第2話

お隣さんなんてしょっちゅう引っ越している。


湯島は、古くは奈良朝から官道がはしり人が住み温泉が出たとも伝えられる関東では珍しい江戸の中でも古い町なのだ。


なぜ、わが家がここにずっと居られるのかというと、これがお父さんの偉いところで全国で名の知れた国学者として本も売れているからだ。


だけど、それだけで家計はとても足りない。


だからといって、久保田藩のお殿さまがこころよく少なくない扶持を与えてくれるわけもなく、婿の縁故で備中松山藩のお世話になっていた。


篤胤は、正確には侍ではない。国学者というか浪人だ。学者というのは、お隣の湯島聖堂の昌平黌にいる林家のようなお方だ。


父は、秋田久保田城下に生まれ、大和田家の四男だった。二十歳の時、寛政七年(1795)に脱藩して故郷から江戸に出て三助、火消しなどをしつつ医学、地理学、国学などを学び苦学して二十八歳の時、備中松山藩士、山鹿流兵学者の平田藤兵衛篤隠の目に留まり養子にしてもらい運を開いた。


それなのに、、、


一度脱藩したものは二度と士身分には戻れないに近い。つまり、出仕できない。土木、測量、算術、医学などのよほどの才覚がない限りほかの国に藩士として雇ってはもらえないのだ。


それを、七年前、学問に専念したいからと松山藩まで辞めてきた。これには頭にきた。多少だが家計の足しになり多いに助かっていたからだ。


だから、すぐに私は婿をとった。


鐵胤は、版下屋、版木屋、製本屋への原稿の受け渡し、書肆回り、門人への応接、校正、下版、帳簿付けなど、実にまめまめしく想像以上にわが家のために働いてくれる。


わが家の家業は、気吹舎という篤胤の著作専門の書肆だ。


心の底から千枝は鐵胤を尊敬していた。


それに比べて、父は朝遅く起きたと思ったら夕方まで二度寝し、書斎に籠ったかと思うと原稿を書くでもなく版木を彫るでもなくぼやっとしている。一日じゅう家にいて二十日に一度でも外に出ればいい方だ。


毎日が休みのような勝手気ままなお方。


鐵胤は、今日も納期を守るため版下屋に打ち合わせに行っている。


今、暮六つ(十八時頃)だが、まだ外を回っていた。


鐵胤のおかげで、火の車だったわが家の家計は大幅に持ち直している。このままいけば越谷の油問屋の山崎家への莫大な借財もすべて返済できそうだった。


というのは、父は妻、織瀬死後、文政元年(1818)に越谷の裕福な油問屋の娘を後妻にもらったのだ。


千枝には継母にあたる。その時、もう十三歳だった。


微妙な年頃である。


そんな千枝を慮ってか、心底憎しと思ったかは知らねども、山崎家は新婚の篤胤を越谷に呼んで久伊豆神社の境内に住まわせ、千枝をひとりぼっちにさせた。


千枝は、九分九厘嫌がらせに違いない、と思っている。それを証拠に父が門人に金を貸してやったり、自分の本をどっさり買い込んでと相変わらず放漫な消費でこちらが金策に走らねばならなくなると決まって湯島天神から千枝ひとりを指名して山崎家にお金を借りにこさせたのだ。


しかも高い利子までつけて。ああ、思い出したくもない。


それも最近は、鐵胤が付き添ってくれる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る