守りたい約束
ロンドン特有の曇り空は、いつからか雨降りへと変わっていた。
雨の中、車が養護施設に辿り着くと、僕だけが車から降りた。
誘ってもクレアラは頑として首を縦に振らなかった。だから仕方なく、僕は焼き菓子がたくさん入った紙袋を抱えて、冬の冷たい雨にできるだけ濡れない内に、駆け足で養護施設へと入っていった。
どのくらい久しぶりに来ただろうか?正確には覚えてないけど三か月は空いている気がする。でも、いつものように子供達は僕を温かく迎え入れてくれた。その目的が僕ではなく、お菓子の方に目が向いていたとしても。僕にはそれが嬉しかった。子供達に焼き菓子の入った紙袋を手渡す。中を覗いた子供達の見て取るように瞳が大きく丸くなり、輝きを増す。
おやつの時間を今から心待ちにしていることだろう。昔の僕がそうだったように。
奥の部屋から施設長のスプリングが歩いて僕を歓迎してくれる。
「アイリー、いつもありがとう。子供達も私も本当に感謝しているわ」
「好きでやってるだけだから気にしないで。それとまた、いつもの口座にお金を振り込んでおくから、何か困ったことがあったら遠慮なく使って欲しい」
「お金はいつも気にしないでと言ってるでしょ。その為に貴方が危険なことに手を出していると思うと心配でたまらなくなるのだから」
お金の面では本当に困っていないのかもしれない。今までは知らなかったがメリーデッド家が支援していたのだから。でも決してここは裕福ではなかったし、普通の水準の暮らしが送れていたかと言うと、それは違う。満足に必要なものが買ってもらえる訳ではなかったし、それが個人で欲しい物や食べたい物なら尚更だ。そういう点ではいつも我慢させられていた記憶がある。それが悪いってことばかりではないけど──
ここの倹約的な生活に慣れていたから、お金があっても散財することはなかったし、むしろ質素な生活を送っていた。だからバッドデイと過ごし始めてからは、お金は貯まる一方だった。……それまでの生活は本当に大変だったけど。
「いつ必要になるか分からないから、取っておいて欲しい。いつか必要になる時がくるかもしれないから」
今はメリーデッド家が支援してくれているが、それがいつまで続くか分からない。どれだけ資金力があるのか分からないし、それ以上にブレサイア達と争っている身だ。考えたくないが彼らがブレサイア達にやられてしまう可能性もある。今となっては、それは僕の身にもきっと何かが起きたって言うことに繋がるのだけど──
だからこそ、お金はいくらあっても困ることはない。
「危ないことはしないで頂戴ね。貴方は出て行ってしまったけど、それでもここの子供なのだから」
「ありがとう、スプリング」
僕は素直に感謝を伝える。
一方的にここを出てしまった身だけど、それでも変わらずに心配をしてくれていることは伝わっている。本当は心配も掛けたくないのだけど、そんな訳にもいかない。
僕はここで育ったから、ここで今暮らしている子達が、消えてしまった子達と同じ運命をたどらせたくない。
クレアラと再会して、同じ運命をたどらせたくないという思いは余計に強くなった。
だからこそ僕はブレサイア達と戦わなくてはいけない。この街では禁忌として語られているが、誰かがそれに触れなくてはいけない。
「一緒にお茶をしていかない?」
「また来た時にするよ。外で人を待たせているから」
せっかく来訪したのに長い時を過ごせないことを知り、スプリングは残念そうな顔をする。
「また来るよ。次もまた間が空くかもしれないけど」
「分かったわ、ただし絶対に来ること。約束をするからには守りなさい」
「分かってる。約束は守るよ」
クレアラや消えた子供達を探す自分との約束を守り、僕は探し続けた。
そしてやっと見つけた。
次の僕の中での約束は遂に見つけたクレアラの力になること。見捨てないこと。だから僕はブラインドマンの誘いに乗っかった。
消えた子供達の為に、復讐をしないといけないのかもしれない。
それでも僕は、これから犠牲になるかもしれない子供達の為に戦いたいと思う。
復讐が理由で動く気にはイマイチ乗り気になれないのは、その気持ちがあるからだ。
それと母さんがいつも言っていたっけ……『人を憎んじゃダメよ』って。
その言葉が今も心のどこかに刻まれていて、影響しているのだと思う。
僕は養護施設の出入り口の扉を開ける。
施設から離れた入り口にある柵の前に止まった車。車外にクレアラが傘を差して立っていた。
僕を見送りに外まで出たスプリングに、傘を差したまま彼女が深くお辞儀をした。
中には頑なに入ろうとしたクレアラの心境がどう変化したのかは分からない。今の自分を見られたくない。だから会いたくない。それでも心のどこかで会いたかったのかもしれない。あれがクレアラなりの精一杯の感謝の表現なのだろう。
「そう、クレアラを見つけたのね」
遠くからでもクレアラだとすぐに見分けるスプリング。きっと彼女にとっても特別な存在だったのだろう。誰よりも優しく献身的で、少し自己犠牲が過ぎるくらいに誰かの世話ばかり焼いていたから。
「あの子の力になってあげてね。私には、きっと力になれないから」
クレアラが直接会いに来ず離れた場所にいることから、彼女の状況と心境を察したのだろう。スプリングが優しく僕にお願いをした。
「当然だよ。やっと見つけたんだから」
僕はスプリングに自分の決意を伝えた。そして彼女に手を振って別れを告げると、雨に降られながら駆け足で車に戻る。
僕が車に近づくとクレアラも傘を畳み、車の中に乗り込んだ。
僕も反対側に回りこみ後部座席へと乗り込む。
「もう良いのかしら。お別れにしては短かったようだけど」
「お別れのつもりはないからね。また来る気でいるよ」
「そうね。死を覚悟して別れるより、再会を願って別れる方が、人として健全だもの」
「クレアラこそ、姿を見せるなんてどんな心境の変化があったのさ?」
「わからないわ……私の心なんて私にも分からないもの。でも復讐だけに身を焦がすにはきっとまだ心残りがあったのね……でもそれも、もう消えたわ──」
車の窓から、まだこちらを見て立っているスプリングの姿を見続けているクレアラ。
「名残惜しいかもしれないが出発しようか、次はどこへ?」
「サブマージへ向かって欲しい」
「分かった」とだけ言葉少なく返事をして、ロドニーがエンジンをかけて車を走らせる。
車が発進した中で僕はスマホ電話を使い、バッドデイに『連絡が遅くなってゴメン。これからサブマージへ行くから、そこに来て』とメッセージを送信する。
おそらく、僕の連絡を待っていたのだろう。
すぐにバッドデイから返信が来る。メッセージは『とっくに待ってる』と来た。
バッドデイも僕らの住んでいた部屋には戻っていないだろう。
あの場所に貴重品は置いていない。いつでもすぐに逃げられるようにとの彼の考えから、そういった類のものは置かないことに決めている。だから競馬場からサブマージへと直行したのかもしれない。僕とバッドデイが共通して通う場所がそこしかないからだ。
まだ店の開店前から押し掛けた訳だから不機嫌になっているオリビアの姿が目に浮かぶ。これから向かってもギリギリ開店までには間に合うから多分、中に入れてくれるだろう。開店してからだと周りから浮いてしまうから、逆に僕は店の中に入れない。
でも……部屋の中に残した服だけは心残りだな。お金はスマホで全て管理しているから困ることはない。高価なものも買わないから、失って困るような物は、はなからない。
データ以外の母さんとクレアラの写真はそれぞれ一枚を財布の中に入れて、それ以外は養護施設に預けている。僕がいつでも戻るキッカケが残るからとスプリングも快く預かってくれた。だから服だけがちょっと惜しい。気に入ったやつもあったのだが、もう手に入らないだろう。それだけが残念で仕方ない。
雨が車の屋根に打ち付ける中、市内に向けて進んでいった。
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