サブマージ

ロンドンの市内でも少し裏路地の方。人通りの少ない場所だが、看板を出している店がある。「サブマージ」という店名のバーだ。


 深夜をとっくに回っている時間帯もあり表の看板はクローズとなっている。


 でも、僕とバッドデイはその閉店した店内にいた。


それほど広くはない店内には六席のカウンターと、三つのテーブル席が用意されていて、光度の少ない落ち着いた照明が店内を照らしている。


カウンター奥にはさまざまな種類の酒瓶が並べられている。


どうせ飲めないから、僕には興味のない代物だけど。


その店のカウンターに立つ、白いワイシャツに黒いベストを着た如何にもバーテンダーらしい装いのオリビアが、僕とバッドデイにそれぞれビールとノンアルコールドリンクをグラスに注ぎ提供する。


 飲み物を提供した後にスマホを取り出し、何やらオリビアが操作している。


「依頼者から報酬が振り込まれた。今、そっちにも送ったよ」


カウンターに置かれたバッドデイのスマホが振動し画面が点灯する。


彼もそれを手に取り操作し始める。


「確認した。お前にも送る」


 カウンターに置いた僕のスマホにも振動と共にメッセージがくる。中身は分かっている。今回の依頼料の内の三割だ。一応、取り分は五対五という建前だ。ただ全部を渡してくれるわけではなく、生活費と何かあった時の供託金としてバッドデイがその二割をぶんどっている。真偽は……概ねのところ真実だ。でも概ねだ。


家賃に光熱費、ここの飲食費はバッドデイがいつも支払ってくれている。


その分、普段の食費は僕が出している。


……だいぶ、僕が損してると思う。間違いなく!


「依頼者ルーベスから『期待通りだ。また依頼する』だとさ」


「次を受ける気はない。そいつはブラインドマンだ」


「そうかい。ブラインドマンの名前じゃ誰も依頼を受けてくれなくなったから偽名を使い始めたんだろう。でも姿を現したことは初めて聞くね。姿を見たら殺されるとも噂されている。そいつを目にして生き残ったんだ。ついてるんじゃないかい?」


「じゃあ祝杯として今日の分はタダだな」


「お断りだね、アタシには関係ないことだ」


「ついてないじゃないか……」


 そう愚痴りながら、グラスに注がれたビールをグビリと飲む。


「で、どうだったい? ブラインドマンは──」


「名前の通り、目の無い仮面をしてた奴だったよ」


僕は見た目そのままのことをオリビアに伝える。


「噂の元はブレサイア達からだろう。憎しみを凝縮したような奴だった。近づきたくはない手合いだな」


「深入りするもんじゃないね。ブレサイアと敵対する相手だ。関わるとろくなことにならないだろうさ」


「そんな依頼を紹介するなよ」


「今までブラインドマン名義であちこちに依頼してた奴が、急に偽名を使い始めたんだ。仕方ないだろ。それにブレサイア相手の依頼を回せる相手が、今はアンタ達以外にいなくてね。他に回して客が消えたらアタシが困るだろ」


「他にブレサイアを狩る人はいないの?」


 そう言えば同業者がいるような話しは聞いたことがない。


「消えたよ、全員ね。だからあんまり踏み込むもんじゃないよ、アイルの坊や。眠るのはベッドの上だけにしておきな。墓場で温かいのはR・I・Pの文字だけだ」


「オリビアは危なくないの?」


「心配してくれてありがとうよ。手に負えないと判断すればアタシもすぐに手を引くさ。私も街を綺麗にするのは賛成だ。金払いも良かったしね。けど──ブレサイア、子供の失踪、この二つの禁忌に加えてブラインドマンにも関わると『死が訪れる』と噂されるようになった。関わるもんじゃないのさ、命を大事にしたけりゃね」


「全部破っちゃったわけだ」


「だから心配してるんだよ。これ以上は関わらない方が良いかもしれないね。ブレサイアを相手にすること自体だって本来は無謀なんだ。人の身で相手にするには荷が重すぎる。アンタ達も今回の件でそう思ったんじゃないかい?」


 ガーゴイル体にB・O・Hと今回の依頼は散々だった。それにブレサイアだけならともかく大勢の人間も相手にしないといけなくなってきたのが正直困る。今回の依頼のような戦いばかりだと、いつかは僕も本当に死んでしまうかもしれない。


今までと違って、今回は身を持ってそれを知らされた。それでも……


「荷が重いのは分かってるよ。手に負えないと思えばすぐに身を隠す」


 バッドデイは、オリビアと同意見のようだった。でも僕は違う。


「僕は反対だね。ブレサイアの連中は野放しにしておけない」


 あんな連中を野放しにしておいたら、どこかで子供達が犠牲になっていく。

僕はそれを見過ごすことはできない。


「坊やは若いから、正義感に燃えるのも分かる。けど、自分にとって分不相応ってのも、あるんだよ。正義感が仇になって自分が燃えてしまわないように気を付けな。長くうまく生きるコツは、時には目を瞑ることだ」


 目を瞑りたくても瞑ることなんてできやしない。


僕と共に過ごしてきた養護施設の子達だって犠牲になってしまったのだから……


「次からは依頼者の身辺も洗ってくれ。ブラインドマンの依頼は避けたい」


「できる限りはするけどね。でも金は持ってる相手だ。うまくすり抜けて来るだろうよ。だからアンタも依頼内容に注意しな」


「二度と武器を持って教会に来いって依頼は絶対に受けないからな。依頼料が高くても!」


「でも子供達は助かったでしょ?」


「その為に犠牲になって死ぬには見返りが無さすぎる。俺達がやれることをすれば良い」


「キッズ・イン・ザ・ミラーを確認して、闇討ちで倒すのを続けていくってこと?」


「それが最も安全で確実だ。それを続けていけば、いつかは子供の犠牲者もいなくなる」


「今、犠牲になる子供達には目を瞑れっていうわけ?」


「そうだ」と言いながら、札を二枚カウンターに置き立ち上がるバッドデイ。

振り返ることもなく出口へ向かう。


僕も仕方なく椅子から立ち上がり、彼の後を追いかける。


「気を付けなよ。災いってもんはいつ降りかかるか分からないからね」


後ろ手に手を上げて、彼なりに返事をし、ドアを開けて外へと出ていく。僕もそれに続く。


 僕達はバーを出て夜の街の雑踏の中に紛れていく。


 十二月の冷たい風が、肌に痛みを生じるように冷やしてくる。


今もどこかで誰かが犠牲になっているかもしれないと思うと、素直にバッドデイとオリビアの言葉には賛成できなかった。

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