第8話「終業式」

 教室に一歩足を踏み入れると、昨日の放課後に誰かが飾り付けたらしい、いつもより緑と赤の主張の強い黒板が目に入る。三角形と四角形だけで適当に書かれたクリスマスツリーらしい何かは、誰かがぶつかったせいか既にぼんやりとしていた。

「クリスマスだねぇ」

 なんて、黒板を眺める冬子に、恵が声を掛けてくる。

「恵は、なに貰ったの?」

 そう冬子が聞くと、恵はにやりと笑みを浮かべた。ブレザーのポケットに手を突っ込むと、ゆっくりゆっくりと、もったいぶった動きで中に入っているものを取り出す。

「じゃーん」

「もったいぶって取り出した割には、スマホだ。写真撮ったの?」

「いやいやいやいや、これだよ、これ。スマホ」

 カパ、とプラスチックのケースを外して、冬子の前にピンク色のスマホがぽんと置かれる。そう言えば、恵の使っていたスマホは白かったような気がしなくもない。

「色違い?」

「いんや、ほらここ、カメラ、増えてるでしょ」

「あー、そう?」

 いまいち違いは解らないが、どうやら違うらしい。そのほかにも、表に返してホームボタンが消えただの画面がちょっと広いだのと一通りスマホの説明をして、恵は見事なドヤ顔を決めた。

「ま、とろにゃ違いも解らんよなー」

 ――違いもなにも、そもそもが分からない。

「とろは、今年は何か買うの?」

 スマホをポケットに仕舞いながら、恵は冬子の机に座った。後ろ向きに冬子を見て、恵は自分の身体よりも少し後ろに手を付く。

「Tシャツ買おうかな」

 くたくただから、と冬子は付け加える。

「おお、いいね」

 恵はくはは、と変な笑い方をして、ぴょんと冬子の机から飛び降りた。

「せっかく知らん人の誕生日なんだから、ちゃんと贅沢せにゃいかんわな」

「恵の家、キリスト教じゃないの?」

「んなもん私には関係ないよ。私は神社にもお寺にも教会にも新年の挨拶をするタイプだから」

 めちゃくちゃだなぁ、なんて思いながら、冬子は机の上にペンケースを置いた。

「あ、これも新しくしたいかも」

 そろそろ穴が空いてもおかしくはない。縫って補強してもいいのだけれど、せっかくの機会なのだし。

「あー、アリよりのアリじゃん」


 生徒全員を入れるにはやや狭い体育館に座り、長い校長の話を聞く。早めの勉強を、とか、規則正しい生活を、とか、そういう話だ。あとは、犯罪に巻き込まれないように、とか。

 校長が引っ込んだあとは、生活指導担当が出てきて、同じような話を続けざまにする。隣に居る男子はとうに舟を漕いでいるし、この調子だとずっと前に座っている恵も寝ているだろう。

 ちょっと長めのスカートごと太腿を抱えて、冬子は再び壇上を見る。生活指導の先生の話は続いていて、今度はなんだかよくわからない感謝の話をしていた。登下校の態度がいいと褒められたらしく、それについてやっぱり長々話している。

 時計が指すのは午前十時半で、予定だとそろそろ終業式も終わるはずなのに、まだまだ行程の半分くらいしかきていない。この長さが冬でよかったなと、冬子は熱弁する先生を見ながら思った。

 やっと終業式自体が終わったかと思うと、三年生は残るようにと放送がある。冬子は一年生だから関係ないのだけれど、ちょっと気の毒に思った。解散の指示が出てすぐに、冬子は流れに逆らって前の方へ向かう。恵や美紀、佳恵と合流するのだ。

 口を大きく開けて欠伸をしている恵の横に立ち、進行方向を変える。

「めっちゃ話長かったなぁ、今日」

「ただでさえ長いのに三倍くらい話してなかった? その話いる? って感じじゃない?」

「いるんでしょ。あたし、カレシんとこ行ってくるから」

「うわ、クリスマスもいちゃいちゃか。ちゃんと避妊しろよ」

「はあ⁉」

 左で繰り広げられるひどい会話を聞き流しつつ、冬子は雅紀を探した。今いないのなら、あとでもいいけれど、すぐに終わる話だからついでに話せるのなら、それがいい。

 後ろを振り返って探すと、友達と肩を組みながら歩く雅紀が見えた。暫く眺めていると、目が合う。何も冬子は言わなかったけれど、雅紀はすぐに寄ってきた。

「うわっ!」

 声を出したのは恵だ。ちょっと頬も紅い。

「やっほ」

「こ、こんにちは!」

 男女違うとはいえ、バスケ部というのは一緒だから、どこかしらで接点もあるだろう。学校だって、小学校の頃から一緒だし。

「とろさ、今年も行ける?」

 丁度、冬子が話したいと思っていたことを、雅紀が先に話し出す。

「うん。今年もお願い」

「おっけー、父さんに伝えとく」

 んじゃまた正月、と雅紀は手を振りながら友達の方へ戻っていく。ばいばい、と冬子も手を振り、ふと横を見ると。

「あわ、あわわ」

 恵がガチガチになっていた。

「なんでコイツ壊れたの?」

「いつものだろ」

「ああ」

 美紀は呆れたように両手を左右に広げて、すぐに彼氏を見つけたのか小走りでどこかへ行ってしまった。

「とろちゃん、これ、どうする?」

 カクカクと動く恵の腕をぐいぐいと佳恵が引く。冬子も、一緒にもう片方の腕を掴んで引く。

「こうなったら、どうしようもないよ」

「恋する乙女は大変だねぇ……。まためんどくさくならなきゃいいけど」

 あはは、と冬子は曖昧に微笑んで返した。

「と、とことことこところで」

「もういないから」

 ぺし、と佳恵が恵の頭を叩く。漸く正気に戻ったらしい恵は、冬子のブレザーの襟を掴んだ。

 ――正気じゃないかも。

「さっきのは何の話? まさかデートするんじゃないでしょうねえ! この!」

「バイト」

 抵抗しつつ、冬子は恵の目をしっかり見て言う。

「巫女の」

 雅紀の家――天宮家は神職の家だ。ここ数年はずっと、冬子は初詣のような忙しい時期には巫女としてバイトをしている。バイトと言ったって、去年まではあくまでお手伝いだ。なにせ、中学生だったのだから。

「なんだ、安心した」

「安心できるのか? これ」

「私だから?」

 呆れる佳恵に、冬子は言う。

「そういうもんかねぇ」

「たぶん?」


「そんじゃ、冬休み楽しめよ。課題はちゃんとやっておくように。特にお前」

 課題忘れ常習犯の男子が指差され、教室がどっと沸く。担任は大体いつでもこんな感じで、いいのか悪いのかは知らないけれど、退屈はしない。

「じゃ、号令」

「きりーつ、きをつけ、れー」

 適当な号令に合わせて挨拶を終えると、これで漸く冬休みだ。

 なんとなく机の上に置いてあった通知表を開くと概ね3と4で埋まっていて、良くも悪くもない成績でなんとも言えない気持ちになる。2も5も無くて、普通って感じ。

「見せろ見せろ」

 ぺっと冬子の手から通知表が抜き取られ、代わりに冬子の手には恵の通知表が収まった。殆ど5で、4が幾つか。

「見ても面白くないよ」

 すぐに顔を上げ、恵の方を見る。

「いやいや、友達の成績を把握しておくのも友達の義務よ。そっちはいくらじゃ?」

 冬子の机の方へ歩いてきていた佳恵は、恵に指を指されるとさっと目を逸らした。

「よし、見なくても分かった」

「なんで!」

 手に、自分の通知表が戻ってくる。

「あー、どうして同じバスケ部なのに恵は成績がいいんだ――!」

 ガン、と冬子の机が揺れる。

 もうこのやり取りも二回目だから、冬子は気にせず窓の外に目を向ける。窓が曇っていて、外を歩く沢山の生徒たちもぼんやりとしか見えない。

「あ、雪」

 冬にしては曇天だと思っていたけれど。

 窓をあけると冷たい風と一緒に小さな雪の粒が教室の中に入り込んでくる。

「ホワイトクリスマスだ」

「今日部活あるっけ?」

「ないよ」

 パン、と恵が手を叩く。

「じゃあ、うちでクリパしないか? クリパ」

「――クリパ」

 冬子は鸚鵡のように繰り返す。

「クリスマスパーティーだね」

「ああ」

「昨日、私はケーキをホールで焼いた。つまり、今家には食いきれない量のケーキがある」

 ドヤ、と恵が胸を張れば、佳恵がはあ、と呆れ顔を作る。

「なんで食いきれない量焼くんだよ」

「いやー、材料余っちゃって」

「計画性~!」

 二人を眺めながら窓の外に手を出すと、ふわりと雪の粒が落ちて、溶けて消える。それが、何回か繰り返される。

「あ」

 はっと、冬子は思い出す。

「どしたん」

「洗濯物入れなきゃ」

 冬子が呟くと、恵が冬子の鞄を持って、出口のピクトグラムみたいなポーズを取った。

「よし、行くぞ、二人乗りだ二人乗り。とろん家寄ってから私ん家でクリパすんぞ」

「おー!」

 佳恵が恵に答えて、二人は冬子を置いて教室から出て行ってしまう。しかも、走って。

「荷物…………」

 冬子は恵が床に置きっぱなしにしていた荷物を持って、のんびり歩きだした。

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