006 驟雨
私の彼女は雨女だった。ここで「だった」というのは彼女はもうすでにこの世にいないからだ。向こうに雨という概念があるのかどうかは行ってみるまでわからないが、もしあるならば向こうでも雨女をやっているんじゃないかと思う。
彼女の雨女としての力は絶大で、運動会が三年連続順延した時は笑うしかなかった。それ以外でも結構な頻度で雨だった気がする。彼女のことを雨女であることを意識すると、より雨が多いようにも感じられた。今思い出しても、きっと勘違いではないのではないかと思う。
そんな彼女は五年前に死んだ。横断歩道を歩いているときに車にはねられた。忘れもしない、六月の末のことだった。彼女の両親とも仲良くしてもらっていたので、彼女の母親から連絡が着てすぐに彼女に連絡を取ろうとメッセージを送り続けていた。何かの間違いで、既読がついて、明日からもいつも通りの生活が続く、そう思っていた。結局メッセージの既読はつかず、擦り傷だらけの彼女を目の前にしてもなお夢であることを願った。結果、夢ではなく、雨の中を歩く彼女に再び出会うことはなかった。
深く、いつまでも癒えないだろうと思っていた悲しみも、時間とともに癒えていくものなのだということをこの時知った。特に、彼女の両親からも、新しい人生を歩むように幾度と言われたため、私は前を向くことができ、何度か新しく恋人を作ろうとした。でも、どのデートの日でも、必ず雨が降った。晴の予報であっても、いつの間にかざあっとにわか雨が降ることになっていた。
このことを意識し始めてから、私はやはり新しい恋人を作ることをやめた。デートの時に雨が降る度、彼女のことを思い出してしまったからだ。どうにも上の空になってしまい、目の前の相手に集中できなくなった。結局、相手から振られるか自分から振ってしまうかで、どれも二月と持たなかった。
今でも雨が降る度に思い出す。雨が降る度に優しくて懐かしくて、悔しい気持ちがこみ上げる。彼女のにおい、彼女の温度──しかし、いくらイメージしても、想像の中の彼女は高校の制服を着たままで、私は彼女を置いて年だけ取って行って。私の時間だけが進んでいく。二年前に受けたがんの告知が私の希望だった。診断を受けてからずっと病院をすっぽかし続けていた。
半年ほど前。私が部屋で寝ていると、窓の割れる音ののちに雨が降りこんできた。そもそもその日は雨の予報などなく、晴れの予報であった。しかし、予報とはずれて雨になること自体はすでに慣れていたので驚きもしない。ただ、雨の日に窓ガラスが割れるのは初めてだった。割れたガラスと開いた窓の処置をしながら、割れた窓ガラスについて思いだす。彼女とケンカして、彼女が窓ガラスを割ってしまったことがあった。今回割れたガラスも、ちょうど彼女が割ったそれと同じ位置だった。
彼女とケンカしたのは指折り数えて片手で収まる程度だった。特に、彼女は私が危ないことをすると怒った。そういえば、窓ガラスが割れたときのケンカは、私がバイクでスピードを出しすぎて、結果こけて全身を擦りむいた後だったはずだ。退院してから手が付けられないほどに起こっていた。ただでさえ彼女のほうが年下なのだから、私のほうが早く死ぬのかもしれないのだから、せめて命を大切に長生きしろと。そう怒っていた気がする。ふたを開けてみれば、彼女のほうが先に死んでしまったわけだが。
それからも何度か雨とともに窓ガラスが割れたり、布団が濡れていたりと、そんな現象が続いた。しばらく続いて、この現象は彼女が私に起こっているのではないかと考えた。おそらくは、彼女は私の希死念慮を知り、怒っているのだと。そう思った私は病院に通院することにした。幸い、放置した割には取り返しのつかないほどに進行していたわけではなく、今後生きることに支障は出るものの治療することができるらしく、私は生きることを選択した。
それでも、窓ガラスが割れたり、布団や床や畳が知らない間に濡れてしまっている現象が収まることはなかった。じめじめした布団の中で這いまわる手が最近気持ち悪い。
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