2 それは<愛>らしい彼女

 それは壁に開いた小さな穴だった。

 小指の先ほどもない、狭い穴は部屋の壁を貫通していた。

 私は吸い込まれるようにして、その穴を覗き込んだ。

 うねる青い【背骨】がみえた。

 青く発光するファイバーと、チタンのボルト。【ピアス】だ。端子で睦み合う二本の【ピアス】。

 素っ裸の艶めかしい背骨の曲線が、二重の螺旋で絡み合う。

 一方の【背骨】から伸びた青白い端子がもう一方に噛みついて、自我の内領域を繋ぎ合わせる。

 私にはない、拡張された【背骨】。シルバーの【ピアス】。青白い自我の延伸。

 見つめた。見惚れた。息を呑む幻想的な、電気的な刺激と内宇宙の睦み合い。

 雑音を忘れた。

 絡み合っていたのはふたりの女子。どちらも見知った顔だった。【背骨】から端子を挿入している天使慈羽あまつかじう。端子を受けているは、普段すまし顔で授業を受ける生徒会書記の絵葉西湖えばさいこだ。長い黒髪を振り乱して、普段の辛気臭い顔からは想像もできない声を上げる絵葉の姿。

「おッヅぅ……ほぉ、あおぉ」

 人間の理性を引き剥されて、知性を失った獣に堕とされた。鼻血を垂れ流して、白目を剥いて、指先をけいれんさせる。それは動画の画面ごしにみるセックスよりも激しく、月9の恋愛よりも深く繋がり合わせる。舌をねちっこく絡ませるディープキスみたく、呼吸も忘れて繋がる【背骨】と【背骨】。

 青く光る快楽の根。溶けあう自我と自我。

 新世界の咬合に私は魅入られた。

 没頭だ。生まれて初めて、我を忘れて集中した。

 【背骨】の青い抱擁がどちらともなく終わりを告げる。絵葉は蕩けた顔で崩れ落ちる。慈羽は端子を【背骨】にしまい込み、ねっとりと唇を舐めた。

 これが天使慈羽を意識した、はじめてだった。


 電子外脊柱。通称、【ピアス】。耳や鼻に穴をあけて付けるアクセサリーと同じ名前の最新のガジェット。

 うちの学校は公立校だから装着は原則禁止されている。装着手術にかかる費用は学生には贅沢だし、教育委員会的には身体の魔改造は成長期に悪影響を及ぼすだとか、云々。そういった保守的な反対意見の大半はいかにも『学校らしい』意見だが、一番の理由は電子外脊柱のもつ機能に由来する。

 電子外脊柱は人間と電子機器をシームレスに連結し、感覚的な操作を可能にした。つまり、古臭いコントローラーやキーボード、リモコンを使うことなく、電子機器を手足のように使うことができるようになった。

 明らかに見えた時代の転換点に、幼い子供にも電子外脊柱を移植する親は多かった。それがここ約十数年のトレンドだ。私たちのほとんどは子供時代から【ピアス】を装着しているサイバーネイティブ世代なのだ。

 2020年代に進んだ学校教育の電子化。大枚はたいて電子黒板だの、タブレットだの導入してしまったことが仇となった。馬鹿げたことにそれらのデバイスは、学校の情報管理サーバーと繋がっているのだ。内心評価や定期テストの問題、生徒の健康診断結果や住所、連絡先から個人番号まで、学校のネットから隔離されたクローズドなサーバーで管理されるはずの重要機密。

 生徒は当然のように【ピアス】から端子を伸ばしクラッキングを敢行した。今の親世代、教師世代がいかにデジタルネイティブ世代とはいえ、サイバーネイティブの子供たちに敵うはずもなく。ネットに流れる噂では、某国でもっとも優秀な諜報員は電子外脊柱をもつ10歳の子供だという。

 そんなわけで馬鹿々々しい話だが技術は堂々巡る。テストはペーパー筆記試験になり、個人情報は紙に記され金庫に閉じ込められた。個人番号は紙に印字され、健康保険証はカードに戻った。

 【ピアス】の禁止は有名無実で、ほとんどの生徒が【ピアス】を装着している。私のママのような『自然派』の考え方を信奉する両親でもいない限り。私の家はそういう意味ではごく少数派だろう。

 子供のころから私が持たされていたのは旧式のスマートフォンだった。持ち物の違いが私の劣等感を刺激したのは言うまでもないことだ。しかし、私が【ピアス】を欲する理由はそれだけじゃない。

 電子外脊柱のもうひとつの重要な機能。端子を通じて直接脳機能を編集できること。記憶の整理や脳機能の補助。元々は身体の麻痺やアルツハイマー、脳の損傷を治療するために発展した技術だと聞いている。

 脳科学の専門知識を必要とするため素人には難しいが、これを使えば私の抱える問題は解決できるはずなのだ。【ピアス】を導入すれば、過敏な五感を抑制したり、散漫な意識から不要な思考を排除するようにカスタマイズできる。そういう希望も秘めていた。

 女子高生のスカートからはしたなく揺れる銀色の尻尾。授業中に、青白い発光ダイオードの光が『お漏らし』されていることも珍しくない。

 【背骨】から肋骨を模して広がる十二本の翼端子。うなじの後ろから腰椎の辺りまで尻尾のように伸ばされる一本の尾端子。それらを目にする度に疑問に思ったこともある。なぜ、有線通信なのだろうか、と。

 電子外脊柱には無線通信する方法がない。いかに感覚的に電子機器を操作できるといっても、端子を繋がなければ意味がない。有線でコードを伸ばしてコンソールに繋ぐ様は、子供心に奇妙に映ったものだ。しかし、あの光景をみた今では、無線通信が備え付けられていない意味がよく理解できる。

 それすなわち、天使慈羽の悪行だ。

 電子外脊柱には特別厳重に禁止されている使い方がある。

 端子を他人の電子外脊柱と繋ぐことだ。

 人間が半電脳化した結果、人間の脳も電子機器のひとつになり、クラッキングの対象となったのだ。無線通信ができないのは、無差別なクラッキング・テロルから自我を守るためにある。

 天使慈羽が絵葉西湖におこなってみせた、電脳的な交わりは脳同士を直接つなぐことに他ならない。

 脳直の性交ともいえる電脳接続は、五感を通して事物に触れることとは比べ物にならない。他人の自我が無防備な自分に殴りかかって来るのだ。言葉や態度で逃げることはできない。物理的に逃走することも叶わない。電脳咬合に他人を拒絶する術はない。すでに一部では電子外脊柱の危険使用による廃人化も問題視されはじめていた。

 当然、彼女らの行為は危険以前に違法なものだ。識別で言えば電子外脊柱同士の接合は、キスやペッティングと同列とされている。つまり、性交に次ぐ準性行為に分類される。恋愛資格のない者が行うのは違法行為だ。

 逐一取り締まりしていてはキリがない類いの法律違反で、ひと昔前でいう不良の未成年喫煙や飲酒のような扱いだった。暗に、脱法性交などと呼ばれることもあった。程度の差はあれ、後ろめたく規範を逸脱した犯行であることは間違いない。

 私は彼女らの秘密の行為に夢中になった。

 穴から覗いた世界は他になにもみえないほど狭く、吸い込まれるように私の思考も収斂していった。

 方々に散乱していた私の意識が、穴を通して一点に焦点が定まっていく。

 私が偶然迷い込んだと思っていた覗き穴の部屋は、校舎のなかでも特にひと気のない特別棟の端にある女子トイレの用具入れだった。雑音のなかで無意識に情報を拾っていたのだろう。私は自分の意志でこの場所に辿り着いたのだ。

 女子トイレの個室でむつみ合う自我と自我。天使慈羽の相手は日ごとに違っていた。絵葉を見かけるのは週に一度ほどで、ほかの曜日には別のクラスの女子であったり、三年や一年の学年の違う女子であったりした。

「あ~あ、ぅあ゛~」

 どんなに澄ました顔の女も、気弱な小動物のような女も、行為のあとは例外なく頭をバカにされていた。脳をかき混ぜられ、自我を蕩けさせられる。火遊びにしては危険すぎる行為。慈羽は手加減を心得ているらしく、完全に廃人にされた子はひとりもいない。失禁したり、涎を垂らして喋れなくなったりはするけれど、十分もすれば我に返り羞恥で顔を真っ赤にする。

 穴から覗く時間だけが私に安らぎを与えた。

 興奮と没入感が雑音を遠ざけてくれた。

 あの一言を聞くまでは。


「すっごく<愛>されてるってカンジ」

 あるとき、例の場所から出てきた子が放った言葉をうっかり聞いてしまった。

 聞かなければよかった。私は再び集中力を欠きはじめた。刺激が強いというだけでは意識を縛り付けられず、頭の中に自分の思考がちらつき没頭から遠ざかる。

 あの行為が愛だって?

 私にはただ一点。それだけが気に入らなかった。

 どう考えても彼女らの行為は本当の愛とはかけ離れていたからだ。

 真の愛情とか、正しい愛の在り方とか。ママの背をみて育ったからだろうか。遊び感覚で禁忌を侵す彼女らが気に入らなかったのだ。生半可な気持ちよさが許せなくなったのだ。

 彼女たちの行為は、高い所からジャンプする快感と似ている。スリルを味わいたい。日常から一歩踏み出したい。非現実の体験を、手近なタブーを踏み越えることで簡単に味わおうとしているだけ。

 容易に手に入って、飛び越えやすく、スリルも快楽も兼ね備えている。それは体に穴をあけて【ピアス】を埋め込む行為であり、女同士の睦み合いであり、規則違反の脳直セックスである。そこには愛なんてない。快楽の後付けでやってくる言い訳みたいな嘘語りピロートークだ。安っぽい廉価版の、型で造られた、ドラマや映画から借りてきた、どこかの誰かの体験談のトレースだ。

 愛の分別が付きもしないくせに、<愛>されているだって?

 いい加減なことを言うな。

 気付かされてしまったのだ。彼女たちにとっては、禁忌も恋愛も、おままごとの延長なのだと。

 まるで私のママみたいではないか。

 お金持ちの実家と、金目当てのパパに囲まれて、お遊びの慈善活動を許されている。裕福で余裕があるから、自由奔放な振る舞いが許されている。<愛>のある子育てごっこ。<愛>のあふれる家庭ごっこ。<愛>を振りまく慈善家ごっこ。

 私は認めない。ママの与える<愛>も、彼女たちのおもちゃな<愛>も。

 気持ちが悪くてしょうがない。

 意識してしまったら、まともに立っていることもできなかった。逆戻りだ。

 いろんなものを吐き出した。トイレを流すときみたいだ。

 音と光と記憶とトイレの床と便座が、水流で混ぜ合わさって、ぐるぐるまわりながら吸い込まれていく。脳が鼻から溶け出して、青っ洟といっしょに垂れる、黄緑に腐った脳みそと膿がヘドロ状になって、べたべた、どろどろの。

 うるさい。きもちわるい。きしょくわるい。

 私から吐き出されたものすべてが吸い込まれたトイレの穴。

「あなたは、秋名生奈子あきなきなこさん」

 穴の先には、吸い込まれた穴は。瞳孔の開き切った天使慈羽がいた。

 後光で紡がれたような金糸の長髪が体を撫でる。

 気付けば私は、トイレの床で、彼女に抱きかかえられて横たわっていた。

「私に興味ある? それとも、こっち?」

 彼女は背中の【ピアス】を視線で示した。

 このときの私は混濁した意識のなかで、唯一はっきりとした怒りを覚えていた。錯乱していたし、自制なんかもすっ飛んでいた。拳を振るえる状態だったなら殴りかかっていたかもしれない。

 もう雑音には、偽物の<愛>にはうんざりだった。

 私を苛むだけの他人なんか消えて欲しかった。

「偽物ばっかりだ……本物の<愛>なんて、どこにもないっ」

 私は知らず、金切り声で叫んでいた。苦しみから絞り出された叫びだった。

「消えろ。みんな、消えてくれよっ」

「そう……あなたも本物を探しているんだね」

 彼女は綺麗な顔の薄い唇を歪ませた。彼女の外見は整形コーディネートされていない、すっぴんナチュラルなのだと、誰かが噂していたのを思い出した。まさに、愛されるために生まれてきた女だった。

「一緒に探そう。本物の、正しい愛を」

 彼女が取り出したのは政府公認の恋愛免許証。国家恋愛者資格Ⅰ類の資格だ。恋人同士の恋愛条件までを網羅した、すべてを愛することができる国家による許可証。

 それを破り捨てた。

 恐ろしい笑みだった。侵すことのできない、完全調律の美しい微笑み。

「怪物狩りだ」

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