第8話 寝技は得意です
ゴングと同時、真姫は姿勢を低くしてタックルを繰り出してきた。
それで寝技に持ち込むつもりなのだろう。
椿の予想通りだった。
野次馬の中に真姫をグラップラーと呼ぶ声があった。
つまり組技が得意という事だろう。
顏や腹の殴打、怪我をするような攻撃も禁止となれば、有効な手は多くない。初手タックルからの寝技に持ち込んでという流れは予想がつく。真姫の体格を考えても、ありそうな事だった。
こんなぬるいルールでなければ顔面に膝蹴りを当てて終わりである。
が、ルールはルールなので、椿は驚いた顔を作って真姫が近づくのを待った。
不意を突かれて硬直したとでも思ったのだろう。
真姫の顔は勝利を確信して笑っていた。
冗談じゃない。地獄のような日々を乗り越えて、ついに風太の彼女になれたのだ。
しかも風太は、あんな惨めな目にあった自分をまだ女として見ていてくれて、彼女も作らずに健気に待っていてくれたのだ。はっきり言って奇跡である。
風太なら、言い寄ってくる女なんか幾らでもいただろう。大体、小学生の頃のままごとみたいな初恋を律義に引きずる必要なんかないのである。
……まぁ、それは椿も同じなのだが。
それでもやはり、必死になっていじめから庇ってくれた幼馴染の男の子が忘れられず、椿はこの数年間、ひたすら自分を磨いてきたのだ。
風太が自分を忘れていてもいい。
風太が自分の事を好きじゃなくなっていてもいい。
彼女がいたって構わない!
……いや、全然よくないしその事を考えるとマジで死にたくなるのだが。
その時は、略奪愛に走ってでも風太を奪う覚悟だった。
それくらい、椿は風太の事が好きだったのだ。
なにがなんでも風太の彼女になり、一生記憶に残る最高にハッピーな青春を過ごし、結婚して子供を産み(男の子と女の子を一人ずつ。でも、もう一人欲しいかも。そこは風太と相談で)、一緒に歳をとって同じ墓に入ると決めたのだ。
そこまで覚悟していたのに、蓋を開けてみたら風太は今も自分を好きでいてくれて、ヤリたい盛りの高校二年生の癖に童貞まで守っていて、告白したらあっさりオーケーしてくれたのである。
風太は優しくて真面目な男の子だから、もしかしたら贖罪のつもりで付き合ってくれたのかもしれないとも思った。
けれど、びっくりするくらい大きく成長したリトル風太の荒ぶり具合や、目っ直ぐ目を見て二度目の告白をしてきた時の真剣な顔、その後の幸せそうな反応の数々を見て、風太も心から自分を好きでいてくれているのだと椿は確信した。
これまでのハードモードだった人生が、一気にイージーになった気分である。
最大の不安であった風太の気持ちを射止めたのだ。
ならばあとは進むのみ! どんな障害も恐れるに足りない!
……まぁ、それは言い過ぎだが。
ともかく椿は、この程度の苦難は当然のように想定していた。
というか、風太と別れてから、ずっと色んな事を想定していた。
想定して想定して想定しまくって、どうやったらもう一度風太の彼女になり、二人で幸せになれるか、それだけをずっと考えてきたのだ。
いや、考えるだけではない。
それを実行出来るように自分を磨いてきたのである。
その中の一つが武力だ。
シンプルな話、弱い奴はいじめられる。
もちろんそれだけが理由ではないが、そうは言っても武力は絶大である。椿自身、風太に守って貰わなくてもいいくらい強くなれば、それだけ自信もつく。逆に自信がなければいじめっ子に目をつけられていじめられる。
そんな風にして、椿は一つずつ不安材料を潰してきた。
その成果を今こそ見せる時である。
見てください風太君! 私、こんなに強くなったんです!
発表会の舞台にでも立ったような心地で、硬直した振りをしていた椿はひょいと、かがんだ真姫の背中の上を転がった。
後ろを取るとそのまま素早く真姫の首に腕を巻きつけ、膝カックンの要領で体勢を崩す。
チョークスリーパーの完成だ。
ようやく真姫も椿が見た目通りのか弱い少女ではないと気づくが、後の祭りである。力づくで跳ね返そうとしても、椿は巧みに重心を移し、足を絡めて真姫の動きを封じるのでどうにもならない。
「残念でしたね。寝技は私の得意分野です」
耳元で椿が囁く。
女相手に戦う事の多かった椿である。跡の残る打撃技よりも、寝技の方が都合が良かった。
じっくりと相手の心を折り、敗北感を植え付けるという意味でも、寝技は有効である。
「降参してください。気絶してお漏らしなんかしたら、真姫さんも恥ずかしいでしょう?」
真姫にはこの後役に立ってもらう。
必要以上に恥をかかせるわけにはいかない。
それに、椿だってお漏らしには苦い思い出がある。
他人に同じ経験をさせたくはない。
「ぐ、げぇ、だ、れが、する、か……」
喉の奥で真姫が呻いた。
学校最強のプライドがあるのだろう。
ちらりと絵里の方を見てみるが「なにやってんのよ! 学校最強でしょ!? 頑張りなさいよ!?」とタオルを投げる様子は全くない。
まぁ、絵里には元から期待はしていないが。
椿が彼女に望んだのは火付け役である。
こちらとしてはさっさと邪魔者を排除して風太とラブラブ青春ルートに入りたいのだ。
時間を節約する為に、彼女を使ってイベントを加速させたのである。
絵里がなにかしなくても、いずれは似たような事態になっていたはずである。
なら、早く済ませてしまった方がいい。
見えない所で一人ずつ相手をするよりも、大勢の前で大物を潰した方が牽制にもなる。
真姫を倒せば、その辺のモブは手を出せなくなるはずだ。
問題は、このガッツのありそうな女をどう落とすかである。
締め落とすのは簡単だが、それでは心を折れない。
心を征服しなければ、真に勝ったとは言えないのだ。
「いいでしょう。その強情さがどこまで続くか、我慢比べといきましょうか」
気絶しない程度に腕を緩めると、椿は真姫の耳を口に含んだ。
「ひぁあ!? な、なにしやがる!?」
「耳舐めですがなにか?」
「な、なにかじゃ――にゃぁあ!? や、やめろっての!?」
「いやなら降参してください。さもないと、もっと気持ちよくしますよ」
「――んぁ!? ちょ、そこは、だめだって!?」
後ろから組み付いたまま、椿は踵を真姫の下腹部に押し当てた。
ぐりぐり、とんとん、ごしごし。
巧みな足さばきに、真姫はビクビクと身体を震わせ、あっと言う間に息を荒げた。首絞めによる酸欠と耳舐めも加わって、色々危ない状態である。
「いけない子ですね。みんなが見ている前で感じるなんて。まるで変態じゃないですか」
「ち、違う! これは、だって、お前が変な事するから……」
「誰がお前ですか」
椿は急に怖い声を出し、ぐりりと足に力を込めた。
「ひぁあ、ご、ごめんらさい、つ、椿さんれふ……」
「なんて声出してるんですか。まるで盛った豚ですね。いやらしい身体をして、本当はこういうのを求めてるんでしょう?」
「ち、ちがいまふ! ふ、太りやすい体質なだけなんれす! もう、勘弁してください! じゃないとオレ、本当にっ……」
「本当に、なんです?」
「――――……」
「――――」
「――――ッ!?」
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