第4話 意思疎通はうまくいかない

(これは軟禁、だよな……)


 雑な──最低限の対応をされていることはハジメにも分かる。


 ハジメに不安がのし掛かる。 しかしそれ以上にハジメは今の状況がイマイチ飲み込めておらず、レスカによって運ばれてきた食事にさえ疑念が湧いてしまう有様だ。


(俺をここに置いて何を企む……? 俺を抱えておくメリットとは何だ……? レスカは純粋に悪い娘じゃないとして、エスナは俺への態度が最悪っつか迷惑そうなんだよな……。 早く出ていって欲しいとさえ思っていそうだけど……)


 エスナと会話(?)ができたのは夕方だけで、それ以降はハジメの対応を全てレスカが担っている。


(やはり疎んじられているよな……)


 こちらからもなるべくエスナとの接触を絶った方が良いかもしれない、とハジメは考える。 もしここでエスナの気分を害して追い出されたら、それこそどうなるか分からないからだ。

 

(考えるのは後にして、出されたものは全部食べるか……)

 

「いただきます」


 提供されたのはサラダ、野菜スープ、そして黒いカッチカチのパン。


 まずはスープ。


 ずずっ……。


(薄い……。 そんでもって野菜が硬いな)


 次にサラダだが、傷んでいるような、色の悪いものが多い印象だ。 これも口に運んだ。。


(新鮮さは無いけど、塩味が効いてるだけマシか……。というか、出されてるものに文句言うのはダメだよな)


 黒パンも異常に硬かったがなんとか食べることはできた。 空腹を凌ぐだけなら十分な量とも思えるが、満足感があるかといえば話は別だ。 添加物の入っていない食事など久々すぎてあまり味を感じなかった、というのがハジメの正直な感想だ。


「ごちそうさまでした」


 やはり箸などなく木製食器だけでは硬い野菜は食べづらかったが、完食することはできた。


(食事が出るってことは捕虜以上の扱いはされてる、と……。 そうなると、俺への対応の意味は……)


 現時点でハジメが想像できるものは4つ。


 一つ目は、ボコした申し訳なさからハジメに宿を与え、療養させているという可能性。 ハジメはこれが最大級の謝罪の形にどうにも思えない。 そもそもここは他人の家だし、正直言って民宿などよりも質は低い。 それに、謝罪の意思があるならここの一番偉い人間が来ているはず。


(これは可能性が低いか)


 二つ目は、単に捕らえられているという可能性。


 ハジメを奴隷などの身分に落として、今後何かしらの労働に従事させようとしているのかもしれない。 しかしそれなら最初誰も見張りが居なかったことも意味がわからないし、女子だけでハジメを監視するのは結構無理がありそうだ。 そもそも、捕らえるならもっと厳重にされているはず。


(これも無い、かなぁ……)


 三つ目は、生贄に──。


(──これは無ぇわ)


 四つ目は、ハジメから何かしらの情報を吐かせようとしている可能性。


 ハジメは夜中にこの周辺を歩いてたわけだし、何か意図があって近づいたのではと勘繰られていてもおかしくはない。 言葉も分からない異邦人がやってきたなら、気になるのも当然だろう。 またはここ最近何か良くないことがあって、その何かに関する人物だと思われているのかもしれない。


 女子と一緒に暮らさせることでハジメから警戒心を奪い、そこから情報を入手する。


(これはありそう、かなぁ……?)


 ハジメの拙い思考力ではこの程度が関の山だった。 いずれにしてもこの村がハジメを良い存在だと考えている可能性は低く、このままここに居続けても溶け込むことはできまい。


(いや、さっさと逃げ出したほうがいいのか……? でも逃げたところでどこへ行く? この村が一番安全という可能性もゼロじゃない)


 早く家に帰りたい、とハジメは切実に思う。 しかし帰る手段が無いのだ。


 スマホが壊され、全身を壊され、財布も荷物すらない。 そんな状況でハジメにできることなど、これっぽっちもないのだ。


(帰りたい……。 柔らかいベッドでゴロゴロしながらゲームしたい……。 うまいもん食べたい……。 ウォシュレット付きのトイレが恋しい……。 あと──)


 願望など無限に湧いてくる。 しかし、それを叶えるための過程でやるべきことが多すぎる。


 まずは地図。 これがなければこの村からどこにも向かいようがない。


 次に言語。 これが習得できなければ、この家から出ることすらできない。 今はレスカがハジメの面倒を見てくれているようだが、それもいつまで続くか分からない。


 食事も明日から自分で用意しろと言われるかもしれないし、明日から働けと言われるかもしれない。 今日食事にありつけただけで、明日以降も同じ生活が続くとは限らないのだ。


 食べるためには働かないといけないし、働くためにはその意志を伝える言葉がなければならない。


(地図は後回しだな。 帰るためにはまず生きていなきゃならんし、生きるためには労働が必要だ)


「それにしても、暇だな……」


 レスカを部屋に呼んで言葉を教えてもらいたいが、完全に陽が落ちているところを見ると、子供はもう寝る時間かもしれない。 そもそも食事の際にレスカが運んでくれたランプも灯が心許ないし、物理的に起きていることが不可能だ。


(しかしどうして俺はこうも落ち着いていられる……?)


 知らない場所で訳のわからない外国人に囲まれて、どうしてハジメは平気でいられるのか。 それは、まだ何も知らないからだ。


 すぐに帰れると思い込んでいるからかも知れない。 ただそれ以上に──。


(帰ってもバイト以外やることないしな……)


 無為な人生を過ごしてきたことはハジメ自身も分かっている。


 大学までエスカレーター式の中学校に入れた時点で勉強はやめたし、今まで部活動や習い事すらしたことがない。 その上、将来やりたいことがなかった。 来年から就活か、などと考えながらダラダラと過ごしていた矢先にこの状況だ。 ちょっとした旅行と考えて能天気に居ても、何らおかしくはないだろう。


「ハズメー」


 レスカが勝手に扉を開けて入ってきた。 扉の向こうも光源が乏しく、机の上にポツンとランプが置いてあるだけだ。 向こうの部屋の方が広いからこそ、より暗く感じてしまう。


「ハジメ、な。 どうした?」

「ハズメ、────」


 レスカは何かを言って食器を持ち上げると、それらを向こうの部屋に置きに行ってくれた。 それくらいならやるのに、ともハジメは思ったが、エスナのことを考えてやめた。 今は怪我人よろしく静かにしていた方が良いだろう。


 すぐにレスカが戻ってきた。


「ん!」


 その手には木の枝が握られている。


「何これ?」


 ハジメが手にとっていじってみると、やけに柔軟性がある。


 どうするのだろうとハジメが見ていると、レスカが徐に枝を齧り始めた。


「食後のおやつ……?」

「──!」


 なおもレスカは木の枝を齧る──というより、しがんでいる。 どうやらハジメも同じようにせよということらしい。


 ハジメは見よう見まねで木の枝を奥歯で噛んでみせた。


「……ん……ん? ッ──にがっ!?」


 異常なほどの渋みが枝の内側から溢れてきた。 思わず枝を吐き出す。


 ハジメが泣きそうな目でレスカを見ても、彼女はニヤニヤしながら木の枝をしがんでいるだけだ。 それも色々な歯を用いて。


 ハジメは自分だけの罰ゲームではないと分かって、もう一度枝を口に含んだ。 が、やけに苦まずい。


 ハジメはレスカがその行為を終えるまで、同じ行為をさせられてしまった。


 後から知った話では、これはチューの木枝というもので、歯磨きと口臭消しを合わせたような効果があるらしい。


 どこまでも原始的な生活に、ハジメは辟易とするしかなかった。


 その夜──。


(隣の部屋の物音は消えた、か。 ようやく寝てくれたな……)


 ハジメは音を立てないようにゆっくりと扉を開け、忍び足で部屋を見て回る。


(テーブルが一つと、椅子が四つ……。 台所らしき場所と壺がいくつか……)


 やけに質素だ。 余計なものが──いや、必要なものも足りていない印象だ。


 ハジメは壺が気になったので上に置いてある蓋をどけて中を覗いてみた。 しかし何の匂いもしない。


 ふと隣に杓が置いてあったので掬ってみると、どうやら中身は水のようだった。


(なんだ水か。 これ以外特に目ぼしいものはない、か……)


 ハジメは別に泥棒を企てているわけではない。


 ようやく自分の意思で外に出られたことで好奇心が湧いてしまっているだけだ。


 もう見たいものは無くなったので、次は外に出ようとする。


(これも引き戸か。 ご丁寧につっかい棒を掛けてるってことは、一応防犯意識があるのか。 完全にご近所さんを信用し切ったド田舎ではないらしい)


 ここもハジメは音を立てずにつっかい棒を動かしていく。


 ギギ──ィ……。


 扉はどうしてもガタ付きがあり、音を完全に消すことはできなかった。


 ハジメはそのままゆっくりと扉を閉め、行くあてもなく村を見て回ることにした。


 トイレに行く際に少し村の様子を見ることはできたが、あいにく中心部には向かわず森の方面だったので詳しくは確認できていない。


(山が真っ暗で不気味だな……。 よくこんな場所に村を作ったもんだ)


 夜ということもあって生活の灯は皆無だが、村から出入りできる道沿いに櫓があり、そこには火が炊かれている。 今も誰かが警備などをしているのだろう。


(見つからないように動こう……)


 しかしこうまで暗いと、やはりハジメがスマホのライトを照らしていたのは間違いだったと実感できる。


 とはいえ、やはりここはあまり見るべきところも無い村だ。


 ざっと大まかな建物の配置などは確認できた。 夜中に出歩くような人間がいないこともついでに確認できる。


 では戻るか、と。 ふとハジメは空を見上げた。


「……ッ!?」


 異常事態に気が付いてしまった。 ハジメにはそれがあまりに信じられなくて、言葉を無くしたままフラフラと人の居なさそうな場所へ。


 叫び出したい気持ちを抑え、もう一度それを──それらを視界に入れた。


「なんで月が、二つも……」


 ハジメは吐き出すようにそう呟いた。


 それが月かどうかは分からない。 しかし、夜の空に浮かぶ光源は確実に二つあった。 大小サイズの違う衛星が、真上からハジメを見下ろしているのだ。


 よくよく考えればおかしな話だ。


 一体誰がハジメのような無価値な人間を誘拐する?


 一体何の目的でハジメを何もない荒野に投げ出す?


「ここは、俺の知ってる地球じゃない……」


 急な動悸がハジメを襲う。 狭心痛にも似た胸の締め付けに、思わずハジメは膝を落とした。


 ここまでのリアルな痛み、感触、食感など。 様々な感覚がここを現実の世界だと訴えかけてくる。


「はァ……はァ……ッ」


(あいつらは、何だ……?)


 人間の形をしてハジメに接触してくる人間たちは、一体何者なのだろうか。 確かに姿形はハジメの知っている──ハジメと同じ人間そのものだ。 しかし、それは外見だけかも知れない。 人間の似姿をしてハジメを陥れる化け物かも知れない。


「ひっ……」


 ハジメの見ている世界が、突然悍ましい何かに変貌したようだった。


 気づけば周囲の民家から様々な視線が。 そんな風に感じるのは恐怖からだろう。 こんな奇妙な感覚に襲われるくらいなら、初めからバケモノの姿で接してくれた方が幾分かマシだった。


 ハジメは何度も背後を確認しながら逃げるようにあの家へ。 彼女らも人間では無いかも知れないが、現時点で最も安全なのはハジメに与えらえた部屋しかない。


 ハジメは震える体で部屋に戻ってベッドに飛び込むと、簡素な毛布をかぶって眠りにつくのだった。



          ▽



「ハズメ、朝ご飯だよ?」


 レスカがハジメの部屋を開けると、彼は毛布の中で動きを見せない。


「ハズメー?」


 何度声を掛けても起きてくることはない。


 レスカは諦めて扉を閉めた。


「お姉ちゃん、ハズメ起きてこないよ?」

「うーん……疲れてるんじゃない?」

「そうかなぁ」

「じゃあ朝ご飯は机に置いてあげて、私たちはお仕事にしましょ」

「うんー……」

「どうしたの?」

「なんでもなーい」


 エスナとレスカはハジメを置いて畑に向かう。


 彼女らの畑は他の村人は誰も干渉してこないため、意外とやるべきことが多い。


 ここは弱小の村なのだから、大概の仕事は相互協力を惜しむべきではない。 しかし、彼女らの行うことに関しては誰の協力も得られないという事態が続いている。 それは5年前──エスナが13歳、レスカが10歳だったあの日から。


 その日は猛烈な雨が降り注ぐ異常気象だった。 様々なことが一日のうちに起こったのだが、結論から言うとそこで姉妹の両親は死亡した。 それも、たくさんの人間を巻き込んで。


 男手の多くを失った村の恨みは全て、なぜか姉妹に向けられた。 まだ成人すらしていない姉妹が、ましてや親の不始末を負うなどおかしな話だが、ラクラ村は成熟した集団ではなかった。


 もしかしたら、怒りの矛先を作り出すことで悲しみを払拭しようとしていたのかもしれない。 だからといって姉妹の処遇が変わるわけではなかったのだが、村という単位があくまで正常に機能するためには必要なプロセスだったようだ。


 最終的には、姉妹を処刑することでこの事件に幕を下ろそうという話になった。


 そんな折、エスナの右手に魔導印を宿した。


 この世界において魔法使いは希少であり、その存在は何をおいても守られるべきだという風潮がある。 これによって村がエスナを処刑することは難しくなった。 だからといって10歳になったばかりのレスカだけを処刑するというのは村の体面としては悪かった。


 エスナの反感を買って村から出て行かれては困る。 ということで、エスナを村に縛り付けて搾取子として扱うことによって溜飲を下げようとした。


 村がエスナの勉強のために出費したのも恩を着せるため。 エスナを様々な要素で雁字搦めにすることで、逃げ出せない環境を作り上げた。


「なぁ、今日の畑の水撒きは?」

「すいません、これから向かうところでした」

「言い訳とかいいから早くやれよ」

「はい……」


 基本的に、エスナに感謝する人間はいない。


「あの……今日のお水をお持ちしました」

「そこに入れておいて」

「はい……」

「なんで水瓶いっぱいまで入れないの?」

「すいません、今日はもうマナがなくて……」

「いつもマナマナって。 あたしらが何も知らないと思って適当なこと言ってんじゃないよ!」

「でも……今日はもう難しくて……」

「ふん、使えない子だねぇ!」


 エスナへの村人の対応など、大抵はこんなものだ。 初めこそ毎日涙で枕を濡らしていたが、今では当たり前すぎてエスナは感情が動かなくなった。


(本当に最低な村……。 今度も変な人を押し付けられちゃったし、いつになったらレスカと幸せな生活ができるんだろう……)


 エスナが力なく振り下ろす鍬は、畑の土を軽く掘り起こした。


「お姉ちゃん……?」

「……あ、えっと、何かしら?」


 エスナは慌てて表情を整える。


 嫌なことを考えながら耕していたら、レスカの言葉を聞き逃しそうになっていた。


「ハズメの様子見てきてもいい?」

「えっと、どうして……?」

「だって朝ご飯のとき変だったから」

「眠かっただけじゃないの?」

「分かんないけど、心配だから見てくる!」

「ちょ……っと、レスカ……」


 エスナが止めるより早くレスカは走り出してしまった。 それはエスナの手からレスカが旅立つような感覚を生じさせ、不意の悲しみがエスナを悩ませる。


(なんで……こうも……)


 また一つ、エスナの心が澱に沈んだ。


「ハズメー?」


 家に戻ったレスカが部屋を覗き込んだ。 すると、朝とは変わらぬハジメの姿がある。 いや、少し寝返りをしたような跡が見られるだろうか。


 食事には手を付けられていない。


「ハズメ、調子悪い?」

「……」

「なにか嫌なことあった?」

「……」

「おなか減ってない?」

「……」

「ねぇねぇ」


 どれだけ話しかけても動かないハジメを見て、レスカは痺れを切らせて彼を揺すった。


 声を掛けている最中も寝息は聞こえなかったし、起きているのは確実。 それでも動こうとしないのは何か理由があるのだとレスカは確信する。


「ハズメ、ねぇなにが──」

「────!」


 大きな音が聞こえた。


 レスカは床に倒れていた。 彼女には何が起こったか分からなかったが、産声を上げる左側頭部の痛みによて顔面を強打したことは理解できた。


 レスカが頬に手を触れると、赤色で手のひらが塗られた。


 痛みによってレスカの目に自然と涙が溢れ出すが、それを見るハジメを見て泣き声までは出せなかった。


「どうして……?」


 どうしてそんな目をしているのか。


 レスカがもっと幼い頃、小動物が可愛くて捕まえようとしたことがある。 しかしそれを追い詰めた時、小動物の表情は少し違っていた。 怯えたような必死なような、そんな感情を含みつつ敵意をレスカに向けてきていたのだ。 それでも捕まえようとしたレスカは、小動物の前歯で手を大きく傷つけた。 その時と同じような状況がここでも生まれている。


 ハジメは怯えていた。 得体の知れないものを見るような視線と、レスカを傷つけてしまった申し訳なさが共存していた。


「大丈夫、あたしは──」

「レスカ!?」


 レスカが背後から抱き抱えられる。 声の主はエスナであり、レスカの頭部の傷を見て驚いた表情をしている。 が、その表情も一瞬で怒りに変わり、それは真っ直ぐにハジメに向けられる。


「あなた、私の妹に何を!」


 エスナの右手には魔導書が握られていた。 そして左手はハジメの中央を捉え、手のひらには水が渦を巻いている。


「お姉ちゃん違うの! ハズメは──」

「レスカを傷つけないで! 私から妹を奪わないで──え……?」


 半狂乱な叫びから、水弾が射出された。 それはエスナの手を離れた途端に爆発的な膨張を見せ、すっぽりとハジメを覆えるほどに成長している。


 そして次の瞬間、ハジメは壁に叩きつけられた。


 行先を失った水飛沫は部屋中を蹂躙し、一部は壁を抜けている。


 余波を受けてエスナもレスカも水浸しになる。


「こんな威力、なんで……」

「ハズメ!」


 エスナが呆然としていると、レスカがハジメに駆け寄った。 必死に介抱しようとしているが、ハジメはぐったりとして動かない。


「ああ……私、なんてことを……」


 三者三様の思いが全て空回りし、悲しい事件が起こってしまっていた。

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