第三章、優しさ
館での生活も早いもので、すでに一週間が経過していた。
「おはようございます。午前10時になりました、現在の死亡者数を発表します。」
最初はビクビクとしながら聞いていた、この放送も今となっては日常の一コマとなっている。
「現在の死亡者数は0名です、繰り返します。現在の死亡者数は──」
この定期連絡は午前10時と午後10時に必ず放送される。今日も相変わらず死亡者数はゼロらしい。
「……そりゃそうだよな。」
そもそも水で殺すなんていうルールに無理があったのだ。
今日は何を食べようかな?そう考えながら、ダンボールに入っていたリンゴを掴んだときだった。
「ん……?」
リンゴの中へ指が沈んでいく、嫌な感触が指から身体に伝わり、ブルブルと身震いをする。
「……傷んでる?」
裏返すとリンゴは茶色く変色していた。
よく見ると傷んでいるのはリンゴだけではなかった、ダンボールの中にはリンゴの他にもバナナなどの果物が入っていたが、ほとんどの物がグニャグニャと柔らかい状態になっていた。
「……。」
俺はエレナから言われたことを思い出した。
足の早い食べ物から先に食べないと傷んで──
「い……いや、まだ大丈夫だ。」
果物だって完全に食べれない訳ではない、傷んだ部分を切り取れば十分食べれる。
今日から食べるものを選んでいけば、なんとかなるはずだ。
必ず誰かが助けてくれる、そう信じて俺は特に状態の悪かった果物を全て平らげた。
──だか、そんな思いが通じるはずもなく、ついにその日は訪れた。
「……ぅぅ。」
食料が底をつきたのだ。
俺は激しく後悔した、1ヶ月分あった食料をたったの二週間で全て失ってしまった。
思えば無駄にした食料は果物だけではない、俺は館に来た最初の頃、好みの味でないパンを半分だけ食べて捨てたりもしていた。
「……エレナに分けてもらうか?」
いや、それは駄目だ。エレナは俺に注意をしてくれていた。それを俺が無視したから、こんなことになっているんだ。
エレナには頼れない、だからといって食料もない、もうどうにもならない状態だった。
「何でこんなことに……。」
そもそもな話、どうしてお父さんとお母さんは俺たちのを迎えに来てくれないんだ?
もとを辿れば全部、父さんと母さんが悪いんじゃないか、何で俺がこんな目に……。
俺の中で溜まりに溜まった物が涙となってブワッと溢れ出した。
しかし、どれだけ涙を流そうが現状は変わらないのだ。それでも俺はただひたすらに泣いていた、そんなときだった。
とある物が視界に入った。
「……水槽。」
部屋の中央に置かれた、今でも強烈な違和感を放つ物体。そこには今でもなみなみと水が入っている。
この館に来たとき、男に言われたことを思い出した。
──水槽内の水でなら、人を殺しても良い。
「水……か。」
空腹とストレスからか、俺の思考はあらぬ方向へと向かっていった。
──水槽内の水を洗濯機に移し替えるのはどうだろうか?
この館の洗面所には洗濯機が設置されている。そこに水槽の水を入れて、部屋の鍵でもなんでもいい、洗濯機の底に物を沈めておくのだ。
あとは誰かが通るのを待っていればいい、近くを通った相手に対して。
「洗濯機の中に物が落ちて拾えないんだ。」
こう言えば良い、そうすれば相手は必ず洗濯機の中を覗き込むはずだ、あとは後ろから頭を押さえて窒息死させれば水槽内の水を使って人を殺せるのではないか?最後に殺した相手の部屋から食べ物を盗めば──
「……っ!」
俺は自分が考えたことにゾッとした、人を殺して食べ物を盗む?そんなことしていいはずがない。
だが現実の問題として、食べる物がないのだ。やるしかないのか?
そんなことを考えていると、コンッ、コンッと誰かが部屋のドアをノックしてきた。
「誰だ……?」
まさか、俺のことを殺しに来たのか?
極限状態で被害妄想に拍車がかかる。
息を整えると、俺は勢いよくドアを開けた。
「……兄さん?」
ドアの前には、エレナが立っていた。
「顔が青ざめていますよ、汗も凄いですし、大丈夫ですか?」
「あ……いや。」
見知ったエレナを見たからだろうか?俺はようやく我に返った。
「……何か用か?俺に用事があって来たんだろ。」
「はい、そうなんです。」
エレナは手に持っていた袋からあるものを取り出した。
「最近兄さんに元気がないと思いまして、もしかしたら食べるものが無くなったのかと思ったんです。」
エレナが袋から取り出したもの、それはカップラーメンだった。
「私の分も持ってきたので、一緒に食べませんか?」
俺はエレナの言っていることが信じられなかった。
「何でだよ……。」
「え?」
「だって俺がエレナからの注意を無視したから、こんなことになってるんだぞ!こんなの俺の自業自得じゃないか!」
エレナはしばらく黙ったあと、ゆっくりと口を開いた。
「私はこの館に来たときに、もう家には帰れないことは確信していました。かと言って人を殺すなんて私にはできません。」
「ですからせめて、兄さんと一緒に最後まで楽しく暮らしたいんです。兄さんが悲しい顔をしていると私まで落ち込んでしますから。」
「……エレナ。」
俺は自分が情けなかった、先ほどとは違う温かい涙が頬を伝う。
エレナにお礼を言うと俺はカップラーメンを受け取り、二人で台所へ向かった。
その日食べたカップラーメンは今まで食べた、どんな食べ物よりも美味しく感じた。
──そして俺はこの日、固く誓ったのだ。エレナは必ず俺が助ける。
空っぽだった自分の中にポッと火を灯したような気がした。
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