第9話 強くて弱い最強ヒロイン

 椿ちゃん、本当に強くなったんだ。

 目の前の光景に、風太は唖然としていた。


 やられると思った瞬間、椿の身体は蝶のように舞い、あっと言う間に後ろを取って締め技をかけてしまった。


 真姫も粘ったようだが、耳元で降参するように説得されたのか、暫くしてギブアップを宣言した。


 その直前、ぶるぶるっと震えてとろんとした顔になっていたのは謎だったが。


 落とされる寸前だったのだろう。今も武道場の真ん中でくったり倒れてひくひくしている。なんだかエッチな感じがしてしまうが、頑張って戦った人をそんな目で見るのは失礼だろう。


 風太は着替え終わって戻ってきた最愛の人に視線を向ける。


「おかえり椿ちゃん! すごいや! いつの間にこんなに強くなったの!?」

「実は引っ越した後、風太君に内緒でおばさんに良い道場を教えていただいたんです。あとはまぁ、転校した中学校が少し特殊な女子校でしたので」

「え?」

「まぁ、色々あったという事です。それより、やる事は済んだので帰りましょう。長居して面倒な相手に絡まれるのも嫌ですので」

「そうだね! 青山さんがすごい顔で睨んでるし!」


 出来ればこれに懲りて二度と関わらないで欲しいのだが、あの顔では無理そうだ。


 今なら野次馬も混乱しているし、玄関が混む前に帰るとしよう。


「……すみません。ちょっとあちらにいいですか?」

「え、うん。いいけど……」


 急に椿がひと気のない廊下の端に足を向けた。

 トイレだろうか?


 聞くのも野暮なのでそれ以上はなにも言わずに一緒に歩く。

 死角に入った途端、急に椿の膝がかくんと崩れた。


「椿ちゃん!?」


 慌てて風太が身体を支える。

 椿の身体はガクガクと震えていた。


「……すみません。ホッとしたら、急に力が抜けてしまって」

「椿ちゃん……」


 それで風太は思い出した。

 元々は、椿は臆病でシャイな性格なのだ。

 大勢の前で喧嘩なんかして、怖かったのだろう。

 そして、ものすごく緊張したに違いない。


「……頑張ったね、椿ちゃん。それに、ありがとう。僕の為に、怖かったよね……」


 言いながら、風太は椿の背中を優しく撫でた。

 ブラ紐の感触が気になるが、そんな場合じゃないだろ!? と必死に無視する。


「……気にしないで下さい。私達の為ですから」


 青い顔をしながら、それでも椿は笑ってくれた。

 その顔が愛おしすぎて、風太は大好きだあああああ! と叫びだしたくなった。

 今すぐ全力で抱きしめて頬擦りしたい気分である。

 学校なのでそんな事は出来ないが。


「……そうだけど。だったら余計に悪いよ。僕達の事なのに、僕だけ見てるだけなんてさ。なにか僕にも出来る事があればいいんだけど……」


 彼氏なのに、自分は何も出来ていない。大好きな彼女を守れずになにが彼氏だ! その事が、風太は心底歯痒かった。


「……だったらその、頑張ったご褒美が欲しいなと……」

「もちろんだよ! なにがいい? お肉屋さんのコロッケ? それともタピオカ屋さんにする? なんだって奢っちゃうよ!」

「…………かして欲しいです」

「ぇ?」


 蚊の鳴くような声に聞き返すと、椿は顔を真っ赤にして言い直した。


「……うちに来て、甘やかして欲しいです」


 胸元で指をもじもじして、恥ずかしそうに視線をそらしながら椿がおねだりする。

 可愛すぎて、風太は思わず喉を鳴らした。


「こ、これから?」

「……だめですか?」


 潤んだ瞳で見つめられ、いやと言える男がいるだろうか? 否!

 そもそも断る理由がない。

 自分の為に頑張ってくれた可愛い彼女のお願いを聞けなくてなにが彼氏だ!


 口の中が砂漠みたいに乾いてしまったので、風太はぶるぶると首を横に振る事しか出来なかったが。それで思いを伝わったらしい。


 そういうわけで、風太はそのまま椿の家に直行した。


 †


「おじゃましま~す!」


 懐かしの一軒家に足を踏み入れると、風太は元気いっぱい挨拶をした。

 椿ちゃんのお母さんは元気だろうか?

 僕達、また付き合ったんです! と挨拶をした方がいいのかな?

 と、呑気な事を考えていたのも束の間。


 風太は自分と付き合った事が原因で椿がいじめられた事を思い出し凍り付いた。

 ……やばい。どうしよう!

 おばさん、絶対僕の事恨んでるよ!

 とてもじゃないが合わせる顔がない!


 風太君はまたうちの娘を不幸にする気なの!?

 なんて言われたらどうしよう!


 椿の親の気持ちになれば、どの面下げて現れた! と塩をまかれても仕方がない立場である。


「どうしたんですか、風太君?」


 突然黙り込んだ風太を椿が不審がる。

 声を潜めて理由を説明すると、椿は笑った。


「なにを言ってるんですか。お母さんもお父さんも風太君の事を恨んでなんかいませんよ。むしろ、必死に庇ってくれてありがとうって感謝しているくらいです。それに、安心してください。家には今、私しかいませんので」

「え? 旅行にでも行ってるの?」


 ホッとしつつ、風太は聞いた。椿の両親は仲良しでよく旅行に行っていた。あまりに頻繁に行くものだから、椿が嫌がって留守番を希望する程だ。それで時々、風太の家で椿を預かることがあった。逆に、留守番をしている椿の家に風太がお泊りに行く事もあった。


 それくらい、椿とは昔から仲が良かったのだ。


「いいえ。お父さんは転勤したままで、お母さんも一緒に居ます。どうしても風太君に会いたくて、無理を言って私だけこっちに戻ってきたんです」

「…………そうなんだ」

「……引きましたか?」


 不安そうな顔をする椿に、風太は首を横に振った。


「ううん。びっくりしただけ」

「……本当ですか? ストーカーとか、ヤンデレみたいだって思ってませんか?」

「思うわけないよ! むしろ、僕の為にそこまでしてくれて嬉しいくらいだよ!」

「……ならいんですけど。自分でも、ちょっとやりすぎかなと思ってたので……」


 ひと目がなくなったからだろう。椿は急に甘えん坊になって、幼く見えた。

 それもまぁ、前からではあるのだが。


 人前ではお姉さんぶる事の多い椿だが、二人っきりになると結構甘えてくるのである。そういう時は風太もお兄ちゃんになった気持ちで、椿を甘やかしたものだ。


 と、そこである事に気づく。


「……じゃあ今、椿ちゃんは一人暮らしって事?」

「そうですよ。風太君がいるなら大丈夫だろうって、お母さん達も許してくれました」


 それは嬉しい事なのだが。


「……じゃあ今、この家には僕達二人だけって事?」


 青くなったり赤くなったりする風太の顔色を見て、椿はキョトンとした。

 そしてふとなにかに気づいて、意地悪な笑みを浮かべた。


「なにを想像してるんですか、ムッツリさん」


 甘い声で囁かれ、風太はムッツリしてしまった。


「椿ちゃん!?」

「だって本当の事じゃないですか」


 けらけらと椿が笑う。

 そんな顔を見ていると、嫌な事がある前の昔の椿に戻ったようだ。


「さぁ、私の部屋に行きましょう。今日も昨日も一昨日も、本当は私、ものすごく大変だったんですから。その分た~っぷり、甘やかしてくださいね、風太君」

「……はひ」


 ルンルンで階段をのぼる椿のお尻に釘付けになりながら、風太は答えた。


 ……どうしよう。

 もしかして僕、大人の階段上っちゃうの!?


 そんな妄想をしてしまうくらいには、ムッツリ君な風太なのである。

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