてこようとするから。



「やぁ、浅見くん。おや、嬉しそうな顔をして、何かあったのかね?」


 部室の扉を開くなり、先に来ていた傍食かたばみ先輩が僕に微笑み掛けてくる。そんなつもりはないんだけど、先輩には僕が嬉しそうに見えるらしい。


「そう見えます? どちらかと言うと僕としては怒ってるつもりなんですけど。竜胆と一緒に文化祭の実行委員なんてやらされるハメになったんで」


「なるほど、なるほど。そうかい、そうかい。君は本当に素直じゃないねぇ。まぁ、私はこれ以上、何も言わんよ。君たち若人わこうどを見守るだけさ」


 先輩の優し気な微笑みがニヤニヤとした薄笑いに変わる。なんだか自分の心の内を見透かされているみたいだ。


 人の気持ちを察する能力に長けているのに、なぜ、この人はボッチなんだろう?


 いくら他人の心が読めても、それを有効活用しようとしないなら、宝の持ち腐れということなのかもしれない。


「若人って僕と一歳しか変わらないじゃないですか。まったく、そんなこと言ってるとおばさんみたいに見えちゃいますよ? ……で、文化祭に出す作品は完成したんですか?」


 自分の席に座りながら唐突に話を変える。僕がそうしたのは、何となくニヤニヤと見つめられるのが居心地悪かったからなんだろう。


「ああ、『宇宙刑事スペースデカそらに舞う』かい? もちろん完成してないよ。私が遅筆なのは浅見くんもよく知っているだろ。このままだと締め切りに間に合わんかもしれんな。はははっ」


 先輩は冗談めかして笑っているけれど、必ず間に合わせてくるから問題ない。作品を完成させるためなら、完徹の毎日すらいとわないはずだから。


「紙と万年筆じゃなくてパソコン使ったらいいんじゃないですか? 絶対そっちの方が早いですよ」


 先輩の家は貧乏という訳でもないし、むしろ平均値から考えて相当に裕福な家庭なんだからパソコンくらい用意できるはずだ。

 今日日きょうび、紙と万年筆なんて使っている女子高生は先輩くらいなもんだろう。


「それはダメだ。パソコンでは『違う! これじゃない!』と思った時に、紙をこうグチャグチャって丸めて、ゴミ箱に投げ入れられないじゃないか。私は、あの瞬間のために執筆していると言っても過言ではないんだぞ?」


 その瞬間のために執筆している女子高生も先輩くらいなもんだ……。やっぱり先輩は変な人だと僕は思う。まぁ、流石に今のはただの冗談だろうけど。


「変なへき、持ってますよね、先輩は。まぁ、へきの話はおいといて、僕も万年筆で書くこと自体は否定しないですよ。文豪っぽくてカッコいいなぁと思いますし。今のは、そっちの方が早いんじゃないかって話です」


 先輩の手元に目をやる。最高級品の万年筆が、傾く太陽の光を反射して、キラリと輝いた。

 執筆しない僕だけど、いつか万年筆は使ってみたい。きっと、その願望は中二病的感性による憧れみたいなものなんだろう。


「おや? 万年筆に興味があるのなら、一度、私のを使ってみるかい? 昔、父が言っていたんだがね。父が文学に携わることになった理由の一つが万年筆らしい。若い時分、その書き心地にてられて、つい一作品仕上げてしまったそうだ。もしかしたら、君も、その書き心地にてられて何か書き上げたいと思ってしまうかもしれんな」


 そんな風に親の話を持ち出してみせたのは、きっと僕に小説を書く楽しみを知って欲しかったからなんだろう。

 だったら、僕はこう答える。


「いや、結構です」


 小説を書くなんて、ましてや、それをアカの他人に見せるだなんて、恥ずかしくてたまらない。

 そもそも人との会話ですら自分を晒せない僕だ。物語を書いたって、何が言いたいのか判然としない駄作になるだけだろう。そんなもの、誰も求めていないと僕は思う。


「そうか」


 先輩は何の感情も見せず一言だけ呟くと、長い黒髪を一度だけ軽く掻き上げ、そして、原稿に目を落とした。



 しばらくすると木製の廊下を走る音が耳に届いた。その足音は僕らのいる家庭科準備室にドンドン近づいてくる。この部屋に向かってくる人物なんて僕には一人しか思い当たらない。


「クルヤくん! やっと見つけた! 喫茶店にもいないし、家にも帰ってないし、探し回っちゃったよ~。あっ、先輩、おはようございます」


 扉をガラリと開け、部屋の中に飛び込んできたのは、想像通り竜胆だった。


「なんだ、僕に用があるなら先に部室を探せば良かったのに。で、何のようかな?」


 実は今日、僕は彼女のストーキングをくため、一度、学校の外に出て走り回ってから部室に来ていた。だから彼女は僕が校外にいると思ったんだろう。

 まぁ、撒いた理由は大したことじゃない。さっき先輩が気付いたように、勘の良い人なら僕の機嫌が良いことに気付いてしまうと思ったからだ。

 竜胆と話す前に落ち着く時間が欲しかっただけだ。


「あのね、二人の時間いっぱい欲しいなって。あっ、一緒の実行委員になったからだよ? でね、アルバイトの日以外は話し合えるかなぁ? もちろんクルヤくんがアルバイトの日は私も喫茶店に行くね。シフトは全部ちゃんと把握してるから。あと、もし予定が入ったら、すぐに教えて欲しいかな~。それと今週の土日は空いてる? 必要なものとかもあるし、ショッピングモールに行ってみようかなって思ってるの。文化祭の実行委員として、クラスの代表としてね。……ふふっ、楽しみだね、クルヤくん?」


 ……流石の僕も、ここまで竜胆が実行委員の肩書を利用してくるとは思っていなかった。思いのほか、これは大変そうだ……。


「ははっ、前途多難だねぇ。浅見くん」


 原稿に目を落としたまま、先輩が目を細めて笑う。竜胆は僕を真っ直ぐに見つめたまま目を見開き、笑っていた。

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