後悔

@ausedik

本編

 僕は、何も出来ない。


 今日もひたすらに真っ白な天井を見続けている。

座ることすら億劫でベッドの上で、毎日ずっと同じように横になっている自分をどこまでも惨めで情けなく思う。


 何故僕はこんなにも怠惰で無気力な人間になってしまったんだろうか。理由は数えたらキリが無いような気もするが、その中でも最もと言えるような出来事は前職での人間関係だろう。




 思えばあの頃は、何もかもがキラキラしていた。今のようにTwitterに1日中齧り付いて、同じような社会不適合者の呟きを見て安堵しようとすることもなく、インターネットの世界に時間を費やすくらいなら人と関わろうとしていた程だ。


 僕は元々外交的な人間だったというわけでは無い。本質的には内向的で、人と関わることはどちらかというと苦手だった。けれども前職で働いていたときには、自分の中にある"此れぞ人に好かれるであろう"という理想の人間に演じるように努めていた。進学や入社と言うのは人生のターニングポイントで、初めの印象がこれからの未来を大きく左右する。それ程に大切だからこそ、僕はこれ以上失敗しないように自分が思う理想の人間を演じたのだ。


 何故自分を偽ってまで理想の人間を演じようとしたのだろうか。それはきっと偽らないと僕の人生は何処までも寂しく虚しいものになってしまう予感がしていたからなのかもしれない。


 浴びる程に心理術の本を読んだ。また、知識として人に好かれる術を習得するだけではなく、就職前に沢山の人を実験台とすることで経験も僕は手に入れた。


 努力の結果もあり、僕は理想の自分になることが出来た。初めこそ演じる自分とそうでない自分の違和感に激しい抵抗感を感じていたが、それも時が経つにつれ、僕自身もまるで初めから明るくて快活な人間であったかのように思う程になっていた。


 友達もたくさん出来た。異性にも困らない毎日だった。会社でも上司から好かれていた。全てが上手くいっていた。本来は到達し得ない領域に僕はいるのだと感じていた。


 そんな幸せな日々も長くは続かずに終えることになる。ある日、上司から僕は部署異動を言い渡された。理由は、どうやら僕のことを好意的に思った別の上司による推薦のようなものだったらしい。確かに思い返せば、その上司にも他の人同様に好意を振り撒いていた気がする。しかし、その時の行動が今に繋がり、その上司の元で働かなくてはならないなんて想像すらしていなかった。正直に言って最悪だ。僕に工事現場の作業員なんて向いていない。今のまま、事務員として働けていればどれだけ良かったことだろうか。半端に工事に関わる国家資格を取得してしまっていたことも仇となってしまったのかもしれない。こんなことなら資格なんて取らなきゃ良かった。


 上手くいっていた日々の終わりが始まった。


 あまりにも僕には、現場作業員は向いていなかった。毎日早朝から深夜まで泥まみれになって働く日々。そんな中で僕は、理想の自分を保つことが危うくなっていった。上司や同僚の前で笑顔で居続けることが徐々に出来なくなり、ふとした時に陰鬱な自分に戻ってしまう。周りの人間は陽気な僕の姿こそが僕であると思っているから、僕が素に戻るたびに怪訝な表情をする。それがあまりにも堪らなく辛いから、苦しい中でも僕は理想の自分であり続けるようにできる限り努力した。


 もう身体も心もズタズタだった。そんな中で自分を偽って過ごすことはあまりにも辛かった。僕が理想の自分であり続けることが出来たのは、自分のいた場所が恵まれていたからであり、環境が変われば、メッキなど容易に剥がれてしまうものだということも感じた。


「大丈夫?無理してない?」


 そう声をかけてくれる同僚もいた。僕が辛そうにしているといつだって優しくしてくれた彼女。おそらく彼女も取り繕った偽りの僕が当たり前の姿だと感じていて、そうでない今の姿とのギャップに違和感を感じたからこそ、声をかけてくれたのだと思う。きっと元からこの根暗な性格が表に現れていたら、僕のような人間には声などかけなかったことだろう。


 他人から好かれるためにプレゼントを上げたり、定期的に自分から声をかけたり、出かけたりしていた甲斐があったのかもしれない。言うなれば、蒔いた種が花開いたとでも言えるか。


 本当の僕を知らないにせよ、寄り添ってくれるということは有り難かった。ただ話を聞いてくれるだけで少しでも気持ちが楽になるから、たとえ本当の僕を知らないとしてもそれは嬉しかった。


 彼女は、そっと僕の手を握ろうとしてくれた時もあった。あの時、その手を掴んでいれば、また違った未来があったのかもしれない。


 僕には、別に好きな女の子が職場にいた。自分と同じような目をした彼女が気になって仕方なかった。彼女となら共にこの陰鬱な気持ちを分かち合い、寄り添いながら生きていけると思っていた。


 今思えばそれも勝手な思い込みだったような気がする。そもそも僕は彼女に本当の自分を曝け出したことが無かった。僕の何も知らない彼女もまたその他大勢と同じく虚像の僕を好いていただけであり、僕の心に惹かれたわけではない。なら付き合った先で僕が自分らしく振る舞った時、どうなるかなんて言うまでもなく分かる。彼女もまた、ほかの者たちと同様に怪訝な表情をする。なら僕は彼女の何を見て、何を感じて、共に歩んでいけると思ったのだろうか。きっとあの時の僕は、何も見えていなかった。


 結論から言うと、僕は彼女と交際をした。けれども上手くいかずすぐに別れることになった。また僕に彼女が出来たことにより、今まで優しくしてくれていた同僚の、特に異性の多数は僕から離れていった。(僕が理想の自分を振る舞えなくなっていったことも影響していると思われる。)


 もう潮時だった。仕事を辞めようと思った。偽ることにも疲れたし今の環境も最悪だし、僕に寄り添ってくれる人ももういない。此処にいる意味なんて何もない。


「仕事、辞めようと思うんだ。」


 とある喫茶店で僕は、いつだって声をかけてくれていたあの異性の同僚にそう告げた。


 彼女も、僕が交際を始めてから距離を置くようになった内の一人であるが、それでも最初に告げるなら彼女だろうと僕は思っていた。だから会って伝えることにした。


「そうなんだ。○○ちゃん(当時僕が付き合っていた彼女)が仕事を辞めたこととも関係があるの?」


「いやそれは関係ない。彼女に影響されたとか別れたから居づらいとかそういうのが主な原因じゃない。ただ無理をするのが疲れたんだ。」


「無理?」


「ああ。僕は皆が思うような明るくて陽気で頼りがいのある人間じゃあない。本当はどこまでも自分が大嫌いで自信がなくて根暗で救い難い人間なんだ。人と話すのだって本当は嫌いだ。出来ることなら一人でいたい。」


「私は知ってたよ、君が本当は明るい人じゃないこと。」


「知ってたのか。」


「うん。けど私は君に無理しなくていいとは言えなかった。君が明るく振る舞ってくれたお陰で会社に溶け込むことが出来た人たちも沢山いたから。君は自分のためにキャラクターを演じていたと言うかもしれないけれども、きっとそうあろうとした決意の先には、他の人たちにも幸せになってほしいという優しさが君の中にあったんだと思う。」


 僕は、彼女もその他大勢と同じ僕を理解できない人間だと、また僕の表面上の姿をみて興味を示しているだけで何も分かっちゃいないと思っていた。けれども彼女は僕のことを十分すぎるほどに理解していた。


「そう言ってくれるのは嬉しい。君には全てお見通しだったのかもしれない。だったら...。」


 この先の言葉は言ってはいけない。口にすることで全てが確定してしまう。自分が如何に愚かだったかを感じる羽目になってしまう。それでも次に放たれる言葉を僕は止めることが出来なかった。


「何故君は僕を救ってくれなかったんだ。」


そう僕が発すると彼女は静かに呟いた。


「君には、愛する人がいたから。」


 思えば僕の人生は二択を外してばかりだったような気がする。正解へ続く道は、キラキラと光り輝いていて、誰もが迷わずにその道へ向かってゆくのに、僕はもう一つの間違いだと分かりきった不正解の道へと進んでしまう。不正解の道の先で泣いている子供の声が聞こえてくるのだ。その子供が心配になって、僕はついそっちに向かってしまう。子供はよく見ると僕の幼い頃にそっくりの姿をしていた。「もう大丈夫だよ。」と優しく声をかけると次第に大人しくなり、子供は涙を流さないようになっていった。


『あの頃の僕は誰かに抱きしめられたかったのかもしれない。』


 僕は、子供と手を繋ぎ、道のその先へと歩いてゆく、歩んでゆくしかないのだ。後ろを振り返らずとも分かる、引き返す道は既にないと言うことは。


「今の僕には愛する人はいない。だからもう一度僕を救ってくれないか。」


 なんて都合の良いことが言えるはずもない。それにもう全ては遅いのだ。あの日のあの瞬間に手を取らねばならなかった。彼女の目を見れば分かる。あの時の優しい眼差しは此処には無い。


 彼女は、静かに呟いた後、僕が辞めることに対しては、肯定も否定もせずに、ただただ僕の話を聞いていた。あの頃とは全く異なり、何の熱も興味もそこにはなく、「最後だからとりあえず聞いておくか。」とでもいうような態度に僕は感じた。


 こうなることは分かっていた。けれども僕は期待していたんだ、君が傷ついた僕に寄り添ってくれることを。




 僕はどこまでも過去のことばかりを振り返ってしまう。そんなことばかり考えていても碌な答えも見つからないと言うのに。


 いい加減に前を向いて歩き出せ、そろそろ再就職の準備だってするべきだと自分自身でも思う。


 そんなことは分かっている。


 沢山傷ついて、何もかもが嫌になったから人と関わりたくないんだ。出来ることなら今みたいに虫のように家に引きこもって生きていたい。


 けれどもずっとこのままなら、もう一度彼女のような人と出会うこともないのか。


 それは嫌だ。


 やっぱり僕は誰かに必要とされたいし、理解されたい。


 本当の自分とか理想の自分とか、正解がどうとか失敗がどうとか、そんなことを考えずに、ただあるがままに生きてみるのもいいような気がしてきた。


 そうすれば僕は幸せになれるのかな。

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