005 人間

 人間とは考える葦である、と宣った学者がいるという。すなわち、人間である条件として自ら考えることが重要であるということであろう。暴論ではあるが、考えることをやめた時点で人間ではないということもできるだろうか。

 では、考える個体であればすべて人間なのであろうか。考えているように見えれば、それは人間として受け入れられるのだろうか。

 少し前、私には友人がいた。それも幽霊の友人だった。それゆえに彼は私以外の誰の目にも見えず、私としか話すことができなかった。当時私は研究に追われていたが、それでも成果がうまく出せずに苦戦していた。その愚痴をたびたび彼に話していた。そのたびに彼は、話を聞いてうなずくだけであったり、あるいは彼自身の意見を述べてくれたりした。その意見にはうなずけるものもあったし、別の観点から否定できるものもあった。ただ、彼なりに考えて意見をくれていたように見えた。

 それゆえに、私は彼を対等であると思っていたし、人間であると認めていた。ただ、彼の話をほかの人にしようものなら、ある人は奇異の目で私を見、またある人は除霊を勧めてくる場合もあった。彼のことを認めてくれる人はおらず、私はだんだん彼の話題を持ち出すことはなくなっていった。彼は自ら考え、私に対して意見をくれていた。そんな彼に対する否定的な意見を聞きたくはなかった。

 私は彼を気に入っていたが、彼を人に紹介したい気持ちとは裏腹に何もできなくなっていた。もう考えが浮かばなかった。もう手の打ちようがない、そう思った。この件に関して私は考えることをやめた。彼は私とだけ友人であればいい。そうすれば丸く収まる。

 こうして私は彼の話を一切しなくなった。気が付けば、彼とも話をしなくなっていた。彼は私に愛想を尽かしたのだろうか。どこにも見当たらなくなっていた。これが彼との別れに気づいた時だった。友を失ったにもかかわらず、私は得も言えぬ高揚感に包まれていた。もう彼について悩むことはない、という解放感ともいえるかもしれない。厄介な友人だったのだ。私はそう結論付けて彼のことを忘れた。

 私は君たちに一つだけ嘘をついている。私は彼であり、彼は私だ。この体の持ち主は考えることをやめたので人間としての資格を失い、私に順番が回ってきたのだ。

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