オミナス・ワールド

ひとやま あてる

設定資料置き場

第0話 プロローグ

 エーデルグライト王国、地下──。


「王よ、準備が整いましてございます」


 薄暗い地下空間の床一面に、大規模な召喚陣が描かれていた。 幾重にも重ねられた術式の輪を囲むように、多数の魔法使いたちが静かに整列している。


 魔法陣の中心には、供物のごとく厳選された魔石がいくつも据えられていた。


「では始めよ」


 国王カイゼルの低い一声を合図に、魔法使いたちは一斉に魔導書を展開し、魔法陣へとマナを注ぎ始める。


 魔法陣は、ゆっくりと、しかし確実に光を帯びていく。

 

 半刻ほどのあいだに何人もの魔法使いが限界までマナを搾り取り、次の者へと交代していった。


 この世界でも、ここまで膨大なマナを要求する魔法はごく稀だ。 その発動は数十年に一度とされ、人々はそれを──勇者召喚と呼ぶ。


 人間が生み出した、愚かしくも美しい奇跡。 今、その奇跡が王の眼前で結実しようとしていた。


「まだか」


 即席の玉座のそばで腕を組み、カイゼルが低く唸る。


「王よ、今しばらくの辛抱を。 マナの注入は滞りなく進んでおります」


 常に王の傍らに控える男──宰相デノイが、穏やかな声音で宥めた。


「それは分かっておる。 だが……」

「例の一件があっては、不安になられるのも無理はございませんな。 ですが今回は、魔法陣そのものに強固な呪縛と制限を編み込んであります。 前回のような失敗を繰り返すことは、決してございません」

「……そう願いたいものだ」


 膨れ上がる光に、周囲の者たちは思わず唾を飲み込む。


 無理もない。 勇者召喚とは、本来の目的に付随して起こる副産物に過ぎない。 ある存在を追い求める過程で、世界の外側から勇者が引きずり込まれてしまった。 それが始まりだ。


 本来なら生まれるはずのない、イレギュラー。 ゆえに、そのたびに不測の事態が付きまとう。 強大な力を持つ彼らが、もし王や国に牙を剥いたとしたら。 懸念は尽きない。


 光はやがて、地下空間を埋め尽くすほどの眩さに達した。


「お前たち、最悪の場合に備えろ……!」


 デノイの叫びは悲鳴に近かった。


 直後──。


 轟。


 耳を劈く爆裂音とともに、凝縮された光が弾け飛ぶ。


 誰もが反射的に目を覆った。


「……は。 何ここ? そんでこいつら誰? フミヤ、分かる?」

「……さぁな。 スワも分かんないって顔だな。 少なくとも、歓迎ムードって感じじゃねぇよな」


 光が薄れゆく。


 召喚陣の中心部に、二人の若い男女が立っていた。 この世界の住人から見れば粗雑で妙な造りの服に身を包み、場違いなほど気安い声で周囲を値踏みしている。


 フミヤと呼ばれた男は、前髪を大胆に上げた赤い髪に、鍛えたわけでもないのにがっしりとした肉付き。 第一印象からして粗暴だ。


 一方、スワと呼ばれた女は銀色のショートカットで、前髪が片目を隠すほど長い。 ひどく鋭い目つきに、小柄な体躯。 全身から刺々しさが滲んでいる。


「……これは、成功か?」

「ええ。 間違いなく」


 カイゼルとデノイは、互いに声を潜めて確認し合った。


 デノイは魔法使いたちに視線で王の警護を指示すると、ゆっくりと勇者たちの前へと進み出る。


「ようこそ、お越しくださいました。 勇者様方」


 丁重な一言に、二人は同じように目を丸くした。


「あー……なるほど。 ドッキリじゃなけりゃ、多分これはアレだな?」

「はぁ? 意味わかんないんだけど」


 フミヤの方が理解は早かった。 わずかな説明と状況だけで、おおよその事態を飲み込んでしまう。


 日本という国の人間は、総じてそういうものだ。 事前に集めた情報通りの反応に、デノイはひそかに安堵した。


「ここは、勇者様方がおられた世界とは異なる場所──アルスという世界にございます。 この度は、誠に勝手ながらお二方をこちらへとお招きいたしました」

「おぉ……! まじか、まじかッ! これドッキリじゃないよな!? ドッキリじゃないって言ってくれ!」

「はぁ? なに興奮してんの? 今の説明で全部理解したとか、頭どうかしてるでしょ。 あんた、こいつらとグルになって私をハメてんじゃないでしょうね?」

「んなわけねぇだろ! 異世界だぞ、異世界!」


 フミヤはわかりやすいほどテンションを跳ね上げ、スワは露骨に眉間に皺を寄せる。


「知らないっての、異世界とか」

「そんじゃさ、そこのあんた! ここが異世界だってこと、ちゃんと証明してくれよ!」

「フミヤが何言ってるのか分かんなくてイライラするんだけど」

「まぁ見てろって。 な? あんた、こいつにも分かるように、なんかやってやってくれよ!」


 デノイはフミヤの勢いにやや押されながらも、彼らが少なくとも即座に暴れ出す類の人間ではないと判断し、静かに頷いた。


「……畏まりました。 では、私めの魔法でよろしければ」

「魔法!? いいじゃん魔法!」

「うるさ」


 スワはなおも不機嫌さを隠さない。 しかし、デノイがそっと手を掲げ、薄く光る魔導書を具現化させた瞬間、その目がわずかに細められた。


「なにそれ、マジック?」

「いえ、これは魔導書と呼ばれる、魔法発動の媒体にございます。 それでは、私の魔法をお目にかけましょう……《炎球スフィア》」


 デノイが腕を空へと掲げると、その掌の上に直径数メートルはあろうかという炎の球が出現した。


 まるで小さな太陽。 燃え盛る炎は紅くうねり、そこから放たれる熱波がフミヤとスワの頬を炙る。


 デノイは火球をいくつかの軌道でゆるやかに遊ばせた後、指先をひとつ鳴らし、一瞬で霧散させた。


「いかがでしょう。 魔法には今のような攻撃だけでなく、多種多様な系統がございますが……まずは存在を信じていただく一例として」

「俺は信じるぜ! スワはどうだよ?」


「……まぁ。 ここで疑ってゴネても話が進まないしね。 暫くはそっちの設定に合わせてあげる」

「だってよ?」

「ご理解、痛み入ります」

「つーかさ、大学の講義とかどうするわけ?」


 ふと、スワが現実的なことを口にする。


「どうでもよくね? あのまま進級したところで、しょーもねぇ会社に就職する未来しかなかったろ。 だったらこっちのが楽しいに決まってるじゃん」

「あんた本気で全部鵜呑みにしてんの? 絶対こいつらまともじゃないっての」

「あれ見せられてまだ信じてねぇの?」

「今の時代、あんなの見せられても別に大したことじゃないでしょ。 どうせホログラムとかそっち系よ」


 二人がいつもの調子で言い合いを始めたので、デノイは王へ一礼しつつ、場を移すことにした。


「ひとまず、落ち着いてお話できる場所へご案内いたしましょう。 詳しいご説明はそちらで」

「あいよ」

「絶対おかしいって……。 髪の色も、変になってるの気づいてないわけ?」


 スワはなおもぶつぶつと不満を零している。


「おっと、自己紹介が遅れました。 私めは、デノイ=カークランドと申します」

「俺は荒牧史哉あれまき ふみやってんだ」

上水流諏訪かみずる すわ

「フミヤ様、スワ様。 心より歓迎申し上げます。 それでは──こちらへ」


 こうしてエーデルグライト王国の勇者召喚は、外見上は滞りなく成功を収めた。 計画通り、二名の勇者を異界より呼び出すことに成功したのだ。


 ただし、勇者召喚とは世界を隔てる壁に孔を穿つ禁忌の行いでもある。 たとえ短時間であろうとも、その影響は計り知れない。


 異界のマナが、ひそやかにアルスへと流入する。 その波紋は、遠く離れた地にも届いていた。



          ▽



「……ん」


 ランドヴァルド帝国。 高くそびえる神殿の奥、静謐な聖域にて。


「教皇……?」

「……エーデルグライトが、また禁忌に手を伸ばしたみたいだね。 まったく、節操のない連中だよ」


 問いかけた女性に、ライトロード教会の教皇オリビア=ライトロードは大きく嘆息をついてみせた。


「ロウリエッタ、すぐに他の二人を呼んでおくれ」

「畏まりました」


 ロウリエッタと呼ばれた女性が足早に聖域を出ていく。


 オリビアは腰まで届く金の髪を一房手繰り寄せ、指先で弄びながら独り言のように呟いた。


「トンプソンは、結局間に合わなかったってことだろうね。 さて──。 今度の勇者は、世界に何を持ち込んだんだか……」


 その声には、諦念と警戒がないまぜになっていた。



          ▽



 魔物が蔓延り、魔人が台頭し、不幸が吹き荒ぶアルス世界。 ここにはすでに、魔法という技術が深く根を下ろしている。


 魔法の芽吹きから、数百年。 それでもなお魔法使いは希少であり、魔法そのものも完全な解明には程遠い。 だが、人間がこの苛烈な世界で生き延びるためには、魔法はあまりにも便利すぎた。 いや、必要不可欠とさえ言えた。


 ゆえに人々は魔法を追い求める。 より強い魔法を、より効率的な魔法を。 その過程で世界のあらゆる場所に争いが生まれ、幸福と不幸は不均等にばら撒かれ続ける。


 それでも人間は、過ちを正そうとしない。 魔法の先に何が待つのかを知らぬまま、あるいは見ようともせぬまま。 貪欲に魔法をしゃぶり尽くし、世界をゆっくりと腐らせていく。


 アルスには神が存在する。 かつては、確かに存在した。 今なお神への信仰が色濃く残る土地もあれば、すっかり忘れ去られた土地もある。


 魔法とは、本来その神よりもたらされた奇跡の一部。 世界を管理する者として、神は人間の愚行──魔法の濫用を決して是としなかった。


 本来、人間に与えられるはずのなかった禁忌の技術。 それこそが、勇者召喚である。


 人間は狡猾に魔法を解体し、組み替え、ついには魔法のその先へ。 神の領域にまで触れようとしている。


 神は危ぶむ。 人間の発想を。


 神は案じる。 世界そのものの行く末を。


 だが神は、直接の干渉を許されてはいない。 だからせめて、とある湖の水面に、誰にも気づかれぬようそっと小石を投じた。


 生じたさざ波が、いつどこへ届くのかも分からぬまま。 それでも、確かに流れを変えうる一石であることだけは信じて。

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