010 顔

 一人暮らしを始めた頃。新居に移り住んだといっても築何十年か経っているアパートなので、かなりぼろかった。ただ、家賃が安かったので、私のほかにも住人がいた。その天井には、経年によるものか木の特性によるものか、模様がいくつか存在していた。

 かつて天の星を見上げた人々が星座を語り継いだように、おそらく人間には空想するということがどうやら遺伝子に刻み込まれているようで、私もその模様を見て、これは犬の顔だろうか、あれは兎の飛ぶさまだなどと、瞼の重くなるまで天井を眺めて空想に浸っていた。

 時々、模様が動くことがあった。といっても、よくよく見てみるとそれは虫であることが多く、動く模様を見ては殺虫剤でこれを仕留めていた。もちろん、気のせいや見間違いということもあり、目の錯覚というのも怖いものだと思った。

 ある晩、不可解なことがあった。模様の移動などには慣れていたのだが、模様が大きくなったり小さくなったりした。変に思い電気をつけてみたが、何か虫などが飛んでいるということもなく、天井にもおかしな点はなく、見間違いかと思って私は再び眠りについた。

 翌日にもまた、模様の拡大や縮小があった。移動などもあったが、やはりそれ以上に、拡大や縮小が起こるのはおかしな出来事であると思った。おかしいと思いながらも、何をすればいいのか、本当に目の錯覚ではないのかわからないので、布団を頭までかぶって眠ることにした。

 そんな日が続き、私は天井の模様が変化していると感じるようになった。ただし、確証はなかった。模様が移動し、拡大し、縮小し、日に日に人の顔に近づいているように見えてきた。元来、人間は三点の集合を人の顔と認識する機能を有しているのだが、その偏見を抜きにしてもやはり、人の顔のように見える。目や口、鼻までも一度そのように見えてしまえば見えてくる。さらに数日経つ頃にはすっかり顔に見えてしまっていた。

 その顔は夜毎に何かを話そうとしているように見えた。とはいえ、模様でしかないので発声することはかなわないようだった。このころの私はというと、寝ぼけ眼でぼんやりと天井を眺めているので目がおかしくなっているのか、あるいはその薄眼を開けながら夢を見ているのだと結論していた。

 ある日、私がアパートに戻ってくると、警察が来ていた。彼らは私の上の部屋で何かしており、私が部屋に入ろうとすると声をかけてきた。どうやら私の上に住んでいた住人が死んだらしい。知っていることはないかと聞かれたものの、引っ越しの挨拶に伺ったきりその後やり取りはなかったと記憶しているが、どんな顔をしているのかも覚えていなかったのでその旨を伝えたところ、写真を見せられた。私は努めて冷静に、やはりよく知らないとの旨を伝え、部屋に戻った。

 写真の顔はもう天井になかった。

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