第11話 もっとご褒美を下さい

「ふー! 満足しました!」


 ほっこりツヤツヤ、満ち足りた表情で椿が額に浮かんだ汗を拭う。

 それぐらい熱烈な撮影会だった。


「暑いですね。冷房をつけましょうか」


 制服の胸元をパタパタしながら、椿がリモコンを操作する。

 そんな姿に見惚れつつ、世界一幸せな生き地獄が終わって、風太はホッと息を吐いた。


「さて、次はなにをして貰いましょうか」

「まだやるの!?」


 風太の言葉に、椿がしゅんとした。


「……だって私、風太君の画像を撮っただけで、まだ全然甘えてませんよ?」


 もじもじうるうる、言うのである。


「そ、それはいいんだけど。ちょっと休憩させて欲しいと言うか。なんかもう、いっぱいいっぱいで」


 具体的にはお腹のお猿さんを大人しくさせる時間が欲しい。こんなのが続いたら、張り詰めた想いが物理的に溢れてしまいそうだ。


「それでは少し休憩しましょう。その間にシャワーを浴びて部屋着に着替えますので、適当にくつろいでいてください」

「シャワー!?」


 お猿さんが騒ぎ出した。


「勘違いしないで下さいね。膝枕をして欲しいんです。……それでその、沢山汗をかいてしまったので……。私、臭くなかったですか?」


 今になって気づいたというように、恥ずかしそうに椿が尋ねる。


「すごくいい匂いだったよ!」

「言わないで下さい!?」


 ぐっと親指を立てると、涙目の椿にクッションを投げられた。


 そういうわけで小休憩になった。


 一緒にリビングに降りていき、椿は風呂場に向かった。

 ふと振り返ると、視線を下げた椿がちょっと意地悪な顔で言ってくる。


「もしアレでしたら、風太君もスッキリしてきていいですからね?」

「椿ちゃん!?」


 真っ赤になって風太が言うと、椿はキャー! と可愛い悲鳴をあげて脱衣所に消えた。

 もう! 全然笑えないよ!

 げっそりしてため息を着くと、脱衣所の扉が少し開いて椿が顔を出した。


「覗いちゃだめですよ?」

「の、覗かないよ!?」

「ふふ。言ってみたかっただけです」


 パタン。


 ようやく落ち着いて、風太はふらふらとリビングのソファーに座り込む。


 どうやら学校での椿は猫を被っているらしい。こちらの方が椿らしいとは思うのだが、見違えるように綺麗になった椿にませた悪戯をされると、風太は物凄く困るのだ。


 がさごそ、ぷち、ふぁさ……。

 静寂に衣擦れの音が響く。

 それだけで、風太は色々想像して息を呑んだ。


 シャワーの音と共に、ルンルンの鼻歌が聞こえてくる。

 風太は俯くと、ある一点をじっと見つめて真剣に考えた。


 この後椿に膝枕をする事を考えると、本気でスッキリしてきた方がいいのではないだろうか?


 †


 シャワー自体はすぐに終わり、残りの時間はドライヤーに費やした。

 手伝おうかと風太が聞くと、椿は大喜びで是非! と答えた。


 小学生の頃も、ままごと感覚で椿の髪を乾かしていたのだ。その延長のつもりだったが、改めて同じ事をすると、物凄くドキドキした。椿の白いうなじを見ていると、風太は自分が吸血鬼になったような気がした。最中椿は幸せそうで、はにゃ~っと可愛い声で鳴いていた。それで少しは風太も彼氏らしい事が出来た気がした。


「……それでは、失礼します」


 部屋に戻ると、可愛い部屋着に着替えた椿が緊張した様子で風太の膝に頭を置いた。


 風太はスッキリしておかなかった事を後悔した。

 でも、後の祭りだ。


「えっと、どうしたらいいかな?」


 どぎまぎしながら風太は言った。

 膝枕をするなんて初めてだ。


「……このままでもいいですけど、頭を撫でてくれたら嬉しいです……」


 髪を乾かしてあげたからか、椿は余計に甘えん坊になっていた。凛とした声は丸みを帯びて、舌っ足らずになっている。大人っぽい見た目とはミスマッチだが、それが余計に可愛く思えた。


 お腹の中のお猿さんに、にょきっと小悪魔の角が生えた。


「なんだか椿ちゃん、赤ちゃんみたいだね」


 膝の上で、椿の身体がビクリと震えた。かぁ~っと顔が赤くなり、目元が涙で潤んだ。仰向けになった椿が泣き出しそうな顔で風太を睨む。


「……そんな事言うなんて、風太君は意地悪です」

「でも、本当の事でしょ? それに僕、甘えん坊の椿ちゃんも大好きだよ?」


 お腹の中の悪魔は猿のようには騒がない。

 変わりに風太を少し意地悪にした。


 優しいけれどどこか冷めた目で椿を見下ろす。右手を頭を近づけると、椿は「ひっ」っと身をすくめた。サラサラの髪を指で梳くように撫でる。途端に椿の身体から緊張が溶けだし、ひくひくしながらくったりと身を預けた。


「気持ちいい?」

「……はい。とても」


 とろとろに蕩けた顔で椿は言う。


「マッサージしてあげようか」

「……おねがいします」


 風太は指の腹を押し当てて、見よう見まねで頭皮マッサージを施した。


「んぁ、あぁ、ふぁぁ、きもちいいです……」


 半ば喘ぐようにして、うっとりと椿は言う。


 幸せそうな椿を見てると、風太の胸も幸せでいっぱいになった。

 エッチな気持ちとはまた違う、穏やかな満足感がそこにはある。


 それはそれとして、この状況はエッチすぎて風太はもう限界だった。


「そ、そろそろいいんじゃないかな?」

「え~。もっとして欲しいです。今度はうつ伏せで、風太君の匂いが嗅ぎながら」


 はしゃいだ椿がころんと下を向く。


「だ、だめだってば!?」


 そんな所、絶対臭い。こっちはシャワーを浴びてないのだ! そうでなくても、そんな所にうつ伏せなんて耐えられない!


 逃げようとした風太は、思わず閉じていた股を開いてしまった。

 そこに封印してあった本能が、勢いよくブン! と起立する。


「ふがっ!?」


 鼻面に棍棒の一振りを食らい、椿が悲鳴をあげてひっくり返った。


「つ、椿ちゃん!? だから言ったのに!?」


 いや、こんなマヌケな事態を想定していたわけではないのだが。

 恥ずかしくて、風太は穴を掘って埋まりたい気分だ。


 仰向けに転がった椿は目をパチパチすると、急に腹を抱えて笑い出した。そして不意に起き上がると、風太のお腹に顔を埋めるように抱きつき、すぅ~っと美味しそうに深呼吸をした。


「つ、椿ちゃん!?」

「風太君、大好きです」


 お腹に顔を埋めたまま、幸せを逃がすまいとするように、椿がぎゅっと腕に力を込める。


 その後頭部を風太が撫でた。


「……僕だって大好きだよ」

「はい。先程から、ビンビンに風太君のラブを感じています」

「椿ちゃん!? 仕方ないでしょ! 男の子なんだから!」

「そうですよ? だから、いいんです。おかげで沢山充電出来ました。これなら明日も、誰にも負けない最強彼女でいられそうです」


 うっとりと、けれどどこか力強く、椿は言う。


「……この先も、今日みたいな事が続くのかな」


 不安になって風太は言った。


「こんなのはまだ序の口です。風太君を狙っている女の子は多そうでしたし。私の戦いは始まったばかりです」

「……私達、だよ」

「……ですね」


 抱きついていた椿が顔を上げる。


「風太君が私を好きでいてくれる限り、私は絶対に誰にも負けません。だから……」


 その先を言えずに、椿の顔は俯いた。


「……こんな事、お願いするものではありませんね」


 沈んだ顔を、風太は両手で挟んで前を向かせる。


「僕は一生椿ちゃんの事が大好きだから! 椿ちゃんと結婚して、子供を作って、一緒にお爺ちゃんになって、同じお墓に入るって決めたんだ! だから頑張ろう! どんな邪魔をされても、二人で一緒に幸せになろう!」


 ぽかんとした椿の目から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。


「つ、椿ちゃん!? ご、ごめん! 僕、泣かせるつもりじゃなくて!」

「いいんです。嬉し泣きですから。もう、そんな事言われたら、泣くに決まってるでしょう!」


 ぐしぐしと目元を擦りながら、椿が照れ隠しで風太の太ももを抓った。


「えぇ、二人で一緒に幸せになりましょう。その為に、私は帰ってきたんですから」


 そして風太は帰る時間まで、たっぷり椿を甘やかした。


 別れ際、下に着ているTシャツを要求されても、風太は快くそれに応じた。

 それで椿が元気になるならお安い御用だ。


 ……変わりに椿の下着を、なんてチラッと考えたが、恥ずかしいので言えなかった。


「それじゃあ、また明日ね」

「はい。また明日」


 風太が帰ると、広い一軒家に椿は一人ぼっちになった。


 でも、昨日程は寂しくない。携帯には沢山の画像と動画があり、手には風太の匂いがしみ込んだTシャツがある。なにより心には、風太のプロポーズが神々しく輝いている。


 その言葉が光を失わない限り、椿はどんな困難にも打ち勝てる気がした。


 それに、大変な事がある度に風太からご褒美を貰えると思えば、むしろ大歓迎という気さえする。


 ともあれ、椿は風太のTシャツに顔を埋めて深呼吸すると、残念そうに言うのである。


「はぁ……。あのタイミングでキスをしてくれたら最高だったのですが」

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