つぼ天狗

花見川晴一

第1話

壺に入れてしまうのです。わが身が、手も足も。


なんてことはない小振りな青磁の壺でございます。


口縁に足をのせるとするりと壺の首に吸い込まれていくのでございます。


いや、佐島の蛸のごとくぬるぬると圧し潰されていくのではございません。


なんというか、眩暈が起きたかと思うと、きゅうきゅうと今の形がそのまま不思議に小さくなってしまうというか。


それでいて中は奥行きがあり充分明るく快適なのです。


長夜の夢なのではござりませぬ。


巻き込まれるのは渦中と言いますが、一切苦ではない。壺の首を潜る瞬間、あの雷電為右衛門の七尺五十貫といった大きさから、ほんの小さな賽子くらいにあっという間に。


あたかも幾十年の歳月を一気に赤子にと時を戻してしまうかのように。


あるいは本当に時が戻ってしまったのかもしれません。




平田千枝は、丸洗いして張手棒に干しておいた夫、鐵胤の着る豆柄茶の縮緬を膝元に置き、裁縫をしていた。


養弟、寅吉はさっさと夕餉を済ませると食器を洗い、まだ、茶の間で父、篤胤の相手をしていた。今日読んだ本のことなどをとくとくと語っているのだ。


十年前にはじめて平田家に寅吉が現れたときのことを思い出していた。


純新無垢でときに危なっかしい父に寅吉はデタラメもいいところの眉唾ものをまことしやかに語った。


父をだまくらかし籠絡し操っている。


父は亡き妻、織瀬がいないと何もできない。だから、一人娘の私が母の代わりなのだ。本当の弟は寅吉が現れる二年前に死んだ。


父は寅吉の話が本当だと信じていて本まで出版した。呆れたことに。


千枝は、篤胤の浮世離れした復古神道も世事にうとすぎるところも大嫌いであった。日常生活に支障がでるほど偏屈というか変わっている。風呂で身体を拭く手拭いと顔を拭く手拭いの区別もできない。


当時、寅吉に平田家を乗っ取られるのではないか、と思ったものだ。


当時からわが家は、湯島天神の男坂下に住んでいて、寅吉は、文政三年(1820)の十月頃、長崎屋という薬種商の山崎美成さんという人に連れてこられた。


その時には、偉い幕臣で右筆だという屋代弘賢さんもいた。父は翁、翁とかげで言っていた。屋代さんだけ随分、年嵩だった。二人とも寅吉を面白がっていた。


屋代さんの家は下谷の長者町(台東区上野界隈)で多分今もそこだろう。というのは、わが家の湯島天神界隈は出羽久保田藩士の多く住む武家屋敷で、どこの藩も同じだと思うけど藩士というのは出世に応じて石高、扶持が変わるもので住める家も頻繁に代わるらしい。


だから男は頑張るんだ。家族のために。

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