第34話 最終話
「……ルシアン殿下は私のために禁呪をお使いになったことはありますか」
「!?」
努めて平静を装って問いかけると、ルシアンは青みを帯びた双眸を見開く。形のよい唇から答えが紡がれることはない。けれど、みるみるうちに顔色が紫になっていく。
――それが答えだった。
「私は、一度死んだことがあります。それは、アイヴィーの言い付けで辺境の地に向かう道中のことでした。馬車が賊に襲われたのです。死ぬ直前の賊たちの会話から推測すると、アイヴィーの差し金だったのだと思います」
確信を持ったエステルが告げると、ルシアンは頭を抱える。
「……待ってくれ」
「はい」
「つまり、エステルも死に戻っていると?」
「はい、どうやらそうですね」
「嘘だろう? では記憶がある? 死んだ時のことだけでなく、この一年間も」
「ええ……その通りです」
当然です、と頷くとルシアンは目を丸くしたまま耳まで赤くなった。紫色よりはいいのかもしれないが、具合が悪そうなことに変わりはない。
「俺が……君に冷たかったことも覚えている?」
「死に戻り前の一年間だけではなくずっとでしたので、あまり気になってはいません。それに、冷たいというよりは政略結婚の相手への模範的な対応、という感じでしょうか。何の好意も感じていなかったので、死に戻ってとても驚きました」
エステルの答えにルシアンは両手で顔を覆う。指の隙間から弁解が漏れ聞こえる。
「違う。逆だ。俺は本当にエステルのことが好きすぎたんだ……」
「……!? 今のは不意打ちすぎるので、やめていただけますか!?」
「……ごめん。ほんと聞き流して……」
「無理なこともあります……」
会話の雲行きが怪しすぎるものの、エステルはそのままルシアンにあの夜のことを聞くことにした。
エステルがアイヴィーの差し金で辺境の地へ向かわされた日、知らせを受けたルシアンはすぐに後を追った。そして、馬車が襲われているところに出くわしたらしい。
優れた闇魔法の使い手であるルシアンだったが、わずかな差で間に合わなかったようだ。エステルはすでに息絶えていた。そして迷わず死に戻りの禁呪を放ち、今に至るという。
(馬車の隙間から入り込んできた黒いもやは、きっとルシアン殿下が近くに来て魔法を使おうとしていたからなんだわ)
自分が知らなかったルシアンの一面を知って、胸がぎゅっとなる。あのとき、馬車の中で絶望していた自分を助けにきてくれていたなんて。けれど、自分は彼の気持ちに応えてもいいのだろうか、という迷いもある。
自分はシャルリエ伯爵家を出たのだ。仮に今回の件でアイヴィーが家を去ることになったとしても、家に戻ることはないだろう。両親への不信感はそれだけ根深い。
エステルの戸惑いに気がつくことなく、ルシアンは続ける。
「一緒に死に戻ったのは、エステルの闇属性の魔力が禁呪に反応した、ということだろうな」
「それは理解できるのですが、私には呪い返しがありません」
「確かに……いや、わかった。紅茶だ。不安定な状態で淹れるお茶が毒になるだろう?」
「あ! 死に戻り前はそんなことはありませんでした!」
「……しかし俺とレベルが違いすぎないか?」
バルコニーにびゅんと強風が吹く。同意しかなかった。
常に本音を晒すことになってしまったルシアンには申し訳ないところだが、エステルはくすくすと笑う。
「……でも、そのおかげでこうして仲良くなれました」
「ああ。俺も、こんな風に君に気持ちが言えるなんて思ってもみなかった。かわいいも抱きしめたいも好きだも天使だも愛おしいも全部、余すことなく本音だ」
「「……!?」」
エステルだけでなくルシアンも油断していたらしい。二人揃って目を見開き固まる。
「いい加減にしていただけますか……!?」
「……ほんと聞き流して……」
ツッコミ役のクロードがいないのが本当につらい。このままではルシアンの顔は紫になり、エステルはただ甘い言葉を復唱するだけになってしまう。
早急に雰囲気と話題を変えたいところである。
(何か新しい話題を……)
そう思ったエステルの視界に映るのはシャンパングラスだった。お酒絡みには苦い思い出がある。ルシアンにも死に戻り前の夜会の記憶があるのなら、非礼を詫びるべきだろう。
「今日、グラスに入っているのはお酒ではありませんね。わざわざ取り替えるように言ってくださったところを見ると、死に戻り前の私はこの後酔って大変なご迷惑をおかけしたようです。その節は、本当にご迷惑をおかけしました」
「……俺はとても楽しかった。だから、今日もこうして無理を言って夜会に招待した」
気遣いの手紙しか記憶にないエステルは、目を瞬いた。
「実は、私も……何となく楽しかった感じは残っているのですが。記憶自体は全然で」
「初恋の話をした」
「え?」
「君の子どもの頃の話を聞いて、俺は初恋の話をした」
「はつこいのはなし」
ルシアンの言葉を噛みしめてみたものの、全く意味がわからない。
(そういえば、ルシアン殿下は“初めて会った時から君が好きすぎる”とおっしゃっていたわ)
自意識過剰かもしれないが、一応確認しておいた方が良さそうである。
「それは……もしかして私の話だったりします?」
「ああ。母に連れられて嫌々参加した茶会で、庭の端に天使のようなとびきり可愛い女の子が現れた。彼女は俺にとびきりおいしいケークサレをくれて、とびきり眩しい笑顔で励ましてくれた。俺は一瞬で恋に落ちた。当然、相手はエステル、君だ」
「!?!? それ、本当に私でしょうか!?」
口をぱくぱくとさせるエステルを見て、ルシアンは不満げな表情を浮かべる。
「本当に覚えてないの? おかしいな」
「も、もちろん子どもの頃のことは覚えています! ですが、その思い出、美化されすぎでは!?!?」
「前の夜会での君は、お酒のせいか頬を染めて甘ったるい口調で自分から話してくれたんだ。食べてしまいたいほどにかわいかったんだが」
「たべてしまいたい」
うっかり復唱してしまったことに気がついても後の祭りである。
「「…………」」
気まずい沈黙の後。
「今、俺は何を言った?」
「な、何も! 私は何も聞いていないです……!」
聞かなかったことにするのが、お互いのためだった。ルシアンへの気持ちを認めつつあるエステルにはあまりにも甘い響きだ。まるで褒められているのが自分ではないみたいにふわふわとしてしまう。
こほん、と咳払いをしてからルシアンは告げてくる。
「エステル。先ほどシャルリエ伯爵夫妻にも話したが、俺は君が好きだから婚約者に選んだ。君を悪く言う声は聞こえた側から消してきたし、今後も口出しはさせないつもりだ。俺には、それだけの力がある」
「……!」
ルシアンのいう『力』とは王族という地位のことだけではなく、闇属性魔法の使い手としての意味も含まれているのだろう。
(死に戻り前の人生で、ずっと私がルシアン殿下の婚約者でいられたのはそれが理由なんだわ……)
そっけないと思っていたルシアンだったが、実はいろいろなものから守ってくれていたらしい。気づかずにお礼のひとつも言わずにいた自分が情けなかった。
ふいに手を取られて鼓動が跳ね上がる。
けれど、ルシアンは自然な仕草でエステルの指先に優しく手を添えるとそのまま口づけた。
「!?!?」
エステルは驚きに目を見開き、耳まで真っ赤に染まってしまう。そこを、青を帯びた淡いグレーの瞳が見つめてくる。
「エステル。私と結婚してほしい。今すぐじゃなくてもいい。どうか、婚約を解消するなんて言わないでほしい」
「あの……!?」
縋るような声にエステルは目を瞬いた。
包み隠さずにいうと、ルシアンのことは好きだ。けれど。
(私は……)
「……あの、私はカフェを」
「かふぇ」
今度、復唱するのはルシアンの番だった。
「私はせっかく闇聖女として認めていただけましたので、この国を豊かにするカフェを頑張りたいな、なんて……」
「どういうこと。普通、今の流れだとすんなり受け入れてくれるところじゃないか?」
ルシアンは、いつもと違う方向で本音がだだ漏れているようである。
「私もルシアン殿下をお慕いしています。ですから気持ちではOKなのですが、王子様と結婚してお茶会を主催する人生よりは、カフェを営んでいろんな方々に私が作ったお菓子を食べていただきたいな、とか思ったり」
「わかった。その方向で」
「!? そんなものでいいのでしょうか!? 王子殿下の配偶者ですよ!?」
「さすがに、兄が三人もいれば王位継承権は回ってこないだろう。それにさっきも伝えた。俺はわがままを押し通せるだけの力があると」
「……」
ルシアンとの結婚が急に現実味を帯び、鼓動が速くなっていく。戸惑っていると、手を握っているのとは反対側の手がエステルの頬を包み込む。
「!? あの!? ……心の準備が」
「こころのじゅんび?」
「あまりに突然のことなので、少し待っていただけると」
だって、今日ここにくるまでエステルは一人で生きていくつもりだったのだ。急に、ルシアンの気持ちを受け入れてもいい、と言われても気持ちの整理がつかない。
けれど、ルシアンの気持ちは真逆のようだった。鼻がくっつきそうな距離に彼の顔が近づく。鮮明な息遣いに言葉が紡げない。
「ずっと伝えてきたつもりだ。あと何秒待てばいい?」
「なんびょう」
エステルが復唱しかけたところで、わずかに唇が重なって離れた。軽く触れ合うだけのキスだったが、ルシアンの表情はひどく真剣である。真っ直ぐに見つめられて、呼吸をするのも忘れてしまいそうだ。
「エステル……かわいすぎて本当にた、」
とまで言いかけたところで、ルシアンの顔色が紫になる。また本音を我慢したらしい。
「!? ルシアン殿下? 大丈夫ですか……!」
「……ああ……問題な、い……」
そこに、夜会の会場から様子を見にきたらしいクロードがゲラゲラと笑うのが聞こえた。
「こんなことだろうと思った。まじ面白い」
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