蒼炎の十字騎士

烏丸英

episode0 蒼炎《Prologue》

久遠仁

「本気なのかい、仁? 本当に、高校に進学しないつもりかい?」


「はい、そのつもりですよ」


 その日の夕方、久遠 仁くおん じんはいつものように世話になっている児童養護施設兼教会である『光の家』の前を掃除していた。

 自身の将来に関わる決定について何度も確認を求めるシスターに対して、彼は笑みを浮かべながらこう答える。


「僕を十五まで育ててくれたシスターたちのためにも、少しでも恩返ししたいんです。中学を卒業したら就職して、お金を稼いでこようと思います」


「それにしたって、高校は出ておいた方がいいはずだよ。そっちの方があなたの将来の幅も広がるし、それに……」


「財政が苦しいのに無理は良くないですよ、シスター。そもそも、進学するためのお金はどこから出るんです?」


 自分のことを心配してくれるシスターにそう言いつつ、自嘲気味に笑う仁。

 親も親戚も亡くしている天涯孤独の身である自分には学費を確保するためのあてがないのだと、明るい口調で暗いことを言う彼の顔を見つめたシスターは、それ以上なにも言えなくなってしまった。


「……ごめんなさいね。お金のことや施設を運営するための人手がないばかりに、あなたに青春を犠牲にさせてさせてしまって……」


「気にしてませんよ、そんなこと。さっきも言った通り、捨てられていた僕をここまで育ててくれたシスターや光の家のみんなには感謝してるんです。だから、今度は僕が恩を返す番で……子供たちの未来を守る番だ」


 『光の家』には、仁を除いて十名程度の子供たちが世話になっている。

 全員が早くに親を亡くし、頼る人もなくここに預けられた子たちだ。


 そんな子供たちの中で一番年上である仁は、彼らには青春を謳歌してほしいと思っていた。

 何より、この施設を運営していくための金を確保するためにも外部から金を稼ぐ人間が必要だと考えている彼は、中学卒業後はそのまま働きに出ようと考えているのだ。


「もう担任の先生には希望を伝えたし、その方向で動いてくれてる。謝らないで、シスター。これは僕が選んだ、僕自身の未来だから」


「………」


 口をついて出てしまいそうな謝罪の言葉を何とか押し留め、仁の顔を見つめるシスター。

 申し訳なさが込み上げてきながらもそれを言葉として彼にぶつけても仁を悲しませるだけだと理解している彼女は、ただ無言で頷きながら彼の選択を受け入れるふりをする。


「ありがとう。さあ、そろそろ夕食の時間だ。子供たちもお腹を空かせてるだろうし、早く準備してあげないと」


「ええ、そうね……」


 明るく振る舞う仁の様子に物悲しさを覚えながらも、これ以上彼を困らせないように作り笑いを浮かべたシスターが仁と共に施設へと入っていく。

 いつも通りに彼女と一緒に料理を作り、洗い物をして、子供たちを寝かせた後で自身も明日の支度をして……ここまでは、仁にとって何も変わらない一日だった。


 平穏な日常が崩れる瞬間というのは何の前触れもなく、唐突に訪れるものだ。

 そのことを、仁はこのすぐ後に知ることとなる。



――――――――――



「危ない、危ない。明日の朝食が抜きになるところだった」


 深夜十一時頃、『光の家』からやや離れた位置にある二十四時間営業のスーパーへと買い物に出掛けた仁は、そこで購入したパンを入れた袋を片手に帰路についていた。

 時間も時間である故に周囲には全く人気はなく、スーパーから離れていく程に民家も少なくなっていく道のりは、慣れていなければ心細く感じるものだろう。


 既に何度もこの時間帯に出歩いたことがある仁でさえ多少は恐怖というものを感じてしまうこのくらい道は、不気味という一言で表しきれるものではない。

 それでも、住処へと続く唯一の道を歩いて教会へと戻ろうとしていた仁は、その途中でふと気になる存在と出会う。


(女の子? この時間帯に、珍しいな……)


 暗い道に点々と光を灯す街灯の真下に、ぽつんと佇む少女が一人。

 小柄なその少女は真っ黒な外套に太腿を露出させたショートパンツというちぐはぐな格好をしており、それが一層仁の目を引いた。

 こんな時間に外を出歩いていることも含めて、なんだか妙な子だな……と、仁が考えていると――


「どうも、こんばんは」


「えっ? あ、こんばんは……」


 ふわりと微笑んだ少女が、向こうから仁へと声をかけてきた。

 なんとなく無視できずに挨拶に応えてしまった仁へと、彼女は距離を詰めながら話を続ける。


「こんな時間にお散歩? 珍しいね」


「あ、いや、そうじゃなくって……買い物をしてたんです。ほら」


「ふ~ん……そうなんだ」


 食パンが入った袋を見せつけてくる仁の反応に、小さく笑みを浮かべながら頷く少女。

 どうして自分はこんな言い訳じみたことをしているのだろうと考える仁であったが、今度は逆に彼女へと質問を投げかけてみた。


「あの、君の方こそどうしてこんな時間に出歩いてるの?」


「うん? ……ちょっとやることがあるんだよね。そのために、お散歩に出たの」


「なんだかわからないけど、止めておいた方がいいよ。最近、この辺りで女の子の行方がわからなくなる事件が起きてるんだ。犯人も捕まってないし、今日は帰った方がいい」


 仁が言っていることは嘘ではない。実際、この周辺で立て続けに少女が消えたという報告が挙がっているし、警察が『光の家』に何か知らないかと事情を聞きに来たこともある。

 そんな物騒な事件が起きている場所にわざわざ出向く理由が何なのかはわからないが、安全を考えて今日は帰った方がいいだろうと、そう少女へと告げる仁に対して、笑みを引っ込めた彼女が言う。


「へえ、怖い事件が起きてるんだね。でもさ……どうしてあなたは、そんな危ない事件が立て続けに起きてるっていうのに、こんな時間に外を出歩いてるの?」


「えっ……? いや、あの、普段から出歩いてるわけじゃなくって、今日は偶々っていうか、狙われてるのは女の子ばかりだって聞いてたし、男の僕はいいかな……と思って……」


「ふぅん? そうなんだ? ……もしかしてなんだけどさ、必要だったのは他の誰かの食事じゃあなくって、あなたの分の夜食だったんじゃないの? 若い女の子を攫ってる事件の犯人って……あなたなんじゃあないの?」


「えっ!? わわっ!?」


 とんでもないことを言い出した少女の言葉に目を見開いた仁は、次の瞬間に眩い何かを感じて咄嗟に顔を覆う。

 彼女が取り出した鏡が街灯の光を反射しているのだと気が付いた彼は、突如として意味不明な行動をし始めた少女へと怒りを込めた声をぶつけた。


「急に何をするんだ! 眩しいじゃないか! なんのいたずらかはわからないけど、人を犯罪者呼ばわりした上に変なことをしないでよ!」


「……!」


 仁に急に怒鳴られて驚いたのか、少女は口を閉ざしたままサッと手にしていた鏡を後ろへと隠してどこかにしまってしまった。

 そうした後、お茶目な笑みを浮かべた彼女は、両手を合わせて謝罪の言葉を口にしてみせる。


「ごめ~んね! 謝るから、許してちょ!」


「まったく……! 全然反省してないのが丸わかりだよ。別にいいけど、他の人たちには似たような真似しないでよね? 次に変なことをしたら、警察の人を呼ぶから!」


「わわわ、ごめんって! 本当に反省してるよ! 冗談が過ぎました、ごめんなさい!」


 明るい口調ながらも何度も頭を下げる少女の姿に、仁は深いため息を吐いた。

 不快ないたずらではあったが、別に何か危害を加えられたわけでもないし……と、やや甘い考えで彼女を許すことにした仁は、顔を逸らしながらこう呟く。


「……あのさ、さっきの事件の話は嘘じゃないし、この辺が危ないのは事実だから、やっぱり君は帰った方がいいよ。君さえ良ければ明るい場所まで送るから、今日はもう帰りな」


「……ふふっ! あなた、優しい人なんだね。こんなことをしたあたしのことを気遣ってくれるんだ?」


「そりゃあ、ね。人として、当然のことでしょう?」


「ふふふ、ありがと! でも、そこまで心配してもらわなくても大丈夫だよ、ほら!」


 そう言って、少女が仁の背後を指差す。

 その動きに釣られて振り向いた彼は、そこに彼女と似たような恰好をした男女が立っていることに気が付いた。


花音かのん、その男は?」


「ばったり出くわしたただのいい人! この辺で女の子が行方不明になってるから、早く帰りなさいってさ!」


 見た目通り、この二人は少女の顔見知りらしい。

 彼女と話していた仁の素性を聞き、興味なさげにふぅんと唸った男の方は、しっしと虫を払うかのような動きを見せながら口を開き、不躾なことを言い始める。


「なんだか知らねえけど、お前の方こそ家に帰れよ。俺たちの邪魔だ」


「邪魔って……! 何だよ、その言い草は」


 男のあんまりな言い方にムッとした仁であったが、ここで喧嘩をしても得はないと自分に言い聞かせてそれ以上は何も言わないことにした。

 先程の少女もそうだが、この連中は常識知らずが揃っているのかと心の中でツッコミを入れた彼は、最後に少女へと振り向きながら口を開く。


「知り合いと一緒なら、僕が送る必要もなかったね。なんにせよ、気を付けて。僕はそこの彼が言うように帰らせてもらうよ」


「うん! 色々とごめんね! それと、心配してくれてありがとう!」


 深夜だというのに元気いっぱいに挨拶をしてくる少女の姿に、やっぱり常識知らずが揃った集団なのだなと謎の黒マントの面子に感じた印象を強める仁。

 なんにせよ、これ以上は彼女たちに付き合っている場合ではないと、さっさと家まで帰ろうと考えた彼が、『光の家』に続く道を歩みだそうとした、その時だった。


「嫌な臭いがするな。大嫌いな、悪魔祓いエクソシストの臭いだ」


「……は?」


 突如として暗闇の中に響く低い声を耳にした仁が顔を顰めながら足を止める。

 先程聞いた男の声とも違う、不気味さを感じるその声を聞いた彼が本能的な恐怖を感じていると、今の今まで会話をしていた少女が再び声をかけてきた。


「……あたしの傍から離れないで。絶対に、何があっても」


「はぁ? 君、何を言ってるの? もしかしてまた何かいたずらを仕掛けようとしてる? だとしたら――」


 まだ何が起きているのかがわからない仁が突如として妙なことを言い始めた少女へとうんざりとした表情を浮かべながら苦言を呈そうとしたが……その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 突如として振り向いた彼女が、銀色に光る拳銃をこちらへと向けてきたから。


 偽物とは思えない精巧な作りのそれを顔面へと向けてくる彼女の姿に、言葉を失った仁がひっと息を飲む。

 次の瞬間、赤い火花を散らした銃口から放たれた弾丸が仁の顔を掠め、そのすぐ横の空間に居た何かに直撃する。


「グギャアアアアアッ!!」


「……は? はぁ?」


 脳天を撃ち抜かれ、断末魔の叫びをあげるそれの姿を目にした仁の口からは、状況を把握しきれていないことからくる困惑の呻きが漏れ出ていた。


 灰色の体、生気を感じさせない白濁した瞳、大きな羽を背中に生やしたやせ細った体。

 細く長い尾と鋭い両手足に爪を携えたその生命体の外見を一言で表すならば……悪魔だ。

 その悪魔は、銃弾によって風穴を開けられた額を抑えながら苦しそうに呻いていたが、じきに力尽きたのか動かなくなる。

 そこから瞬く間に怪物の体が塵のようになって消えていく光景を目にした仁は、込み上げてくる吐き気を堪えながら少女の方へと顔を向けた。


「何なの、これ? ドッキリとかいたずらじゃ、ないの?」


「……ごめんね。今は説明してる場合じゃないんだ。さっきも言ったけど、私の傍から離れないで」


 もう彼女は仁のことを見ていない。月が浮かぶ夜の空を……いや、そこを飛ぶ恐ろしい怪物たちの姿を見つめながら、銃を構えている。

 あの怪物が一体だけでなく何体もいることに気が付き、絶句する仁の前で、少女たち三人は襲い掛かってきたその怪物たちを迎撃し始めた。

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