第29話 夜会での遭遇
王城でのパーティーの日。
エステルのもとには、ルシアンからメイドが二人派遣された。シャルリエ伯爵家を出てからというもの、煌びやかなドレスもコルセットとも疎遠になっていた。久しぶりの人の手を借りた支度に、戸惑ってしまう。
ヘアメイクをしてもらっているところで、朝の見回りを終えたらしいクロードが猫の姿のまま窓から入ってくる。それに視線で「おかえり」と告げながらエステルは考えた。
(いざというときはクロードに着替えを手伝って貰えばいいと思ったのだけれど)
「お前、なんかオレのためにならないことを考えてるだろう? マジでやめてくれ。アイツに殺されるから」
「……」
使い魔は人間の形になってもメイドにはなれないようである。死に戻り前のエステルならば、クロードが言っていることが信じられなかっただろう。しかし今ならば何の疑いもなくすんなりと「まぁそうだろうな」と思ってしまうのがこわい。
(死に戻り前とは全く違った気持ちで臨むパーティーだわ……)
少なくとも、パーティーの最中に聞こえてくる自分を揶揄する声は今度こそ自分で撃退したかった。
時間ぴったりに、カフェの扉に備え付けられた鐘が鳴る。メイドが扉を開けると、ルシアンがそこに立っていた。
「……綺麗だ……」
ルシアンはそれだけを口にすると、言葉を失ったように黙ってしまった。白い正装に身を包んだ彼はこれ以上ないほどに王子様っぽい。しかし、相変わらず丸見えの本音が残念でしかなかった。
(貴族的な挨拶の言葉がない……前と違う……)
ということは、あの言葉は完全に外行き用に取り繕うものだったのだろう。ますます本気っぽくなってエステルも恥ずかしくなる。そんな心中を知ってか知らいでか、ルシアンはいつも通りに本音を伝えてくる。
「こんな風にまたエステルをエスコートする機会が得られるなんて夢のようだ。幸せすぎて俺は死ぬのかもしれない……いや、アイヴィー嬢を消すまでは死ねないか」
「軽々しくこの国の聖女を消そうとするのはやめてください」
「だって……鏡見た? 本当にかわいくてきれいで美しすぎるんだが? 想像の数倍だ」
「!?!? 勝手に想像しないでいただけますか! そして仮に私の盛装がそうだったとしても、アイヴィーを消す理由に直結しないはずですけれど!」
「……そういうところも本当に好きだ。大丈夫、君は俺が絶対に守るから」
ルシアンの口調が砕け始めたがまだ顔色が紫に変わる気配はない。本人も今さら隠す気はないのだろう。エステルも気恥ずかしいものの、息を呑んで固まるまでにはまだ遠い。
二人とも、すっかりこの状況に慣れてしまった。
「……お前ら本当に面白くて気持ち悪いな、まじ笑うわ」
黒猫姿に蝶ネクタイを着け呆れ顔のクロードをお供に馬車に乗り込み、王城へと向かう。夜会のはじまりは、もうすぐだった。
◇
大広間は死に戻り前の記憶とほとんど変わらなかった。ただひとつ違ったのは、両親が声をかけてきたことである。
「エステル! 会いたかったわ!!!」
(お……お母様……)
夜会が始まってまもなく。突然腕に飛びついてきた母親に、エステルは驚いてルシアンの腕から手を離してしまった。
それがルシアンは気に入らなかったようである。エステルが複雑な表情を浮かべているのを確認してから、両親へ不自然なほど尊大に話しかけた。
「……これは、シャルリエ伯爵夫妻。お会いするのはあの日以来ですね」
「はっ……はい。ルシアン殿下。この度はエステルをエスコートしていただきありがとうございます」
「シャルリエ伯爵家を出たにも関わらず、エステルを気にしてくださっていること、とてもありがたいですわ」
口々に挨拶をする両親を見ながら、エステルはルシアンの腕をぎゅっと掴み直す。
(お父様とお母様にお会いするのは家を出て以来だわ。何かをされたわけではないけれど……死に戻り前はアイヴィーの意見に従って私を辺境の地に送ったんだもの。関わりたくない)
社交の場でのルシアンはにこやかに高貴なオーラを放っているものの、同時に近寄り難い空気を纏っていることに変わりはない。エステルは、今ほどそれを心強く思ったことはなかった。
額の汗を拭きながら、エステルの父親は声をひそめて告げてくる。
「……ルシアン殿下に折り入ってご相談がございまして」
「一体どのようなことでしょうか」
ルシアンは微笑みを浮かべてはいるが、声色は固く刺々しい。それに気が付いているらしい父親は一瞬口を噤みかけたが、隣の母親から促されるようにして再度口を開く。
「家を出たエステルにはシャルリエ伯爵家の後ろ盾がありません。どうか、家に戻るように殿下から説得していただけないでしょうか」
(……!? お父様は何を仰っているの!?)
驚愕の相談にエステルは口をぽかんと開けた。自分で反論したいところだったが、驚きすぎて言葉にならない。
(だって……家に戻ったところで私はアイヴィーの引き立て役になるしかないわ。この前カフェを訪ねてきたアイヴィーの様子を見ていれば、お父様もお母様もあの子の言いなりになるとわかるもの。そうすれば、また同じ運命を辿るのに)
ルシアンには即刻断ってほしいところである。けれど、ルシアンがエステルとの婚約解消を嫌がっていることを考えると不安が滲む。伯爵令嬢でなくなったエステルは、王子殿下の婚約者でいられること自体がおかしいのだから。
青ざめて成り行きを見守るエステルの耳に、ぷっという馬鹿にしたような笑い声が届く。隣を見上げるとルシアンは笑っていた。
けれど、涼しげな青を帯びた瞳には、同時にこれ以上ないほどの怒りも湛えている。
「シャルリエ伯爵閣下は、この婚約を“エステルが伯爵家を後ろ盾に持つ聖女だからだ”とお思いなのでしたね。……これは実に愉快だ」
「し……しかし、実際にエステルが聖女になるからという理由で婚約を申し入れてくださったのではないですか」
何とかエステルの説得を頼みたいらしい父親が言葉を繋ぐ。けれど、確かにエステルにも腑に落ちない所がある。
(そういえば……たくさんの聖女を輩出しているシャルリエ伯爵家だけれど、王家に嫁いだ方はまだいないのよね。タイミングや王族の方との年齢差が原因なのかと思っていたけれど)
その答えはルシアンが知っていた。
「皆はそう言うな。しかし、私はそれを否定したことこそないが、肯定したこともない」
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本作の書籍化・コミカライズが決定しました!
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