第1章 突然の来訪者

文明の利器、フル活用

 手元にある大量の書類を見つめ、そこに記された内容をひたすらキーボードで打ち込む。



 商品の名前とその単価、そして売り上げ総数を入れれば、後の計算は関数が勝手にやってくれる。



 こちらが気にすることといえば、打ち込む文字や数値を間違えないようにするくらいだ。



 とはいえ、打ち込まなければいけない書類の量が半端じゃない。

 一店舗分の総売り上げを計上するだけで、軽く二時間ほどが経過していた。



「尚希さーん。次の決算書です。」



 印刷した紙の束を元の書類と合わせて、指定された場所に積み上げる。



「おー、ありがとなー。そろそろ休憩に入っていいぞ。朝から働き詰めだろ。」

「あー……そういえばそうですね。」



 尚希に言われて時計を見れば、時計の針は昼を大きく回っている。



 実は疲労困憊こんぱいの息を吐いた。



「さすがに疲れた…。尚希さん、多少間違ってても、文句言わないでくださいよ?」



 普段はやらないことをやっているのだ。

 さすがに、作業の正確さまでは保証できない。



 ここしばらくの忙しさを思い返し、実は肩を落とした。



 休みを挟みながら計十日行われた、レイキー国とアイレン家共催の市場。

 それは、終日大盛況に終わった。



 そして、それから一週間ほどが経過した今、ここは分配金の割り振りや報告書作成のための決算に追われているのである。



「大丈夫だって。多少間違ってたって、今までの管理方法に比べたら誤差はかなり低いから。まあオレが気付いたら、そこは直してもらうけどな。」



 尚希があっけらかんと笑う。



 それはそうだろう。



 軽く準備を手伝っただけなのでその全貌は知らないが、今回の市場開催における尚希の功績は、各方面から大きく話題を呼んでいる。



 尚希は、市場に参加する出店者全員に地球から持ち込んだ電卓を渡し、その使い方を懇切丁寧に教え込んだらしい。



 始めは未知の機械に戸惑っていた出店者たちも、その利便性と正確性を知るや否や、目の色を変えて電卓に食いついたそうだ。



 そして、どうせ百均でまとめ買いした安いものだからという理由で尚希が電卓を皆に譲ったため、今は電卓の解析と応用に、レイキーとニューヴェルの研究者たちが躍起になっているそうな。



 おかげで、この世界の科学力が一気に発展しそうだ。



 ……まあそんな研究者たちも、この部屋の設備を見たら青筋を立てて凍りつきそうだけど。



「それにしても、よくパソコンまで持ち込みましたね……」



 尚希の執務室であるこの部屋では、三台のパソコンと二台の多機能プリンターがフル稼働している。



 一台は自分が持ち込んだノートパソコンだが、他は全部尚希の所持品である。



 尚希は初めから、各店舗の会計は電卓を使ったものにさせ、最終的な決算書はパソコンで作るつもりだったようだ。



 そのために尚希は、各店舗に提出させる売り上げ報告書の形式を統一し、関数を組み込んだ最終的な決算書のフォーマットも整えていた。



 作業者は、売り上げ報告書の数字をただ打ち込むだけである。



 ただパソコンともなると一朝一夕に使いこなせる代物ではないため、そこはある程度使い慣れている自分と拓也に召集がかかったというわけだ。



 作業の正確さには不安があったが、自分たちが打ち込んだ数字が間違っていないかどうかは、尚希を筆頭に臨時で雇われた会計係の人々が確認している。



 できあがる決算書は、これまでに類を見ないほど誤差が少ないものになっていることだろう。



「使えるものは使わないと損だろう。実際、決算にかかる時間はかなり短縮できてるし、この調子でいけば、利益の分配も早く済みそうだ。こういうのは早ければ早いほど、信用にも次の仕事にも繋がるからいい。」



 尚希はご満悦だ。

 と、そこに。



「便利なのは認めるけど、一気に突っ込みすぎだっての。おかげで今、カルノさんたちが大変なことになってるだろうが。」



 自分の担当分が終わったらしい。

 完成した書類を所定の位置に積み上げた拓也が、呆れた様子で尚希を見下ろした。



 拓也がなんのことを言っているのかが分かり、実は苦笑を呈するしかなかった。



 尚希が今回持ち込んだ地球の機械は、電卓やパソコンにとどまらない。



 市場風景撮影のためのデジタルカメラやら、起きたトラブルなどを簡易的に記録しておくために持ち歩いていた携帯電話やら、とにかく使えるものはフルに活用していた。



 今は地球製の小型発電機で動かしているパソコン機器も、ここで使っている電気で稼働できるように、裏で依頼中なのだそうだ。



 見慣れない機械を魔法のように操る尚希の姿は、それはそれは目立った様子。



 そのせいで、アイレン家の科学力は機械大国であるレイキーを軽く凌駕りょうがするのではという噂が、様々な尾ひれや背びれを伴いながら国内外に大きく吹き荒れた。



 そのせいで今は、アイレン家の秘密を探ろうとする人々が、怒濤どとうのように面会交渉を持ちかけてきている。



 電話は鳴りやまず、事前アポイントなしで屋敷に押しかけてくるやからも多い。



 カルノを含め、アイレン家の数少ない使用人たちは毎日てんてこ舞いだ。



 ―――リンリンリンッ



 拓也が言ったそばから、屋敷の呼び鈴がけたたましく鳴る。



「……給料には、ちゃんと反映させるよ。」



 一応この状況を引き起こした気まずさはあるらしく、尚希は視線を泳がせながら小さく呟く。



 だが、地球の機器を使うためにここの環境を変える依頼をしているあたり、迷惑をかけたからといって、地球の技術を取り入れることをやめるつもりはないのだろう。



 そういえば、地球で尚希たちが暮らしていたマンションには、多種多様な機械たちとそれらの参考書が所狭しと並んでいる部屋があった。



 尚希に話を聞いてみたところ、拓也が地球に来るまでは、稼いでいた給料の大半をそういった文明の利器につぎ込み、休みの日はそれらを使いこなす勉強に明け暮れていたとのことだ。



 いやはや、人間の好奇心とは恐ろしい。

 本気になれば、どんなに難しいことでもあっという間に吸収してしまうのだから。



「……反省する気ねえな。ま、それでもお前についていきたがる奴らが多いのは、それだけの人徳がお前にあるって証拠なんだろうけどさ。」



「そゆこと。」

「自分で言うなよ。」



 嬉しそうに口の端を吊り上げる尚希に、拓也は複雑そうに顔をしかめた。



「ま、いいや。お前は人を振り回してる分、死ぬほど働いとけ。実ー、どっか飯でも食いに行こうぜー。」



 長時間の座り作業でり固まった体をほぐしながら、拓也がこちらに話を振ってくる。



「あ、うん。そうだね。」



 そういえば、そんな時間だった。

 そう認識すると、途端に空腹感が襲ってくる。



「帰りに、なんか差し入れよろしくー。」

「ん。」



 手を振る尚希に、拓也は短く答えて頷く。



 さっきは死ぬほど働いとけと言っていたくせに、尚希の頼みを断らない拓也。

 やはり、なんだかんだと仲のいい二人だ。



 実は淡く微笑みながら、執務室のドアを開けた。





「お願いしますー!! 後生ですからああぁぁっ!!」





 そんな叫び声が廊下中に響き渡ったのは、その時のことだった。


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