第1章 第1幕 Life in Lacra Village

第1話 いきなりそれはない

ストーリーは緩徐に進行します。

長い目で楽しんでいただける作品を目標に執筆しておりますので、是非最後までお目通しを。


一話平均8000字ほどで、じっくり読める作品を目指しております。


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 今日も日差しが強い。


 肩口で汗を拭いながら、彼は今や日課にもなった農作業をこなす。


「ハジメ、山菜採りに行くよー」


 田を均す彼の元に少女が駆け寄ってきた。 少女はいつも通り朝にやって来てそんなことを言う。


 名前を呼ばれた青年──黒川ハジメは、農具を動かす手を止めた。


 投げられた言葉に対し、ハジメもいつも通りの返事をする。


「農具返す。 待って」

「うん、待ってるね!」


 人懐っこい少女の笑顔から、元気の良い返事が投げ返された。


 少女は小麦色の肌に、やや健康的とは言えない痩せた体型。


 15歳にしてはある部分の発育が少しだけ良く、そして15歳にしては体重が少し軽い。 そんなアンバランスさは、ここでの生活を知っていれば特におかしなことではない。


 ハジメは急いで納屋まで戻る。 そして田畑に使用していた鍬を置くと、代わりに手斧を携帯した。


「待たせた」

「うん、行こ!」


 少女に手を取られて、ハジメは引き摺られるように山手の方へ。


(いつまでこの生活が続くんだろう……? でもまぁ、この娘が一緒なら別にいいか)


 ハジメがこの世界にやってきて早、数ヶ月。 その間ハジメは、原始的な生活を強いられていた。


「ハジメ、別に毎回手斧を持って来なくても大丈夫だよ?」

「心配。 お守り」

「心配性だね。 それにしても、最近は言葉の上達が早くなってるねっ」

「そうか? うれしい」

「あたしもハジメと話せてうれしい。 いひひー」


 純粋な笑顔を向けてくる少女。


(優しくしてくれるのはこの娘だけだよな……大事にしないと。 この娘がいなかったら俺は今頃──)


 ハジメは当時の出来事を思い出していた。 時折夢にでも見る、あの日の忌まわしい記憶を。




『……国……へ……』


 記憶の開始は、自身の声にも似た脳裏に響く謎の言葉だっただろうか。


「なん……?」


 ひんやりとした地面。 靡く夜風。


 中途半端で朧げなハジメの意識が覚醒に至る。


「……え!?」


 ハジメは驚きのままに勢いよく身を起こした。


(え、え? どこだ、ここは!? 俺はいつここにきた? そもそもここはどこなんだ?)


 そこは見知らぬ大地。 周囲に明かりもなければ人影もない。


 ハジメはパニックになりそうな頭をなんとか冷やしながら状況判断に徹する。


(俺は……どうやってここに来た? 飲み会で酔って……ってことは無いよな。 だって俺の最後の記憶は……)


 冷静を装いながら、記憶を辿る。


 ハジメの最後の記憶は朝方、大学に登校したあたりで止まっている。


(朝起きて、大学行って、掲示板を確認して、それで……)


 やはり何度思い返しても、記憶はそこで途切れている。


(拉致された……? 誰に? それともイタズラか?)


 答えなど出るはずもない。 これがドッキリだとしても、ネタバレが起こるのは彼が極限まで焦った状態になってからなのだから。


(ちょっと待てよ、今日は講義の後にバイトの予定が……)


 と、徐々に思考が回復してきたあたりでハジメはふとポケットの膨らみに手をやった。


 スマホ。 何がなんでも、それさえあれば大抵のことは解決できる。 むしろ無ければ死んでしまうくらいに、ハジメはこれに依存している。


 ハジメは焦りで震える手を抑えながら電源をオンに。


「25時13分……」


 やはり深夜だ。 バイトはすっぽかしてしまったらしい。


 ハジメは店長にどやされてしまうという心配と共に、怒りが沸々と湧いてきた。


(誰だよクソ! なんで俺をこんな目、に……)


 ハジメはイライラしながらスマホのロックを解除した。


 内心で怨嗟を吐き出しているハジメの目が、スマホの右上で停止した。


「電波、が……無い」


 思わず口を突いて出てしまった。


 確認すると、メールや連絡ツールの受信すらない。


「マジかよ……。 よりにもよってこんな訳のわからない場所で……」


 今や少しずつ目も暗順応で慣れてきて周囲が確認できるようになっている。 唯一理解できるのは、ここが電波を遮断できるような遮蔽された環境ではないということだけ。


 恐らくここは、電波もやってこないような屋外。 そんな場所にハジメは一人。


(誰からも連絡がきていないということは……この状況に関わる全員がグルか、電波が来ない期間が相当時間あったか)


 ハジメは犯人探しを始めていた。


(大学の知り合いとバイト先の店長が繋がってるなんてことはなさそうだから、前者はあり得ない。 ということは、眠らされてから相当な期間ここに放置されたことになる。 眠らされたってのは憶測だけど……)


 ハジメはなおもスマホを操作するが、電波を受信しないスマホなどただの金属の塊だ。


 ハジメは状況を飲み込むほどに、今度は焦りが湧いてきた。

 

「GPSも機能してないって……まじか。 えっと待て、こういう場合ってどうするんだっけ……? 助けを呼ぶ? そんなことして焦ってる俺を誰かが見てやがるのか? どこかで誰かが笑いながら俺を見ている……最悪それならいいが、そうじゃ無い場合どうする? そもそもそうじゃ無い場合ってのはどんな場合なんだ……? えっとまず……」


 グルグルと思考が巡る。


(あー、くそ! どうすればいい!? 思考が万全の状態ではないことしか分からん!)


 ここでハジメはようやく立ち上がった。 しかし視線の高さが数十センチ上がったところで、見える景色など大差ない。


 見えるのは、大きな山のようなシルエットが左右に二つ。 前後はだだっ広い荒野が続いている。


(日本……だよな? 日本のはずだ。 だって時間的に丸一日も経過してないし、頭も……)


 ハジメは全身を隈なく触ってみた。 頭部に打撲されたような痛みや違和感はなく、その他に異常も見当たらない。


 ハジメは周囲に目を遣った。


 スマホのライトを点灯させて周囲を照らすが、背負っていたはずのリュックが無い。


(ちょっと待てって……。 イタズラにしちゃ手が混みすぎだろ……! スマホと身一つで電波も無い田舎に放り出すとかどんだけだよ、クソ! 俺はバイト先にも電話しなきゃいけねーし、明日だって予定があんのに……! 財布もなきゃ電車すら乗れねーっての!)


 理不尽な状況に対する怒りがハジメを支配するが、その感情は孤独という恐怖によって塗り替わっていく。


 誰もいない荒野。 電波もなければ建物も無い。 せめて廃墟などがあった方が人間の生活の痕跡を感じられてよかっただろうが、ここには本当に何もない。


 常に誰かが跡を付けてきているような、あのゾワゾワした感覚。 そんな不快かつ気が気でない状態に置かれ、ハジメの心拍は限界まで高鳴る。 安心材料を探さなければ張り裂けて壊れてしまいそうなほどには、心臓が脈打っていた。


(やばいやばいやばいやばい……。 なんとか、なんとかしないと……)


 ハジメは恐怖によって動きの悪い両足を引きずり、とりあえずこの場を離れることに終始する。


(前方か後方か、どっちに向かうのが正しい……?)


 スマホが機能しない以上、ハジメができることなど歩き続けることくらいだ。


 特技すらないハジメがスマホを取り上げられ、赤子同然の生存力しかない雑魚キャラが出来上がってしまっている。


 このまま朝を待つという選択肢もあるが、この状態で数時間も知らない場所に居られる自信はないし、野犬などが襲って来たらなおアウトだ。 だからハジメは歩くしかなかった。


 スマホのライトで足元を照らして、屁っ放り腰でノロノロと進む。 そこに決まりきった目的地などない。


「ひッ……!」


 時折、獣の声が響いている。 ハジメは都会でこんな声は聞いたことがない。 つまるところ、ここは田舎だろう。


 それにしても、東京から短時間で来られる距離にこんな場所などあるのだろうか。


(神隠しっつっても、あんなのは迷信だしな。 でも、いや……誰かの話に上がる以上それが迷信じゃない可能性も……)


 この思考に意味はない。 ただ、そんなことでも考えていないと気が持たないのがハジメの現状だ。


 それから数時間。 朝陽が昇る気配はない。


 ハジメがスマホを見れば、時刻はまだ午前3時。 しかしすでに全身がヘトヘトだ。


 永遠にも思える緊張の持続は肉体的疲労以上に精神的な不調を来し、それがハジメの思考低下に拍車を掛け始めていた頃。


(……あ?)


 ふと赤い何かがチラついた。 それは、右手にうっすら見える山の麓あたり。


 ハジメがよく目を凝らせば、左右に揺らめいている灯が確認できた。


(あれは松明、か……?)


 眺めていると、その松明の灯らしきものは二つ三つと数を増やしていく。


(ま、まじか……! これは間違いない、人間がいる!)


 ハジメは心の底から歓喜した。 ようやく数時間に及ぶ苦行が終わることに、孤独ではなくなったことに。


 しかしここで疑問が生まれた。 人間が居ると高い確率で予測できるとはいえ、それがまともな人種であるのかどうかという点について。


(そういえば……)


 ここでハジメは、ある一つの話を思い出していた。 それは、誰も近づかない奥地の閉鎖的な部族が、迷い込んだ人間を生贄に捧げるといった内容だ。 その部族は優しい顔をして迷い人を誘惑し、寝込んでいるところを襲う。 そして最後にはその人の肉を部族で分け合って食べるらしい。 ここまで行くと流石に眉唾物だが、“事実は小説より奇なり”という言葉もある。 あるかないかで言えば、ない話ではない。


 ハジメはどうすべきか迷う。


(あれらを味方と判断するか、敵と判断するか。 日本に敵なんて居ないとは思うけど、邪険にされる可能性は十分に高い……)


 帰る方角さえ分かれば日本国内で行けない場所はないだろう。 しかし食料や移動手段に使う運賃などの問題もある。 せめて電源があれば良いが、スマホの充電器を入れておいたリュックはハジメの手元にない。


 ここまでスマホのライトを多用しているだけあって、残りの充電は20%を切っている。 このまま使用せずとも、充電を繰り返してヘタったバッテリーではあと数時間と持つまい。 だからスマホは諦めるとしても、せめて朝まで安全に過ごせる場所は欲しいところだ。


(ここで逃げてもメリットはないか……。 サバイバルなんてできないしな)


 ハジメは昔から一切習い事などせず、地元の中高大一貫のエスカレーター式の学校になあなあで通っていただけだ。 それから大学に入ってもサークルにすら属さず、講義とバイトで終わる日々を過ごした。 だからハジメには何の技術もない。 こうやって荒野に放り出されれば、数時間で根をあげてしまうほど。


 無駄な思考に時間を掛けている間に、ハジメに近づく集団の足音が響き始めていた。 これで逃げ出すという選択肢は消えた。


 気づけば近づく灯の数は5つを超えており、集団はすぐそばだった。


(まぁいいか。 人がいるって分かっただけ幸運だ)


 なんて呑気なことを考えて、灯に照らされて現れた集団の顔ぶれを見た。


「あー、終わった……人生終了。 意味不意味不」

「──────……、──!」

「──、──!!!」

「────、────?」


 ハジメは嘆息しながら肩を落とした。


 喧しく騒ぎ立てる者たちの声は、もうハジメの耳には届かなかった。


「せめてここで現れるのは、日本人であるべきだろ……」


 ハジメの前に現れた人間。 その全てが、日本人離れした外国人だった。


「“第1話、コミュ障海外へ”ってか……?」


 ハジメはそう呟いてガックリと肩を落とした。


 なおも見知らぬ人種による言葉の応酬が続ている。 しかし何一つ、ハジメには理解できない。


(知らない言葉を投げつけるってのは、ある種の暴力だろ……)


 ハジメを取り囲む者は全て男性。 そして見たところ全員年上で、それだけでハジメは萎縮してしまった。


 男どもの身長は大小様々で、一様に擦り切れたような衣類を纏っている。 生地は布製で、オーバーコートやマントのようなものを肩から脚のあたりまで被り、その下にズボンが見える者や見えない者など様々だ。


 腰のあたりでベルトのようなものが巻かれており、これによって衣服が脱げないようにしている。 靴も煌びやかな革製ではなく衣類に近い布地で、それぞれの手には松明や農具、斧などが持参されている。


(どこからどう見ても、生活水準の低そうな農夫だな……)


 文明レベルの低そうな人間が口々に何かを訴えているのだから、ハジメに恐怖で震える。


(せ、せめて近代的な人種なら何か言っても良さそうだけど……。 話が通じなさそう……)


「────、──」


 大人たちの間を割って、女性が何やら言葉を発しながら現れた。 女性の服装は周りの男どもと大して変わらないが、唯一の違いは頭巾を被っているところ。


 ハジメは、彼らが男だらけの集団ではないと分かって少し安心した。 それでもやはり言葉は分からない。


(英語ならギリギリ分かるかもしれないけど、言葉が何も頭に入ってこねぇ……。 ってか、1日も掛からず行ける国ってどこだよ!? 拉致……? それにしては雑すぎるような……)


 女性はビシッとハジメを指差してまた何かを言った。 叫んでいるようだが、それさえもハジメには理解できない。


(やめろよ怖えぇな……。 何か、言えばいいのか?)


「えっと……俺は黒川ハジメって言います。 日本人です。 気づいたらこんな場所にいました。 助けてください」


 ハジメの言葉を聞いた女性は困惑気味に停止した。 かと思うと、周囲の大人たちと一緒にまた喚き出した。 各所から怒号にも似た言葉が飛び交い、女性がなんとか男たちを宥めすかしている。


「───……? ──、────!」


 女性は再び何かを言ってハジメの手元を指差している。 どうやらスマホを指しているようだ。


「これはスマホ。 携帯電話とも言います。 知らないですか?」


 スマホは未だにライトを照らしている。 ライトの点灯は、ここまでのやりとりの間にも続けたままだった。


 ハジメは何気なしにライトの光を彼らに向けてみた。


「──!?」

「──、──!」


 彼らは一瞬怯んだと思うと、雪崩のようにハジメに迫ってきた。


 ハジメに対して、複数の大人が暴行に走り始めたのだ。


 ハジメのスマホは弾き飛ばされ、水も浴びせられた。


「ちょ、待って! やめ、ぐッ──やめて、やめてくだァッ!? あ、ぐ、ゔぶ、がァ……!」


 男どもは一心不乱にハジメを攻撃している。 その大半は拳によるものだったが、農具も一部振り翳された。


 ハジメは何度も殴られ、倒れたところに腹部や背中への蹴りが見舞われた。 そして最後には全員に踏まれ続けた。


「……う゛ッ! ……ァ……」

「────!」


 女性が大声で叫んだことで、ようやく暴力の嵐は収まりを見せた。


 ものの数秒で、ハジメはまるでボロ雑巾だ。 全身にアザが刻まれ、骨折も数え切れないほどだろう。


 ハジメは全身を震わせ、血を吐きながら苦しみに呻く。


(さ、寒い……痛い、痛い、寒い、痛、い……)


 そうして何やら激しめの口論が続いている中、ハジメは意識を手放していった。


 

          ▽



 一台の馬車が闇夜を進んでいた。


「ふむ、今度は王国か。 どこもかしこもお忙しいことだ」


 紳士風の男が幌の外を覗き見ながら呟いた。


「トンプソン様、どうされました……?」

「君には今の鳴動が……いや、なんでも無いさ」


 トンプソンと呼ばれた男の視線は何かを追っているようだ。 しかし御者にはそれが何かまでは分からない。


「そうですか。 何かあればお申し付けください」

「ああ」


 空返事のような言葉を投げて、トンプソンは空を仰いだ。 そのまま何気なく空を眺め続けていると、ゆっくりと彼方に飛来していく物体を見ることができた。


 詳細は不明だが、先程の鳴動に関連する何かなのだろうとトンプソンは考えた。


「ふむ、通例どおりかとも思ったが……なるほど」


 御者は荷台の中で怪しく笑うトンプソンの声を聞きながら、与えられた仕事をこなす。 彼らの向かう先は王国──エーデルグライト王家によって統治された最西の国家。


 すべての歯車は、彼らの行動によって噛み合い始めていた。

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