第7話 作法その七~前編 僕のアルバイト

 作法その七。ヤンデレ娘にはバイト先を明かしてはならない。毎度、コーヒーだけで随分ずいぶんと粘られることになるから。



 実を言うと僕はアルバイトをしている。バイト先は、マスターとその娘さんだけで切り盛りしている小ぢんまりとした喫茶店だ。

 大してお客さんは来ないし、マスターも娘さんも良い人だし、尚且つ、それで時給千円も出るんだから、この憩いの場バイト先に僕はとても満足している。特にお客さんが大して来ないところが良い。


 ――カランコロンカランっ。


 ……と思ったそばから御来店だ。


「いらっしゃい……ま……せ」

「いらっしゃいましたっ!」


 竜胆りんどうカナデ……。全く、どこから僕のバイト先を嗅ぎ付けたのやら……。



 竜胆にバイト先がバレたあの日から、彼女は僕のシフト中に必ず店に顔を出すようになっていた。


「注文お願いしま~す」


 竜胆が僕に向けて両手を大きく振っている。まさかマスターに注文を取りに行かせるわけにもいかないし、今日も僕が行くしかないんだろう。


「ご注文をどうぞ」


「いつものお願い、店員さんっ」


 早くも常連ずらだ。そして、僕をあごで使えるのが余程嬉しいのか、かなり上機嫌だ。


「はいはい。ブレンドね」


「クルヤくん? 『はいはい』じゃなくて、『ご注文承りました、』でしょ?」


 彼女に雇われた覚えはないし、ここは、そういう執事喫茶的な店でもない。


「……わかったよ。ご注文承りました、


「『わかりました』でしょ? やりなお~し」


 最高に面倒な客だ……。


「わかりました。ご注文承りました、お客様」

「良く出来ました!」


 どんなに竜胆が天に愛されていようが何時かバチが当たるたろうな、と僕は思った。



 その日は珍しく僕より先に竜胆が店に来ていた。しかも、なぜか隅にあるお気に入りのテーブル席ではなくカウンター席に座っている。どうやらマスターと話をしていたみたいだ。


「おはよう、色男くん。君の彼女、最近、毎日やって来ては店の中をぐるりと一周して浅見くんが居ないと帰るから、おかしいなぁ、怖いなぁ、変な子だなぁ、と思っていたけど、話してみれば、実は中々に良い娘さんじゃないか。全く羨ましい限りだよ」


「おはようございます。竜胆は別に――」


「やだ、マスターさんってば。私、彼女じゃないですよ? まだ」


 訂正しようと思ったのに、竜胆に先を越されてされてしまった。


「『まだ』ねぇ。いやいや、青春だねぇ。若い子たちは毎日楽しそうで何よりだ」


「僕たちだって毎日毎日楽しいことばかりってわけでもないですよ? と、そんなことより、竜胆。いつもより早いけど、どうしたの?」


 僕より早く来たからには、僕をあごで使う以外の用事があったに違いない。


「ああ、あのね。実はマスターさんにプレゼントを持ってきたの」


 彼女の言葉に、なぜか一瞬だけ僕の心がチクりと痛んだ。本当に、ほんの一瞬だけ。


「はははっ。若い娘からプレゼントを貰っちゃうなんて、私もまだまだ捨てたもんじゃないのかもな!」


「マスターさん……。私、最初に言いましたよね? クルヤくんがいつもお世話になってるから、そのお礼だって。特別な意味は一切ないって。絶対に変な勘違いはしないでくださいって。……私、ちゃんと言いましたよね?」


「え? ああ、うん。ゴメンね。当然わかってるよ。……あれ? おじさん、少しふざけすぎっちゃたのかな? ……いや、本当にゴメンね。いや、あの、謝るから、そんな怖い顔しないで……」


 マスターの方に顔を向けているから、よく見えないけれど、たぶん今、彼女はとても恐ろしい表情をしているんだろう。


「……と、折角ですから食べてみてください。私としては、かなりの自信作なんです。あっ! もちろんクルヤくんの分もあるから安心してねっ」


 僕の方に振り返った彼女はすでに満面の笑みを浮かべていた。


「食べるってことは、まさかプレゼントは料理……?」


 それはかなりマズい、二つの意味で。そう思えど、竜胆だってバカではないんだし、少しくらい料理の腕が上がっている可能性もある。一旦、そこに望みを掛けよう。


「よし、じゃあ、おじさん、頂いちゃおうかな? まぁ、本当は仕事中だからダメなんだけど。娘には内緒だよ、浅見くん?」


 気を取り直したマスターが目の前にあった小箱を開いていく。大きさから察するに、どうやらプレゼントはお菓子のようだ。

 普通の料理とお菓子作りでは必要な技術が違うとも聞くし、案外、竜胆はお菓子作りの方は得意だったというオチで、マトモなものが出てくるかもしれない。


「どれどれ~。ん~、これは……おはぎかな?」


「えっ? クッキーですよ?」


 いや、消し炭ダークマターだ。我々の望みは絶たれた。


「あー、つまりチョコクッキーだね?」


「えっ? ストロベリーですけど」


「えっ?」

「えっ?」


「「えっ?」」


 二人が不思議そうに、お見合いをしていた。ストロベリー味のクッキーが消し炭色をしていたら、そりゃマスターだって、そんな反応にもなるさ……。


※後半へ続く

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