第4話 作法その四 試着室にて

 作法その四。ヤンデレ娘にマークされている時は、決して他の女の子と出掛けてはならない。往々にして、その女の子ともども崖から突き落とされることになるから。



 僕は妹と一緒に自宅から電車で一時間ほど掛かるデパートに来ていた。そして、運命とうものは時に悪戯いたずらを仕掛けてくるようで、運悪く竜胆りんどうカナデもそのデパートに来てしまっていた……。


「あれ? くん? ……そのオンナのコだぁれ?」


 本日の竜胆は出会い頭にフルスロットル。ヤンデレ全開だ。小首を傾げて、すでに目を見開いてしまっている。けれど、焦ることはない。


「ああ、竜胆。これは妹だよ、ただの妹。それより、こんなところで会うなんて奇遇だね」


 現に妹と来ているだけなのだから「ち、違うんだ! 竜胆!」なんて言う必要はない。そもそも彼女とお付き合いしているわけではないのだから言い訳する必要すらない。

 まぁ、悪戯を仕掛けてくるのは運命だけとは限らないので注意が必要だ。


「えっ!? クルヤくん! 妹ってどういう意味!? イクコはクルヤくんのことカレシだと思ってたのに。ヒドいっ」


 状況を察してか、相手がヤンデレとも知らずに妹がふざけ始めている。ちなみに、クルヤとは僕のことで、妹の名がイクコだ。


「ち、違うんだ! 竜胆! イクコも変なこと言うんじゃない!」


 言う必要はないと思っていた言葉が、咄嗟とっさに僕の口から飛び出していた。全く面目ない。


「違うって何が違うの? あれ……? 何でその子のことは下の名前で呼んでるの?? ワタシのことはカナデって呼んでくれないのに……。私……私、どうしたらいいの? 私は、その子をどうしてヤッタライイノ?」


 マズい……。竜胆の頭が小首を傾げすぎて地面と平行になってしまっている。立っているのなら頭は地面と直角であるべきだ。平行はマズい、物理的に。

 イクコも怖がって「え? 何この人、ヤバい!」みたいな表情になってしまっている。


「竜胆、よく聞いて。これは妹なんだ、正真正銘、僕の妹。だから下の名前で呼ぶのは普通。さぁ、リピートアフター、ミー。『これは妹です』」


「コレハ……イモウトデス?」


「そうだよ、竜胆、良い調子。ベリーグッドだよ」


「コレハイモウトデス……。これはイモウトです。これは妹です」


 良かった。だいぶ首の角度が正常になってきている。これなら、すぐに正常な判断も取り戻してくれるはずだ。


「でも、お兄ちゃん。イクコたち、実は血が繋がってないんだよね」


 ああ……イクコ。なんて余計なことを。


「コレハ! ギリノ! イモウト! デスッ!」


 ベリーバッドだ……。また竜胆の頭がガクンと勢いよく地面と平行になってしまった……。



 あの後、僕と妹の関係を必死に説明して、何とか竜胆の精神を平常に戻すことが出来た。一件落着。

 ……に思えたのもつかの間、僕と竜胆は二人きりで試着室の中に居た。彼女が「二人きりで話したいから、あそこの小部屋を借りよう」なんて言ったせいだ。試着室は沢山あるとは言え、店員さんにとっては迷惑極まりない話だろう。けれど、店員さんは彼女の狂気に気圧けおされて、僕たちを試着室へ通してしまったのだった。


「竜胆、この小部屋は試着室であって談話室じゃないんだよ?」


「なら着替えるね。ちゃんと試着用の服は持ってきたから。似合ってたら買っちゃおうかな~」


「ち、ちょっと待って。わかったから止めて。やっぱり、ここは談話室だね」


 慌てて僕は、シャツのボタンを外そうとする彼女の手を握る。握ったその手は柔らかくて、ヤンデレなのに、まるで普通の女の子の手みたいだった。まぁ、ヤンデレでも精神以外は普通の女の子だから当たり前なんだけど。


「痛いよ。……クルヤくん」


「いや、その、ごめんね……」


 謝ってはみたものの、果たして本当に僕が悪いんだろうか?


「でも、よ? クルヤくんなら」


 何がのか知らないけれど、僕は良くない。念のため、目を見開いたまま唇を尖らせている彼女の顔と僕の顔の間に手を入れて遮断しておいた。

 全く、こういうことをするから二人で試着室に入ってはいけないんだ。


「で、竜胆。話って何かな?」


「あのね、さっきは義理って聞いて少し驚いちゃったんだけど……。実は、兄弟は結婚できないの。近親は絶対にダメなの。たぶん法律で決まってた気がするのっ。……一応、それを伝えておこうと思って」


 いや、知っている。血の繋がっている兄弟が結婚できないことくらい僕だって知っている。


「じゃあ、僕もお返しに伝えておくね。傍系姻族ぼうけいいんぞく同士は結婚できるよ」


「え? ぼうけい……何それ?」


「僕に当てはめて言うなら、義理の妹と結婚できるってことだよ」


「え? じゃあ、クルヤくんはイクコちゃんと……?」


 結婚できる。でも、するわけがない。妹は義理でも妹だ。それ以上でもそれ以下でもない。


「うん。もちろん結婚――」


「嫌、いや、イヤ。イヤ、イヤ、イヤ、イ――」


 彼女が大きく首を横に振る。今にも叫び出しそうで、僕は彼女の唇を塞いだ。……いや、当然、普通に手で。


「――もちろん結婚できるけど、するわけないよ、絶対に、妹だから。最後まで話は聞こうよ」


「もんもーに?」


 手で口を塞いでしまったものだから、言葉が不明瞭ふめいりょうだ。でも、たぶん彼女は「本当に?」と言ったんだろう。


「うん。本当に」


 ゆっくりと彼女の口から手を離し、僕がそう答える。


「おんおーに……?」


 手を離したというのに、結局、彼女の言葉は不明瞭。きっと今にも泣きそうだからだ。


「本当にだよ」


「絶対?」


「絶対にだよ」


「……ふふっ。……わかった。クルヤくんはイクコちゃんとは絶対に結婚しない。ふふっ、信じる。もし裏切ったら……」


 涙をこらえきった彼女は、深淵しんえんな笑みをその顔に貼り付けていた、先ほどとは一転、目を見開いたままに……。



 作法その四、改正。ヤンデレ娘にマークされている時は、決して他の女の子と出掛けてはいけない。往々にして、その女の子ともども崖から突き落とされることになるから。ただし、義理の妹はギリギリセーフ。

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