殺戮者

「……遅かった、か」


 静かに、淡々と、その現場を目にした花音が呟く。

 腰のホルスターから拳銃を取り出し、それを構えた彼女の視線の先には、一体の悪魔の姿があった。


 その手に握られているのは、女性のものと思わしき腕だ。

 それをまるでアイスキャンディーでも食べるかのようにしゃぶり、貪り、ゴリゴリと音を響かせながら食らっていた悪魔は、自分を貫く二つの視線に気が付くと共に威嚇の唸りを上げる。


「グルルル……!!」


 細身の体、尖った爪、大きな翼。そして髑髏のような骨ばったその顔には仁にも見覚えがある。

 三日前、初めて遭遇した悪魔であるドラフィルが使役していた低級の悪魔の姿にそっくりだ。


「こいつは下っ端だよね? またこの間の薔薇の奴みたいに、親玉がいるってこと?」


「ううん、違うよ。ドラフィルは悪魔の中でも高位の存在で、なおかつ部下を使役するタイプの悪魔だったからあんなに大勢の仲間を引き連れてただけ。基本的に悪魔は群れない。自分の食い扶持が減るからね」


 油断なく拳銃を構えながら、仁の疑問に花音が答える。

 今、自分たちの目の前にいるのはドラフィルとは比較にもならない雑魚であると暗に告げる彼女であったが、仁にとってはそれで安心できるわけではなかった。


 どんな低級であれ、悪魔は悪魔。人を殺し、食らう存在であることに変わりはない。

 今からそんな恐ろしい怪物と戦うのだと、覚悟していたとはいえ実際にその場に立つと込み上げてくる恐怖に仁は握り締めた拳を震わせていたのだが、その次の瞬間に悪魔が取った行動を目撃した途端、目の色が変わった。


「なっ……!?」


 気だるげに、面倒くさそうに……仁と花音の姿を見止めた悪魔が、二人から発せられる敵意を感じ取ってこちら側へと振り向く。

 その際、手にしていた人間の腕を無造作にその辺りへと放り投げた悪魔は、既に興味を失ったかのように尻尾でそれを更に遠くへと弾き飛ばした。


「お前、何やってるんだ……? 人を殺して、食っておいて、残された遺体をそんな粗末に扱って……!! ふざけてるのか!?」


 人間を殺し、その肉体と魂を食らうことですら許すことができないというのに、その遺体を食べ残してその場に放棄する様を目にした仁は、抱いていた恐怖が怒りの感情で上書きされていくことを感じていた。

 命を無理矢理に奪った上に、死者の魂すら冒涜するのかと……犠牲者の尊厳を踏みにじるその行為に怒りを爆発させた仁は、即座に十字架を聖剣へと変化させると悪魔へと斬りかかっていった。


「うおおおおおっ!!」


「グギィッ!? ガッッ!!」


 剣術を学んだわけでも、闘いの心得があるわけでもない仁の動きは、決して強靭かつ鋭いものとはいえないだろう。

 だがしかし、まさか自分が襲われる側になるとは思っていなかった悪魔にとっては、十分過ぎるくらいの不意打ちだった。


 聖剣への変化の際に発生した蒼炎の輝きに目を焼かれた悪魔が怯み、回避運動に必要な時を無為に失う。

 その胴に、薄汚れた灰色をした腹に、銀の刃を向けた仁であったが、その一撃はすんでのところで伸びてきた悪魔の腕にガードされ、直撃することはなかった。


 しかし、彼の怒りを込めた斬撃はそう易々と防げるものではなく、悪魔も骨ばった腕で懸命に刃を弾こうとしているが、苦戦しているようだ。

 決して怯まず、怯えず、容赦もせず……ただ腕に力を込めて仁が聖剣を振り抜けば、防御に使われていた悪魔の腕に食い込んだ刃がそのままその腕を一刀の下に両断してみせる。


「ガグオオオオオッ!?」


 激痛による悲鳴、予想だにしていなかった痛手を負った悪魔の叫びが夜の闇に轟く。

 宙を舞った左腕が蒼炎に包まれ、瞬く間に灰と化す中、先制攻撃を成功させた仁が確かな手応えを覚えると共に聖剣の柄を強く握り締める。


(いける……! 次の一撃で、奴を倒せる!)


 片腕を失った悪魔は完全に戦意を喪失し、怯んでいる状態だ。次の攻撃を防ぐだけの余力は残されていないだろう。

 鎧を呼び出すまでもない。花音の言った通り、こいつはドラフィルよりも遥かに格下の低級悪魔だ、今のままでも容易に討伐できる。


「これで、終わりだっ!!」


 再び剣を構え、真っ向から悪魔へと斬りかかる仁。

 脳天から股までを叩き斬るべく、悪魔の頭上から唐竹割りを繰り出す彼であったが……苦し気に呻く悪魔の声を聞いた瞬間、その動きがぴたりと止まる。


「ア、グ……キラ、ナイデ、クレェ……」


「うっ……!?」


 これまで獣のような唸り声しか上げていなかった悪魔が発した、人の言葉。

 それを耳にした瞬間、仁の心にためらいの感情が生じてしまう。


 相手は悪魔で、人を食らう怪物で、ここで倒さなければならないことはわかっている。

 だが、仁の心の何処かに存在していた他者を傷付けることへの嫌悪感が、その一言によって目覚めてしまった。


 それでも、それでも……これが自分の使命なのだと、両親に繋がる手掛かりを追うためなのだと、そう自分に言い聞かせて聖剣を振り下ろそうとする仁。

 しかし、そんな彼の目の前で、思いもしなかったことが起きた。


「ア、ウ、アァ……」


「えっ……!?」


 異形の怪物だった悪魔が、その姿を徐々に変化させていく。

 失った左腕を抑えながら、痛みに呻きながら、徐々に徐々にその体躯を縮めていった彼は、やがて人の形に変化すると苦悶の表情を浮かべながら仁へと顔を向けた。


 涙を浮かべ、慈悲を乞うような縋る目で自分のことを見つめる彼の顔を見た仁は、その衝撃にはっと息を飲む。

 彼には、この顔には……確かに見覚えがある。

 確か、そう……つい先程花音に見せられたスマートフォンの中にあった、通り魔殺人事件の行方不明者の一人ではないか。


 その彼が、どうして悪魔になっているのか? まさか、悪魔に食われてその姿を奪われたということなのだろうか?

 怒りで満ちていた心に生じ始めた困惑によって混乱し始めた仁が身動きできずにその場に固まる中、人の姿になった悪魔は悲痛な声で彼に命乞いを始める。


「頼む、斬らないでくれ……! 俺は、俺は……っ」


「え……? あぐっ……!?」


 いきなりの男の宣言に困惑した仁であったが、その直後に頭の中に流れ込んできた映像を感じ取った瞬間、顔色がみるみるに蒼白になっていった。

 押さえていた頭を上げ、再び男の顔を見つめてみれば、彼は小刻みに首を振りながらいやいやと無言の命乞いを続けている。


 今、見たこれが嘘でないとしたら……自分は、花音や『C.R.O.S.S.』にとんでもない隠し事をされていたことになる。

 その衝撃に仁が動けなくなっている間に凄まじい跳躍力を発揮した悪魔は、血が滴る腕を抑えながら瞬く間にその場から逃走してしまった。


「仁くん、何やってるの!? せっかくトドメを刺すチャンスだったっていうのに、どうしてあいつを逃がしたのさ!?」


 あと一撃で悪魔を倒せたのにも関わらず、敵を逃がしてしまった仁を強く叱責する花音。

 だが、仁は彼女の言葉に何の反応も見せず、黙って聖剣を元の十字架へと戻す。


 静かに、無言のままに、こちらを見上げる花音と視線を交わらせ、彼女を睨みつけた仁は……不意にその肩を掴むと、花音に激高をぶつけるかのように叫んだ。


「僕を騙してたんだな? どうしてこんな大事なことを教えなかった!?」


「なに? 何を言ってるの? あたしには仁くんが何を言ってるのか、全然わかんないよ!」


「惚けるな! 君は知ってて黙ってたんだろう! 悪魔は……元は人間だったということを!!」


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