第5話「トランプ」

「とろー、トランプやろう、トランプ」

 放課後になってすぐ、いそいそと鞄に荷物を詰め込んでいた冬子のもとに、片手に任天堂製の赤いトランプを持った恵がやってくる。恵の後ろには、恵の友達――今川美紀と石蔵佳恵の二人が居て、ちょっと呆れ顔で、けれど一緒になってトランプをやる気でいるらしかった。

 冬子に、放課後の予定はない。

 そういうわけで恵に向かって頷くと、三人はぱっぱと周りの机を動かして、小学校の頃の給食班のような形を作った。冬子の正面に恵が座り、右斜め前に美紀、真右には佳恵が座った。

 二人とは、あまり一対一で話したことが無い。一対二でもないのだけれど、兎に角、恵と一緒にいるときに一言二言言葉を交わすくらいだから何を言っていいのか分からない。

 取り敢えず誰もカードを切ろうとしないから、冬子はトランプを手に取って、昔恵に教えてもらった通りにカードをシャッフルして、とりあえずみんなに配ってみる。

「なにしよう」

 恵が呟く。

「考えてなかったの?」

 冬子が言うと、うーんと暫く考えてから、勝手にペアになったカードを捨て始めた。どうやら、ババ抜きをやるつもりらしい。

「ババ抜きね」

 美紀と佳恵も、すぐに納得した様子でカードを捨て始める。冬子も、自分の手許にあるカードをようやく見て、それからペアになったカードを捨て始めた。

 冬子がペアになっているカードを全て捨て終わって一息つくと、冬子のカードを何も言わずに恵が引いてババ抜きが始まる。

「うえ、ないんだが」

 恵はそのまま、自分のカードを美紀の方へ向けた。

「ていうか聞いてよ、またフラれたんだよ。ひどいよ、私はこんなに愛してるのに。どうしてなの、ねえなんで、ねえあああ」

 また始まった、と冬子はそっと上を見た。白い蛍光灯が光っていて、眼鏡の反射がちょっと綺麗だった。

「なんで振られたの?」

 美紀が引いたカードと手札を見比べながら問う。冬子はそっちを見ていたけれど、佳恵はずっと冬子のことを見ている。ちょっとだけ、怖いなと思った。

「重いって言われた…………どうして………………毎日朝から晩まで連絡取って私のことを考えてくれるようにって思ってるだけなのに…………………………!」

「重っ……」

 何気なく出たその美紀の言葉に恵は傷ついたらしく、あああ、とうめき声をあげて床に倒れ込んだ。

「まー、気持ちはわからなくもないけどさー」

 美紀のカードを選びながらもずっと冬子のことをチラチラ見ている佳恵が言う。

「ああ、とろはスカートが長いからガード硬いな」

「何言ってるの」

「ヨッシーは違うぜ、流石だ、へへへ、グレ――」

「とろちゃんとろちゃん、引いて引いて、あんなキモいの放っておいてさ」

 左手でスカートを押さえながら冬子が恵のことを見降ろしていると、佳恵はカードを捨て終えたらしくニコニコとカードを冬子の方へ突き出した。

 適当に真ん中あたりのカードを選ぶと、丁度ジョーカーだった。捨てずに、床に転がる恵の方にカードを向ける。

「美紀はいいよなあ、いい彼氏いて。クソが」

「口悪っ」

 恵はガバっと起き上がった。

「だってえ、なんで私だけすぐ振られるの」

 さっきの強気な口の悪さは消えた。恵はさっき冬子が引いたジョーカーを引いていき、うわ、という表情を作りながら美紀の方を見た。佳恵は、やっぱり冬子の方を見ている。

「とろちゃん彼氏いる?」

 ちょっと近づいた佳恵は、向こうの罵り合っている二人を無視して、冬子に問う。冬子はゆったりとした動作で首を横に振った。

「いない」

「仲間だ。私もいない」

 やれやれ、と二人で頷き合っている間に、向こう側からカードが回ってくる。

「とろおおおおおおおおおおおおおお」

「……なに?」

「きみまで! 浮気をするのか!」

「その、この間まで付き合ってた人には、浮気されたの?」

「されてないけど」

 はあ、と溜息を吐いて冬子は首をかしげる。

「じゃあ、までじゃないじゃん」

 いつもなら、冬子の奔放さにあきれる立場の恵も、殊この恋愛談義に於ては呆れられる側になる。

「まったく、恵が振られるたびに嘆きを聞くハメになるこっちの身にもなってほしいもんだね!」

 佳恵はがばっと両手を広げると、冬子を思い切り抱きしめた。誰かに抱きしめられるのは久しぶりだなぁ、と関係ないことを考えつつ、眼鏡だけは外して机の上に置き、腕の隙間からぼんやりとした視界で恵のことを見る。恵は、ああ、とまたうめき声を上げながら頭を左右に振るっていた。短い髪がバラバラと揺れて、いつも整ったていた髪は見る影もない。ピントが合っていないから、余計に人間に見えない。

「……妖怪」

 冬子がポツリと呟くと、佳恵が噴き出して冬子を捕まえる腕に力が入った。

「うえ」

 変な声が出る。ただ、ろくに運動もしない冬子がバスケ部の佳恵に力で勝てるはずもなく、抵抗は辞めた。無駄だ。取り敢えず、手に握ったカードだけは死守するべく、力をぐっと込める。

「とろちゃんかわいいねぇ」

 ぐりぐりと頭を撫でられて、冬子は解放された。佳恵は美紀からカードを一枚貰い、そこから冬子が貰い、さらに冬子は妖怪に渡す。

「しんどい。ああ」

「情緒が不安定すぎるって」

「だってえ、うわ――――ん」

 ぼろぼろと大粒の涙をこぼして、恵は机に突っ伏してしまう。もはやトランプどころではない。冬子は鞄から煮干しを取り出して、とりあえず一匹恵の口の中に入れた。

「煮干し…………」

 顔を上げると、美紀が微妙そうな表情をしていた。煮干しが嫌いなのだろうか、と思いつつも、冬子は自分でも一匹食べる。佳恵は勝手に袋の中から一匹取って食べていた。

「んまいねぇ。こんなにうまいのにどうして恵は元気になれないのか」

「彼氏にフラれたからだろ。まあ確かに、私だってアイツにフラれたらこうなるよ」

 美紀はそう言って、右下――恵の方を見た。今は指を机に立て、ずっと丸を書き続けている。もうどうしようもない。

「全然わからんて」

 佳恵は匙を投げると、カードを置いてまた冬子を抱きしめ始めた。パーソナルスペースなんてあったものじゃない。別に、冬子はそれほど他人からの接触が嫌いというわけでもないからいいのだけれど。

「抱き枕に欲しい」

「何言ってんの」

「程よく柔らかい。女の子の柔らかさ。私にはない柔らかさ」

「キモ、終わってんな」

 冬子は二人の会話を聞きつつ、じっと恵のことを見ていた。憐れみとかじゃなくて、単純に今回の荒れ方が面白かったから。今は書いている図形が丸から四角に変わっている。角に差し掛かる度に、ああ、ああ、とうめき声をあげていた。二桁にも満たないターン数で強制終了を迎えたトランプは、もはやだれの頭にも残っていないのだろう。

 まあ、と思う。

 ――私も男だったら恵の重さには、耐えられないかも。

「ああ、私を抱き枕にしてくれる彼氏が……」

「しれっと寝ようとすんな。結婚してからにしろよ、そういうの」

 美紀がそう言うと、佳恵はにやりと笑った。

「へー、ミッキー、中学のときから付き合ってるのにまーだそういうことしてないの?」

「はあ⁉」

「あ、流石にキッスはしちゃった? もうあと一歩って感じ?」

 なんだか話がへんな方向に流れ出したから、冬子は心を無にした。そういうことは、まだ自分には早い。

「ねえねえ教えてよー」

「うるさいなあ!」

「うわあああああああああああああん人が失恋したのに惚気るクソボケカスうううううううう」

 地獄だった。

「とろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 叫びながら恵は冬子の方まで来て、佳恵に抱きしめられている更にその上から冬子のことを抱きしめた。

「くるしい」

「わあああああああああああああああああああああああああああん」

 冬子の呟きが伝わることはなく、美紀に助けを求めるように見ても、呆れるばかりで全然助けてくれる様子はなかった。それどころか、美紀は彼氏が迎えに来て、先に帰ってしまう。

「じゃあ、またな」

「ばいばーい」

「なあああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 また、冬子は心を無にする。ここが生き地獄か。

 さながら悟りを得た仏のように、冬子は心を無にして、机の上を見た。そこにあるのは、もうどれが誰のカードかわからないくらいに散乱しているトランプだった。

 ――ていうか、ジョーカー引いたの、すごい分かりやすかったなぁ。

 冬子は自分の左半身にしがみついている恵をちらりとみて、思った。

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