第10話 ご褒美を下さい

「……こうなるって分かってたら、もっと綺麗にしてたんですけど」


 椿の部屋はあの頃とほとんど変わっていなかった。ピンク色の小物が目立つ、いかにも小学生の女の子の部屋といった内装だ。


 目に見える違いと言えば、開封しかけの段ボールが幾つか並んでいる事くらいだろう。


 椿が言うほど散らかってはいない。というか、まったく散らかっていない。これで汚いなんて言われたら、風太の部屋は泥棒に入られた後だ。


 あの頃は、もっと広い部屋だと思っていた。二人で一緒に眠った大きなベッドも、改めて見れば普通のサイズだ。


 椿の部屋からは強烈な女の子の匂いがした。別に匂いが強いとか臭いとかそういう事ではない。ふんわり優しい甘い香りだ。けれどそこには、男子高校生が強烈だと感じてしまうドキドキの成分が大量に含まれていて、否応なく風太をムッツリさせる。


 ていうか僕、小学生の頃に椿ちゃんと抱き合ってあのベッドで寝てたんだよな……ゴクリ。である。


 いや、あの頃だって風太は結構ドキドキしていたのだが、それはもっと夢みたいな現実味のないドキドキで、健全な男子高校生が抱く生臭いドキドキとはわけが違う。


 なんにしても、風太が前屈みにならない為には、かなりの精神力を必要とした。


「じゅ、十分綺麗だと思うけど……」

「それはだって……。こうなる事をまったく考えてなかったわけではないので」


 どぎまぎする風太に、椿はチラチラと恥ずかしそうな上目遣いを向ける。


 清楚でクールな大人のお姉さんみたいになった椿が、急にそんな可愛い顔をするのだ。風太の理性はビンビンに張り詰め、今にも切れてしまいそうである。


 こんなに可愛い子が僕なんかの彼女で、本当にいいんだろうか?

 嬉しさが一周して、申しわけない気分にすらなる。


 ……ていうか! 椿ちゃんもこうなる事をちょっとは考えてたって、コトォ!?

 そそそ、それってつまり! わー!


 色んなものが込み上げて、風太は走り出したい気分だ。


「そ、ソッカァ……。そ、ソレデ、ボクハ、ナニヲシタライイノカナ?」


 ばかばか! それは早すぎる! 椿ちゃんだってそこまでは考えてないってば!

 そう思いつつ、期待してしまうのが健全な男子高校生である。


 否応なく、息はむはむは、声も上擦る。


「……はい。とりあえず、画像を撮らせて頂きたいなと……」

「……画像?」

「……はい。寝る前や不安な時に眺めたり、待ち受け画面にしたいので……。いやですか?」


 恐る恐る尋ねる椿に、風太はふるふると首を横に振る。


 なんだ画像か、なんてがっかりしない。むしろ、そんな可愛らしいお願いをしてくる椿に胸を掻きむしりたくなるくらい萌えた。


「それくらいお安い御用だよ。ポーズとか取った方がいい? なんなら服も脱いじゃうけど」


 ムッツリ君と言われた仕返しにそんな事を言う。

 冗談のつもりだったのだが、椿は真顔で聞いてきた。


「えっ。いいんですか」

「じょ、冗談だよ!」

「で、ですよね~」

「「あはははは……」」


 取ってつけたように笑い合うと、気まずい沈黙が立ち込めた。


「……つ、椿ちゃんがどうしてもって言うなら、脱ぐけど」

「――ッ!?」


 椿はハッとして、拳を握り、目を固く閉じ、キュゥ……っと呻った。

 そして、力なく首を横に振る。


「……やめておきます。そこまでしたら、自分を抑える自信がありませんので」

「だ、だよね。あははは……」


 風太はちょっとがっかりした。って、バカ! なに期待してるんだよ! これじゃあ僕が誘ってるみたいじゃないか!


 みたいもなにも、誘っているのである。悪いムッツリだ。


 そんな風太を、椿も拗ねるような顔で見返した。


「風太君の気持ちは分かります。私だってそりゃ……同じ気持ちですから。でも、まだ付き合ったばかりですし。そういうのはもっと、段階を踏んでからにしたいです。私達、まだデートだってしてないんですから。……いやですか?」

「い、いやじゃないよ! そういうのは、椿ちゃんのタイミング次第だと思うし!? ていうか別に僕も、そんなつもりじゃなかったし!?」

「本当ですか?」


 白々しいものを見るように、ジトーっと椿が見つめてくる。


「……嘘ですごめんなさい。めちゃめちゃ期待してました……。だって椿ちゃん、本当に物凄く可愛いんだもん! 僕の為に色々頑張ってくれて、好きすぎて頭が変になっちゃうよ!」


 風太だってこんなお猿さんみたいにはなりたくない。大事な彼女だ。大事に大事に愛したい。でも、オスの本能が勝手に騒ぐのである。


「……はい。そう言って貰えて、私も凄くうれしいです。だからこそ、もう少し我慢しましょう。勢いでやってしまっては、きっとお互いに後悔するでしょうから」


 その言葉で、風太も少し冷静になった。


 その通りだ。僕はもう椿ちゃんを不幸にしないって決めたんだ。そして、幸せにすると決めたのである。いじめから守るだけでは足りない。そんなのは当たり前で、その先の、もっと彼氏らしい色んな事をして幸せにしてあげなければいけない。本能なんかに負けている場合ではないのである。


「そうだね。僕も頑張るよ!」


 というわけで撮影タイムが始まった。


「むは、むは、いいですね。実に良いです。学校では人の目があってあまりじっくり見られませんでしたが。こうして改めて見ると、風太君は本当に格好よくなりました。かっこ可愛い宣言です」

「つ、椿ちゃん。ちょっと、近いよ……」


 さっきのやり取りはなんだったんだろうと言うくらい、椿は露骨に興奮していた。耳まで真っ赤になりながら、風太の顔をドアップで撮りまくる。当然身体は近くなる。ご存じの通り身長差カップルなので、椿の胸がゆらゆらと鼻先で揺れる。


 運動して汗をかいたからか、はたまた興奮のせいか、もわわんと熱っぽい風が流れて来る。嫌な臭いではない。むしろいい匂いすぎる。瓶に入れて持って帰りたいくらいだ。だから困る。物凄く困る。風太の決意とは裏腹に、お腹の底に飼っているお猿さんがウッキーウキウキ! と理性の檻を揺らしまくる。


「鎖骨が見たいので上着を脱いで貰ってもいいですか?」

「椿ちゃん!?」

「ご、ご褒美ですから! 裸になるわけじゃないですし、それくらいはセーフかと!」


 目元をうるっとさせながら、必死になって椿が訴える。


 ……いや、そんなに必死にならなくても、鎖骨なんか幾らでも見せてあげるのだが。


 そういうわけで、風太は制服の上着を脱ぎ、シャツのボタンを何個か開けて、ぐっと襟元を伸ばして鎖骨を晒した。


「こ、これでいい?」

「いいです! すごくいいです! 最高です! それでもっと、儚げと言うか、憂いを帯びた感じで俯いてくれるとなおいいです!」

「この格好、結構辛いんだけど……」


 椿に細かく指示をされ、風太は乙女座りでしなを作らされた。なんだか穢された女の子のポーズみたいで恥ずかしい。それをカシャカシャ撮られるのも、なんだかいけない事をしているようで恥ずかしい。なのにお腹のお猿さんは、それもありウキ! とはしゃぐのである。


 というか、この格好だと風太のムッツリが物凄く目立ってしまう。幸い椿は撮影に夢中で気づいていない。今のうちにこっそりと、風太はそれを太ももの間に挟んで隠した。

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