第3話 まだまだ安心はできない

 ハジメは苦しんでいた。


 意識を失う前の事は思い出すほどに腹が立つが、その思考は全身を苛む痛みによって塗りつぶされる。


 我慢できないこともない痛みということが、尚更ハジメの怒りを助長していく。


(痛……ッてぇ……。 あいつら、よくも……ッ……)


 ハジメが何をしたというのか。


 ただ人畜無害な一般人を通していたはずなのに、それに対して暴力という返答が返ってきた。 やはり未開人は二重の意味で言葉が通じない、とハジメは理解できた。


(それにしても……ここ、は……?)


 ハジメが寝かされている簡素なベッドは、柔らかさよりも硬さを感じる。 この時点でまず、文明レベルの低さを痛感する。


 室内には机が一つ置いてある程度で、あとは小さな窓が1面設置されているだけだ。


(とにかく今は何時で、どこにいて、どういう状況なんだ……?)


 現状把握は必要不可欠。


(スマホはどこだ……?)


 痛む身体を軋ませながらポケットを探るが、そこには何もなかった。


「チッ……」


 ハジメは、暴行を受けた時にスマホを取り落としたのを思い出した。


(まさかあそこに落としたままか……?)


 失意の中でベッドの周囲を見渡すと、机の上にスマホの側面が見えた。


(あった。 よかった……)


 手を伸ばし、それを手にとってみせた。 が、しかし。


「なんだよ、くそ……!」


 ハジメは怒りに任せてスマホを壁に投げつけた。


 ガシャンと大きな音が生じた。


 投げたことによってスマホが壊れてしまいそうだ。 しかし画面はバッキバキに割れており、電源を入れても動く気配がなかったので、そういう行動に至ったというわけだ。


(詰み、だな……)


 言葉が通じず、唯一の連絡手段も絶たれた。 加えて、ハジメに敵対行動を示した外国人の数々。 この状況を詰んでいると言わずしてなんと言うべきか。


 ベッドに寝かされているだけマシとも思えるが、ハジメはここが監獄だという考えも残していた。


(そりゃ知らない言葉を話す人間が居たら驚くけどよ……。 殴るこたねぇだろうが……!)


 もしかしたらスマホの概念すら知らないのかもしれない。 あの場で咄嗟にライトを向けたハジメも悪かったと思うが、夜中に外を出歩かなけらばならないこちらの状況も慮ってほしいものだ。


 とはいえ、幸運なことに命はある。 死んでいればこのように一喜一憂する暇もなかったはず。


 恐らく肋骨はいくつか折れているだろうが、歯が折れていないだけ救いがあったかもしれない。 ハジメとて人間という動物。 口腔がやられてしまえば健康な生活など期待できない。 ましてやここは医者がいるとも思えない未開人の集まりだろうから、何かに期待するのはやめたほうが良いと思う。


 そこからどれくらいの時間が経っただろうか。 産声を上げ続ける鈍い痛みに苛まれているせいで、また長時間寝たかもしれない影響もあってか、これ以上寝ることもできずにじっとしていたハジメ。 そんな彼の耳にギィという音が届いた。


(誰か来た……)


 ハジメは思わず構える。

 

 残念ながら万全な体調ではないため、 大人の男性が来たなら少し覚悟せねばなるまい。


「──、────?」


 ハジメの予想とは真反対の声が聞こえてきた。


 何を言っているのかは分からない。 やはりここは外国らしい。

 

 声質は女性のもので、それはひょこっと扉から顔を覗かせていた。 あどけなさを残した少女はハジメを見ても怯える様子もなく、興味津々に彼の顔を眺めている。


 髪は薄い水色で、肌は健康的な小麦色。 少し痩せぎすなのが気になるところ。

 

(えっと、誰? まぁ女子が来ただけマシか……。 それにしても……)


 少女の服装が非常に貧相だ。 七分袖かつ膝上くらいまでの麻布っぽい灰色の貫頭衣と、その下によれた赤いズボン。 そして裸足である。 服があまり無いのか、それとも元気っ子か。


「俺は、黒川ハジメ。 君の名前は?」


 ハジメはとりあえず自己紹介をしてみた。 言葉が通じないことはもう分かっているで、身振り手振りを添えながら。


「……?」

「黒川ハジメ」

「キィ、ロ……?」


(可愛い。 じゃなくて、駄目だ通じない。 もっと情報を絞るべきだ)


「ハ・ジ・メ、ハ・ジ・メ」


 今度は自分を指差し、最低限必要な情報から提示していく。


「ハ、ズィ……メ?」

「おーいえーす、いえーす。 ハジメハジメ」

「ハズィ、メ?」

「ハ・ジ・メ!」

「ハ・ズ・メ!」

「あー惜しい! ちょっと違う! ハジメ!」

「ハズメ!」

「ハジメ!」

「ハズメ!メ!」


(なんだこれ? まぁ面白いからいいけど)


 ハジメは今度は少女の方を指差してみた。 すると少女は小首を傾げながら自身を指差す。 が、一瞬でハジメの言いたいことを悟って名前を教えてくれた。


「レスカ!」

「レスカ?」

「──、レスカ!」


 少女はレスカと言うらしい。 苗字は無いのかとも思ったが、それを聞くには共通言語が少なすぎる。 それよりもまず、ここはどこかを尋ねるべきだ。


「えっと、ここはレスカの家?」

「────、──────」


(んー、全く分からん……。 多分話が噛み合ってないな……)


「ここはどこ?」

「──」


 ハジメはこの部屋を指して聞いてみたが、返ってきたのは単語だった。 もしかしたらベッドのことを言っているのかもしれない。 そう思ってハジメは机を指差してみた。


「────」


 さっきとは別の単語が返ってきた。 ということで、それぞれが固有名詞ということが理解できる。


(はぁ〜……。 とりあえず片っ端から聞いていくか。 会話が成り立たないことにはこの部屋を出ることさえ難しいからな……)


 ハジメにとって幸運だったのは、相手が屈強な男性ではなかったということと、会話に対して積極的に参加してくれているということ。


 未だに全身がズキズキと痛むが、これに対する説明は言葉を解した後に求めることとした。


「これは?」

「──────。 ────」

「これは?」

「────」


 あれこれやっているとそこそこの時間が経っていた。


(これはアレだな……。 紙とペンがないと覚えられん)


「しかし喉が渇いたな……。 これってどう伝えたらいいんだ……?」


 レスカはずっと楽しそうにハジメに言葉を教えてくれている。 恐らく本当に楽しいのだろう。


 ここは子供、というか中学生くらいの女子が遊べる娯楽がないのかもしれない。 ハジメがそう思って部屋を見渡しても、最低限の家具以外は何も置かれていない。


 ここでふと少し開いた扉の向こうのテーブルの上に、水桶のようなものが見えた。


(えー、っと……? アレを指差しながら水を飲む動きをだな……)


 全ての行動に思考が伴うため面倒ったらない。


 ハジメは桶を抱えて喉をごくごく鳴らす仕草を見せた。


 今度は一体何をしてくれるんだ、というレスカの表情。


(あれ、伝わってない……?)


 ここでレスカがパンッと両手を叩き、勢いよく部屋から飛び出した。 かと思うと、桶を抱えて部屋に戻ってきた。


「ん! ──!」


 レスカがハジメに桶を差し出してくれた。 どうやら伝わっていたらしい。


 ハジメが桶を覗くと、澄んだ水が桶の半分ほどに張られていた。 桶自体は経年劣化なのかあまりきれいなものではないが、レスカの善意を無碍にする訳にはいかない。


 ハジメは少し覚悟を決めて水に口をつけた。


「ん……ん……ぷはぁ」


 水を含んだ瞬間に体が渇きを思い出したのか、ハジメの意思を越えて喉がぐびぐびと動いた。


 レスカがハジメの動きを見て笑っている。


「レスカ、ありがとう。 助かったよ」

「────?」


 もう1杯要るか、というニュアンスを感じたので、ハジメは顔を横に振った。 レスカはうんうんと頷くと、桶を元あった場所に戻した。


(非言語的なコミュニケーション自体はできるんだよな……。 それならこっちはいつも通りの日本語で話すか。 そっちの方が自然な感じで理解しやすいだろ?)


 ハジメのその判断が良かったのか、言葉は分からなくてもある程度の意思疎通が可能になってきた。


 ハジメはそれほど記憶力が良くないので度々単語を聞き返すのだが、レスカは嫌な顔せず対応してくれている。


 なんて良い子なんだ、とハジメは思う。


 現在置かれている状況──知らない場所に連れてこられてボコられた結果ここにいること──を忘れるほどには、レスカは純粋な娘だった。


 ハジメが絶望的状況の中の幸福を噛み締めていると、扉が開かれる音がした。


「────!」


 レスカが立ち上がり、ハジメを無視して駆けていく。


 扉の向こうでは別の女性の声が聞こえており、レスカと何やら話している。


(母親、か……? とにかくここに寝かしてもらってることには礼を言わないとな。 レスカの父親が俺を殴った連中に入ってたら父親は許さないけど)


 などと考えていると、レスカと一緒に部屋の中を覗き込む者がいる。 その者はレスカに似た顔をより成熟させたような感じだが、目つきは少し鋭いような印象を受ける。 髪色もレスカと同じもので、身長はハジメと同じ170cmと少し程はあるだろうか。 肌はレスカ程は焼けておらず、白さを残している。


「──、──。 レスカ、────?」

「ハズメ!」

「ハジメだっての!」


 つい大声を出してしまい、女子二人から驚いた視線を向けられる。


 すぐにレスカは笑い出したが、もう一人は蔑んだような視線に変化していた。


(あ、これはまずい……。 あんまり良く思われてないやつだ……)


「──エスナ。 ──────」

「えっと、エスナって言うのは──え……?」


 バタン。


 唯一ハジメでも聞き取れた単語が名前かどうか確認するより早く、扉が閉じられた。


 ポツンとひとり取り残されたハジメ。 再び扉が開かれたのは、そこから三時間ほど経過した陽が落ちる頃だった。



          ▽



「ただいま」


 エスナが学校から自宅へ戻ってきた。 すでに時刻は夕近いが、ここからもエスナには仕事が山積している。


 エスナはここで少し待つ。 帰宅すると、いつもならレスカからお帰りのハグが飛んでくるからだ。


「お姉ちゃん、おかえり!」

「……!?」


 普段と違うのは、身元不明者のいる部屋からレスカが出てきたこと。 それだけでエスナは肌が粟立った。 もし彼が暴行されたことに対して報復を考えていたなら、その魔の手はレスカにも及ぶかも知れなかったからだ。


「レスカ、大丈夫!?」

「なにお姉ちゃん、ぎゅっとしすぎだよぉ」

「あ、ごめんねレスカ……。レスカが心配だったから強く抱きしめてしまったわ」

「ううん、うれしい」

「ありがとう。 お姉ちゃんは今日もお勉強してきたわ。 レスカは何をしていたの?」


 エスナは動揺を抑えつつ、レスカに気取られぬように息を落ち着ける。


「お友達さんとお話!」

「えっと……お姉ちゃんは今日の朝レスカに言わなかったっけ? あの部屋にあまり入っちゃいけませんよ、って。」

「あ……」


 レスカは分かりやすく両手て口元を隠し、上目遣いでエスナを窺っている。 怒られると思っているのだろう。


「何もなかったならいいの。 今度からちゃんとお姉ちゃんの言いつけは守るのよ?」

「はい!」

「もう……調子が良いんだから。 それで、お友達と何を話していたのかな? お姉ちゃんに教えてくれる?」

「うん! うーんとね、言葉が分からないみたいだったから色々教えてあげてたの」

「そうなの? レスカは優しいね」

「でしょー?」

「他は何か言ってた? 名前とか、どこから来たとか」

「言ってたよー。 ハズメって名前みたい。 どこから来たとかは言ってなかったかなぁ。 お友達さんってどこの人なの? 遠くの人?」

「村長さんから面倒見てって言われただけだから、私もあまり詳しくないの。 ところで、その人って怖い人?」

「んー、怖くはないかなぁ。 言葉はわからないけど、たぶん優しい感じ」

「そう……なのね。 じゃあ私も挨拶しようかな」


 レスカに引っ張られながら、エスナはハジメの居室の前へ。


「初めまして、こんにちは。 レスカ、この人のお名前は何だっけ?」

「ハズメ!」

「────!」


 エスナは彼が急に叫んだことにギョッとした。 レスカは笑っているが、あれはどうにも──。


(──気味が悪い……。どうして他人の家で寛いでいられるの?)


 彼が今日初めて会うレスカと仲良くできていることにまず違和感がある。


 普通、初対面の相手とそこまで馴れ馴れしくはできないはずだ。


 エスナだったら、初対面の子供などは警戒すべき対象だ。 なぜなら子供という時点でそれらが自らの意思で行動しているという可能性は低く、その背後にどうしても大人の影を感じてしまうからだ。


 レスカが良い娘なのは間違いはない。 だからこそ、彼はどうにもレスカの善意につけ込んでいる気がしてならない。


(どうして警戒した目でこっちを見ないの……?)


 現時点で彼はこちらの言葉を解さないようだが、それが彼のデメリットにならない場合もある。 それは、レスカのような純粋な人間からの庇護欲を掻き立てられるという点において。 何かができない人間というのは成人社会では往々にして爪弾きにされるものだが、子供社会ではそうならない場合も多い。


 レスカであれば、今の彼に何かがあったら全力で守ろうとするだろう。 彼に弱者を演じさせてしまった時点で、彼をここから追い出すことは尚更難しくなってしまった。


 エスナは一瞬の間に様々なことを想像してしまう。


(恐ろしい……。 純朴そうな彼の様子も、全てが嘘に見える……)


 レスカはすでに彼の陣営に取り込まれつつあるのかもしれない。 エスナがそうやって悪く考えてしまうのは、残念な境遇に身を置きすぎてしまっているからこそだ。 常に最悪を考えて行動することで、そこそこの不遇なら我慢することができる。 そうやってエスナは心の均衡を保ってきた。


 エスナは再度彼の動きを確認する。


(緊張した様子だけど、それだけかな……。 私たちが女だからって侮られてる……? 顔の次は、胸を見てる……気持ち悪い)


 エスナの意図しないところで彼女の目に蔑みの意識が乗っかってしまった。 レスカのこともあって、彼に対するエスナの評価は最底辺だ。 今後彼がこの評価を覆すことはまず困難だろう、というのがエスナの正直な感想だ。


(とにかく、彼からレスカを引き離さないと……)


「私はエスナ。 あなたのお世話を任されました」

「──、エスナ────」


 エスナは言いたいことだけ言って扉をピシャリと閉じた。


 直後、エスナは肩を落とした。 どっと気持ち悪さが込み上げてくるようだ。 ただでさえこれから魔法を多用しなければならないのに、休まるはずの家に不穏分子が常駐してしまっている。 最悪の気分である。


「お姉ちゃん……?」


 姉の様子を感じ取ってか、レスカが不安気である。


 エスナは取り繕うように妹に仕事を投げた。


「お姉ちゃんは今からお仕事だから、レスカは畑から良さそうな野菜を村長さんのところに持っていってくれる? ダメなものだけうちに持って帰ってきてね。 あ、あとチューの木枝もいくつかお願いできる?」

「はーい」


 姉妹は一旦別れ、それぞれの役割をこなしていく。


 レスカは畑に向かい、食べ頃の野菜を収穫する。


「おっやさい、おっやさい」


 姉妹に管理が任されている畑は、ラクラ村の中では意外に多い。 というのも、エスナが魔法で水撒きをできるから。 そういうわけで、水場から最も遠い側の畑は管理という名の姉妹への押し付けが罷りとおり、姉妹は到底二人では管理が難しいくらいの面積を持つに至っている。

 

「村長さん、持ってきました」


 レスカはなるべく新鮮な野菜を籠に詰め込み、毎日村長宅へ届けている。 これは姉妹の義務的な労働だが、畑全てを完全に管理しろというわけでもない。 できる範囲で畑を利用し、そこでできた収穫物を上納せよという意味だ。 しかしその“できる範囲”という言葉がなかなかに厄介で、それは畑作業の仕事量に下限が無いということに他ならない。


「ご苦労様。 じゃあこれを」

「あれ?」


 村長はそう言っていつもより多くの収穫物をレスカに持たせてくれた。


「君の家にはひとり増えたからその分だ。 持っていきなさい」

「ありがとう!ございます!」


 別にこれでレスカ個人の取り分が増えたというわけでは無いのだが、多くもらえたという事実のみでレスカは喜んだ。


 レスカは深々とお辞儀をしてここを去る。


 帰りがてら、少し離れた森の方へ。 そこにはチューの木と呼ばれる樹木が存在しており、この枝が歯磨きがわりに使える。


 レスカは収穫物と枝を抱えて自宅へ戻った。 するとハジメが何やら言いたそうにしていたのでレスカが話を聞いてみると、排泄をご所望ということが分かった。


 ハジメが何やら歩きづらそうにしていたので、レスカは彼を森近くのトイレ──穴を掘っただけの簡素なものが設置されている場所──へ案内してやった。


 二人が自宅へ戻ると、その後ちょうどエスナが帰宅してきた。


「お姉ちゃん、お仕事お疲れさま! 」


 エスナの村内での主な仕事は各家への水の供給や畑の水やりだ。 水は一種の生命線だが、食事以外にも用途は多い。 日々の整容のためだったり、排泄後の処理だったり、水があって困ることはないのだ。


 しかし彼女の貯蔵マナ量にも限度があるため一度に全て行われるものではなく、これらは数日にかけて分けて行われる。 この仕事に関して感謝された覚えは今のところないが、授業料を返していると思えば苦でもない。


「今日はね、多めにもらえたよ! ハジメの分もあるって」

「そうなのね……。 お礼は言った?」

「ちゃんとお辞儀して帰ってきたよ」

「偉いわね。 じゃあ今日はいつもより豪勢にしちゃおうかしら」

「やったー」


 エスナはいつもより多くの夕食を用意した。


 レスカのために作るというのは苦労してでも買って出たいことなのだが、そこに彼が挟まるだけでエスナの気持ちはずんと重くなっていた。 それでも生きるためには必須の作業なので我慢して行う。


 男性が混じったことで適切な量は分からなかったが、とりあえず三人分を用意した。


 今日の食卓は野菜スープ、サラダ、そして保存食として常備している黒パンだ。 貴重品だが調味料として塩があるため、食事の味付けは基本的に塩によって行っている。


 エスナは料理を三人分の皿やボウルに取り分けた。 元々両親と四人暮らしだったこともあり、食器は十分量揃っている。


 彼の分はレスカに持って行かせた。


 エスナは基本的に彼をあの部屋から出してやるつもりはない。 なるべく接触を持たずに彼を観察し、折を見て追い出すのが狙いだ。


「じゃあ食べようかしら。今日もお恵みに感謝を」

「お恵みに感謝をー」


 姉妹は祈りを捧げて食事にありついた。


「おいしいー」

「それは良かったわ」


 いつも通り他愛ない姉妹の会話をしながらエネルギー摂取は続けられる。


 そこでふとレスカがこんなことを言った。


「お姉ちゃん、ハズメは一緒に食べないの?」

「えー、っと……」


 エスナはこの質問の答えを考えていなかった。


(どう答えようかしら……?)


「しばらくは怪我もあるから、あのお部屋で安静にしてもらうわ。 もっと仲良くなったら一緒に食べましょうね……」

「うん!」


 これは事態を先延ばしにしてしまったに過ぎない。 また間違ったことに、妹に根拠のない約束をしてしまった。 これでは三人で卓を囲む未来が生まれてしまう。


 早く彼との会話を確立して村長に報告し、早々に出て行ってもらわなくては。 そうしないとエスナの平穏は一生訪れそうにない。


 とはいえ、この家に置いておく以上、彼はいずれ働き手としての期待できる。 彼がどんな出自であれ、会話が成り立たなかったと言い張れば労働させても怒られはすまい。


 日中は労働に従事させていれば会わなくて済むだろうし、姉妹の負担も減るはずだ。


 エスナは、彼を置くデメリットを上回る用途を想像して心を落ち着かせるのだった。


「お姉ちゃん、ハズメのこと嫌い?」


 就寝前、エスナに対しレスカがベッドを挟んでそんなことを聞いてきた。


「え、ううん……。 知らない人が来ちゃったからびっくりしてるだけよ」

「そう。 それなら良かった」


 レスカは純粋な良い娘だが、時に勘が鋭い娘でもある。 エスナも顔に出すほど彼を毛嫌いして行動しているために、その一部を目撃されたのだろう。 流石に徹底して距離を取るようにしていればレスカにも気付かれる。


「明日はお姉ちゃん学校がないから、一緒にお仕事できるね」

「わーい。 明日も頑張る!」

「じゃあ今日はもうお休みしようね?」

「んー!」

「どうしたの?」

「お姉ちゃん、あたしが寝るまで隣にいて」

「もう、仕方がない娘ね」


 エスナは自分のベッドを抜けて妹の布団に潜り込んだ。 ハジメがきたとはいえ、姉妹の関係性は変わらず継続される。


「お姉ちゃん……おやすみなさい……」


 しばらくすると、レスカがすぅすぅと寝息を立て始めた。


 レスカは隣の部屋に彼がいることをあまり気にしていないようだが、エスナにしてはそうでもなく、安心して寝られるような状態ではない。


 一応警戒を続けるために、エスナは妹と一緒のベッドで寝ることとした。


(……動き出した?)


 深夜、隣の部屋の扉が開く音がした。 その音はごく小さく、なるべく音を立てないようにしている様子が窺える。


(一応、何かあった時のために……)


 エスナは手甲の魔法陣にマナを集中させ、魔道書を出現させていた。


 室内の引き戸には用心のためにつっかい棒を立てかけているが、成人男性が本気でぶつかったら壊れる程度の耐久力しかない。 だから相手の注意を逸らすために、魔法の準備は欠かせない。


 エスナが緊張を続けたまましばらくそうしていると、今度は自宅入口の扉が開かれた音がした。 窓からこっそり覗くと、彼は何かを警戒しながらどこかへ向かっているようだ。


 どうにも明確な目的があるようにも思えないが、さてどうするべきか。


(追いかけて目的を明らかにするべき……? でもレスカをひとりにはできないし……。 このまま消えてくれるならありがたいんだけど、まだ正体が分からないうちは警戒させない方がいいのかしら……?)


 エスナがどうするべきか決めあぐねて過ごしていると、結局半刻もしないうちに彼は戻ってきた。 丁寧に入口のつっかい棒を戻しているところを鑑みると、ちゃんと防犯の概念はあるらしい。


 そのまま彼は自室に戻ったようで、それ以降動きはなかった。 そして隣の部屋からいびきが聞こえたあたりで、ようやくエスナの緊張が解かれた。


(これは……明日以降が思いやられそう……)


 胃が痛くなる思いを抱えながら、今日もエスナは沈み込むように眠りについた。

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