1 <愛>してるよ、ママ

 人の穴は醜い。

 穴というのはなにかを吐き出す為のものだから。毛穴からは皮脂が湧き出る。鼻孔からは鼻水、鼻くそ。尻からは糞がひねり出される。女の穴からでてくる赤子も、成長して人になると考えるとそれだけで汚く思える。穴ではなく人が根本的に醜いのかもしれない。そんなものを愛の結晶だなんて言っちゃってる時点でお笑いだ。つまり、穴は私たちの汚さを集約したものだ。

 穴のなかでも一等醜く、汚く、嫌いなもの。

「<愛>してるわ、きなちゃん」

 口だ。

 人の口は臭い。進化と共に身に着けた言語は、人類史上最低最悪の醜さをもっている。

 ママは政府から<愛>を認可された数少ない人間だ。国家恋愛者資格Ⅱ類を所持している。Ⅱ類とは母親としての愛情を授与する正当性を保証している。母親としてのママの<愛>は絶対で、世間的にみても、法律的にみても正しい。

 資格もなしに、無責任な脱法恋愛を経て、これまた違法な愛情の所持でもって子育てをする母親が増え続けるなか、ママは政府の定める恋愛倫理綱領に則った、どこまでも正しい<愛>で私を産み、育てる。それが幸せなことだと信じているからだ。誰かによって定められた、正しい愛情が、正しい娘を育てると。

 ママは私の頬に唇を押し付けて、毎日毎日、飽きもせずに<愛>を囁き与える。私を<愛>しているのだと、その臭い口から吐き出し続ける。

「私も、<愛>してるよ。ママ」

 そして、私も真似して<愛>を返す。私の口から転がり出た<愛>も、相当臭い。胡散臭くて鼻が曲がる。事実、私の鼻は曲がっているのだけど。生まれた時から骨が曲がっていたのだ。左向きに。おかげで顔のバランスも崩れているし、常に鼻が詰まって風邪をひいたみたいな声だし、空気の通りが悪くてよく口が空いていて、気をつけないと間抜け面になる。

 はっきり言って、私はブサイクだった。ナルシストぶって、精一杯贔屓目にみても、クラスの女子で下から三番目ぐらいだ。

 そう思っていたら、サマーバカンスの間に、下から一番目と二番目の子が整形して、【ピアス】まで開けてきた。顔どころか、体型に、性格に、思考まで整頓してきたものだから、私は下から一番になった。

 こういう話をすると過剰に反応する連中がいる。人間の価値がどうの、内面的美しさがどうの、神様からの授かりものが、整形のまがい物が、ルッキズムが、社会の悪癖が、自分らしさが、あーだこうだ、どうのこうの。私に言わせれば馬鹿丸出しだ。余裕がある奴の言うことだ。

 私が私を受け入れるために、私自身を変化させることがなぜいけないのか。手段があるのに、利用することが悪みたいな。私たちは社会に生きているんだから、社会的な価値観に合わせることのなにが問題なのか。自分以外の人間がいないとでもいうのだろうか。骨を削ったぐらいで、自分が自分でなくなることはありえないのに。それともあいつらは視覚的な美しさが嫌いなのだろうか。それって僻みじゃんか。

 自己肯定。私の嫌いなことばだった。

 そういう奴らは脳みそが幸せなのだ。

 私のママが特に、そういう女だった。

「ママはあなたを<愛>しているのよ」

 これがママの口癖だった。

 ママは一体、私の何を<愛>しているのか。

 厚生労働省、文部科学省の共同作成の恋愛倫理綱領によると、

【母親の愛は自身の子供に対して無条件かつ恒久的に保持され、その愛情倫理において定めるところの正しき愛を実行するもの】

 とある。

 つまりママは、私がママの子供であるという事実を根拠に私を<愛>している。私の外見が好みだからでも、可愛らしい性格をしているからでも、能力的に優秀な子供だからでもない。私が私だからではない。

 私はママの子供である。その一点がママの<愛>を愛たらしめている。

 私のママはお馬鹿で幸せ者だから、私を<愛>してくれる。自分の子がどのような存在でも<愛>するのが当たり前だと思いこんでいる。ママは子供を<愛>することを愛している。きっと、生まれたのが私じゃなくても<愛>しただろう。

 別に誰だっていいのだ。おままごとのお人形なんだから。

 そんなママは体を弄るという行為に恐ろしいほど拒絶反応を示す。

「生まれて持った自分をどうして誇れないの? 神様からの贈り物よ! ママがお腹を痛めて産んだ、パパとの<愛>の結晶なのッ! どうしてそんな酷いことが平気で言えるの? 体を変えるなんておかしなことよ、変わらなければいけないのはあなたの心だわ!」

 私は知っている。パパはママのパパ、つまりおじいちゃんの会社の役員で、地位と財産とコネクションが目的で結婚したのだ。ママは恋人同士の愛や夫婦の愛の正しさについてはよくわかっていないらしい。いや、むしろ、痛いほどわかっているからなのか。パパは私を邪険にしない程度に無関心だ。子育てについては、資格持ちのママが適任だと、すべてを押し付けている。

 私は体外受精で産まれた、処女の子だ。

 ママはセックスが気持ちいいことが嫌いだ。

 <愛>は気持ちよさとセックス抜きで語られなければいけないらしい。

 女の美しさと、性と、気持ちよさは、決して結びつかないものだと考えている。

 ママはメイクをしない。腋毛も剃らない。ノーブラだし、ベジタリアンだし、水をやたら飲むし、自然派で、無添加で、農薬反対で、捕鯨反対で、環境保護論者で、ソーラーパネル推進派で、ゲーム廃絶論者で、AI恐怖症で、反逆的シンギュラリティもフリーメイソンも信じていて、井戸掘りと寄付と学校を立てることが好きな慈善家で、男をしらない。そのうち化学肥料や手術や医薬品を否定し始めるかもしれない。

 美しくなる技術があるのに、それを真っ向から否定してくる。整形だけじゃない。私が代わろうと努力することを、メイクを勉強したり、ダイエットしたり、眉毛を抜くのにも発狂する。

 私を先端技術で産んだくせに、私が体に手を入れることを嫌がるだなんて矛盾している。一度そのことを指摘したら、ヒステリーで一週間は発狂していた。とうとう、ママの子なのにどうしてこんなに醜いの、だなんて本音が飛び出した時には失笑してしまった。

 所詮、ママのいう正しくて高尚な<愛>はその程度なのだ。

 これが<愛>の正体だ。

 醜く、臭く、汚い。穴ぼこだらけの正しさに守られた、ちっぽけな自己満足だ。そういった意味で、ママはママ自身のことをすごく愛している。それだけは確信をもって、はっきりと断言できる。ママは私よりも、ママの<愛>の方をずっと大切に愛している。

 おかげさまで、私は今現在、絶賛大変困っている。

 多感な思春期真っ盛りを、自分のブサイクな容姿と真正面から向き合って生きていかねばならないからだ。控えめに言って、地獄だ。地獄の刑罰に針の筵なんてあったかしら。剣山を登る刑はあったかもしれない。

 毎日毎日晒される。視線と陰口と見下しと。

 当たり前だ。だって、みんなかっこよくて綺麗な流行りの身体に手を入れているのだから。そういう時代で、そういうトレンドなのだから。乗り遅れたで、の、だっさい子なんか馬鹿にされるに決まっている。

 比べないなんて無理だ。そんなの周囲と自分を切り離した非社会性動物の所業で、人間の習性からかけ離れている。それに他人と隔絶しても自己を保持できるほど強固なアイデンティティも持ち合わせがない。所詮は集団に依存しなければ生きていけない、一介のちっぽけな女子高生に過ぎないのだから。

 思春期の反逆には現実味がない。だから、ただの反抗的シーズンで済むのだ。

 どれだけママの<愛>に辟易していようと、ママから離れて生きていくことは不可能だし、クラスメイトたちが私に向ける視線がどれほど不愉快で軽蔑に満ちていても、学校コミュニティから離脱して生きていく強さはない。ママと学校は密接な相関関係を保っていて、私が登校拒否なんてするとママが発狂するのだ。

 愛情を零す出来損ないのザルだとか(猿かもしれない)、体外受精の際に手違いで取り違えられた別人の子チェンジリングだ、といったヒステリーの数々に晒される。

 私がママから離脱して生きていくためには、まっとうに社会と順応できるという証である高校までの健全な卒業証書がどうしたって必要になる。容姿はともかく、社会性はありますよとアピールするだけの材料がなければ、外では生きていけない。

 社会から逃げたくとも、生活そのものが社会に依存しているのだから、逃げようがない。

 私は<愛>と生活に挟まれて、少しずつ摩耗して、おかしくなっていった。

 私は私と折り合いがつけられずに、ひどく苦労するようになった。

 12歳を過ぎたあたりだろうか。私はあることに悩まされ続けていた。原因は些細なことで、髪がはねているだとか、眉が整わないだとか、そんなことだった気がする。元々集中力がないとはよく言われていたが、思春期になってさらに容姿が気になりだすと、集中力の欠如は『何かが気になる』という形で悪化した。

 何かひとつでも気になることがあると、執着してしまい、ほかの事が手につかなくなる。

 中学時代のテストが特に顕著だった。解けない問題にぶつかると、区切りを付けて先に進むということが出来なくなる。思い出せるはずもないことを必死に考え、解けるはずないのに問題用紙をぐちゃぐちゃにして考え続ける。仮に先に進めたとしても、解けなかった問題のことを考えて、問題文すら読み込めない。リスニングは最悪だった。ひとつ聞き取れない単語があると、それをなんだったかと考えてしまい、残りも聞きのがす。最悪のループ。

 気になる。

 ひとつ気になると、あらゆることが気になる。

 だんだんと細かくなって、他人の視線、忘れ物、服のしわ、机の傷、揃っていない文字列。一番ひどいときは、テスト用紙に書いた自分の名前のゆがみが気になって、テスト終了まで書き直し続けていた。書き直す度に用紙は黒くなり、ぐちゃぐちゃになってさらに歪む。書き直す、消す、歪む、書き直す――。

 気になるのと同じぐらい、考えられなくなることもあった。

 考えすぎて考えられなくなるのだ。

 いろんなことが一度に気になって、頭の中でいくつも考えが浮かんできて、体も頭も止まってしまう。コミュニケーションなど絶望的だった。

「おはよ、英語の課題やってきた?」

 こんな簡単な問いにもこたえられない。

 この子はどうして私に話しかけたのか。馬鹿にするためなのか。課題を写すためなら誰だっていいのか。写したら同じ回答だって指摘されて問題になったら。課題の解答は正解しているのか。字が汚くて読めないとか言われないだろうか。そもそもちゃんと持ってきただろうか――。

「あ……う、あ……」

「なに、見せたくないの? もういいよ」

 私が答えに詰まっている間に、隣の子がむすっとした顔で別の子の机に向かう。私の方に嫌悪な眼差しを向け、文句を垂れ、悪口を共有する。悪口や視線が足裏に刺さった棘のように、いつまでも私を苛む。痛みは主張し続け、いつまでたっても消えることはない。

 14ぐらいから症状は酷くなり、不眠症に陥った。

 目をつぶると日常のあらゆる出来事が頭の中で回り続け、雑音となって脳内を埋め尽くすのだ。夜中には何度も尿意が気になってトイレに行く。なんども扉の鍵、窓の鍵を確認する。コンセントを抜いたか、スマホの充電は、アラームのセットは、玄関はちゃんと閉まっているのか、明日の準備、課題は終わったのか、明日の当てられる順番は――。

 とうとう私は親に隠れて風邪薬を買うようになった。抗ヒスタミン薬の眠気で無理矢理にでも寝る。それでもきちんと眠れるのは三日に一度ほど。眼の下の隈は酷くなり、皮膚のたるんだ老婆みたいになって、また気になる。色素が沈着してどうあがいても消えないし、不眠も治らない。せめてもの抵抗で縁が大きくて野暮ったい眼鏡をかける。そしたら今度は、蔓のかかる耳が気になってしょうがない。

「きなちゃん、具合悪そうだわ。気分悪いの?」

 私の家では食事は可能な限り、みんな揃ってする決まり。正しい<愛>をもつママは私を心配してくれる。明らかに様子のおかしい娘に構う。私にとって、夕食時は我慢の時間だ。

「大丈夫、なんでもないよ。今日の体育で疲れてるだけ」

 なんども頭の中でシミュレートした台詞だから、なんとか口にすることが出来る。

「そう? なら、しっかり食べなさい。成長期なんだから、ダイエットなんかしちゃ駄目よ」

 私は娘だからわかる。彼女は本気で心配してくれている。そして、私の状態を話したらきっと自分たちを責めるだろう、とも。

 私が病気なのは丈夫に、まっとうに産んであげられなかった親のせい。そう思うに決まっている。だから、私は病気じゃないと思うようにしている。どこもおかしくないし、他人と違うところなんてない。病院になんていけないし、行って病気だ、お前はおかしいだなんて決定的な診断を受けたら、私も彼女らも立ち直れない。

 ママやパパを気遣いたいわけじゃない。私の前でわめいて欲しくないだけだ。ただでさえうるさくて脳みそが溶けそうなのに。

「うん、おいしいよ。ママの手料理はいつだって」

 無理にでも手と口を動かす。運んで、噛んで、飲み込む。水で流し込んで、せり上がってくる吐き気を抑え込む。サラダに入っているレタスの臭いが触る。シチューの膜を張った牛乳みたいな味が喉にからむ。パパの咀嚼音が、ママの土いじりでついた腐葉土の匂いが、間違えたテーブルマナーが。偽善的な態度の家族が。矛盾ばっかりの愛情が。

 食事が終わるとすぐさまトイレに駆け込み吐く。

 食べた物をすべて吐き戻す。

 気持ち悪い。体全部が食物を拒絶している。

 ダイエットなんかしなくても、私の体重は恐ろしく減っていった。体重計に乗るのも怖いほどだ。

 私は拒食症になった。胃酸で喉が焼け、すれっからしでさび付いた蝶番みたいな声になった。

 死ぬかも。

 高校に上がった時に、本気でそう思っていた。眠れない。食べられない。集中できない。雑音は以前にもまして私を埋め尽くし、窒息させようと迫る。

 それでも学校に通わなければいけない。<愛>で目の曇ったママよりも同級生たちは変化に敏感だ。彼女らは私を遠巻きに奇異の眼で見つめる。「ねぇ、あの子すこしおかしくない?」と囁く。うるさい。雑音だ。他人は湿気のようにまとわりついて、どこへいってもちっとも離れなくて、気が狂いそうになる。私の頭を容赦なく締め付ける。視線、視線、視線――。

 【ピアス】があれば、こんな思いせずに済んだのに。ママが体を弄ることを許してくれないせいで。今時【ピアス】さえしていないなんて、時代遅れもいい所なのに。

 目が回り、常に車酔いさせられている気持ち悪さが胃を包み込む。さっきまで教室で、休み時間になって、トイレに駆け込もうとして席を立って、それから……それからどうしたっけ?

 どこを歩いているかもわからなくなって、とうとう駄目だと思った。そのときだ。

 私は穴を見つけた。

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